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新年度の1週間が終わりました。
疲れも一入ではないですか?
みなさまお疲れ様でした。
学生さんたちも疲れたかな。
デジタル朝日の記事から。
そんなこと言われてもねえ・・・
という感じがします。
黒のスーツが染めた入学式 ICU学生部長感じた違和感■加藤恵津子さん・国際基督教大学学生部長
昨年の勤め先の大学の入学式の光景に目を疑った。新入生の99%以上が「黒スーツと白シャツ」である。濃紺の人もいたかもしれないが、ベージュや茶のスーツ、青い柄の民族衣装などの目に入る色や形は3人程度だ。「国際」をうたう大学を選んでくれた人々の初日の服装である。
就活を行う日本の学生が、「リクルートスーツ」(recruitは新兵補充の意)と呼ばれる画一的な服装をするようになったのは1980年代、黒が定番化したのは2000年代初頭と言われる。近年は海外での日本企業キャリアフォーラムの日にも、街角は黒スーツに身を包んだ日本人留学生であふれるという。
自分の将来を決める時に何を着ていいのかわからない学生のために、生協と百貨店が協働したのが「リクルートスーツ」の始まりというが、年々選択肢が狭まるのは、大量生産する側の都合にすぎない。葬式ではないので、黒である必要もないはずだ。
さらに昨今は、大学入学時にまで就活に向けた「服装操作」が浸透している。ある女子学生は、入学式の服を買いに行くと「就活にも使える」と店員から黒スーツを薦められ、パンツスーツを買おうとすると「それはNG」とスカートを薦められたという。なぜ「NG」なのかだけでなく、もはや、誰のための入学式、就活か分からない。
「リクルートスーツ」の画一化は生産者側の都合なのに、企業も学生も、あたかもそれが礼儀や人格と結びついているかのように思い込んでいるとしたら滑稽である。
経済的理由や好みの問題で、廉価な黒スーツを選ぶ学生がいるのはよい。だが、仕事を探すためだけに黒装束の群れになることには、歴史的必然性がない上、自由であるべき人間の思考停止につながる点で、大学教育と相いれない。また「就職する=個性をすてる」というメッセージが視覚的に固定化されるのは怖い。
企業も主体性や創造性など学生への昨今の要求と矛盾する上、合理的な説明ができない風習として国際的人材獲得の障壁になりかねない。
利益を受けるのは、生産・販売業や、「髪は黒、服も黒、スカートはフレアがNGでタイトが可」といった、無意味なエチケット言説を作り続ける就活支援業界である。戦時中に明らかなように、服装の統制は言論や思想の統制と隣り合わせにある。えたいの知れない慣行に無批判に従う心性は、平和のうちに断ち切っておかねばならないと思う。
試みに本学では、今年の4月新入生に向けて「あなたには黒を着る権利も、着ない権利もあります」とメッセージを送った。一生忘れないでほしいメッセージである。
大学の入学式で
黒いスーツに白いシャツ姿の学生ばかりだった、
という嘆きですが、
それはやむを得ないだろうと思います。
つい、先月まで高校生だったのだから(そうでない人もいますが)。
中学、高校(あるいは小学生から)では
制服を着せ(制服のない小学校では体操服を制服の代わりにし)、
意味の分からない校則でしばりつけて、
家庭の経済状況がわからないようにと
「みんな同じ」を強要しておきながら
高校を卒業するや否や
個性の発揮を求めるのは無理というものです。
高校までの育成方針と
正反対のものをいきなり求めているように見えます。
社会では、「ダイバーシティ」といい、
多様性をビジネスモデルにしているのに
学校教育ではなぜ
過剰なまでの同調圧力をかけるのか。
私服にすると「華美になる」と個性の発揮を抑圧するのか。
華美になって悪いことがあるというのでしょうか?
華美はそれ自体悪いことでしょうか?
その結果、こういう大学の入学式になるのですが
黒いスーツと白いシャツは
大学生が新しい「制服」として選んだものだとは思いませんか?
18歳まで「みんな同じ」を追求した結果が
大学の入学式です。
彼らが大学生活の中で
黒いスーツを着る自由と着ない自由を
自覚できますように。 |
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