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デジタル朝日の投書欄の記事です。
この手の「言い換え」を提案する言説は
「ひきこもり」に限らずよく見られますね。
(声)「ひきこもり」呼称かえませんか 医師 ****(東京都 60)
川崎市の無差別殺傷事件で、自ら命を絶った容疑者がひきこもり傾向だったと報じられた。事件の残虐性、非道性は一片の擁護にも値しない。断罪されてしかるべきだが、ひきこもりにも様々なタイプがある。ひきこもりの当事者たちのことを考えると、5文字の言葉で人の実態を表現するのは安易だと思う。
たまたま学校や職場で適応できなかった人が自宅で一定期間生活するとひきこもりと烙印(らくいん)を押され、その言葉で分類されてしまう。
家族も知らないいじめやパワハラなどの外的要素によるもの、純粋に本人の心の闇による内的要素によるもの、身内も気づかない家族関係の軋轢(あつれき)によるもの等々、理由がなんであれ、結果としての現状をひきこもりという言葉で片づけてしまうと、そこで思考停止する。
ひきこもりという表現そのものに人格を否定する要素が垣間見えるが、ひきこもることは社会悪なのか。実は個性の一つなのではないか。議論を進めてもらうために私は提案したい。否定的要素の強い「ひきこもり」という呼称をかえることを。たとえば「家庭内生活者」とか。皆さんはどう思われますか。 最近の例でいえば、
「就職氷河期世代」のことを
「人生再設計第一世代」と言うとか。
「徘徊」のことを「お散歩」と言おうとか。
役所の言葉に、こうした言葉が多いですね。
「教育訓練機会に恵まれなかった方々」みたいな。
ある言葉に対するマイナスイメージを払しょくするために
言い換えをし、
該当する人々を傷つけない配慮だと思いますが、
言い換えは、
物事の本質を見えにくくする可能性があると思います。
困っていること、問題点を隠すような言い方は
真実から目をそらすことにならないでしょうか。
自然発生的に生まれた言葉は
問題の本質を突いた表現になっていることが多いです。
該当するご本人にその言葉をぶつけるのはどうかと思いますが、
なんでも「ふわっとした表現」ならいいか、というと
そうではないように思います。
特に、この投書では、「ひきこもりは社会悪なのか」と問いかけています。
ひきこもっていることは、それだけでは、
別に社会悪ではありません。
それなら、言い換えは必要ないのでは?という疑問もありました。
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