ゆっくり自然浴

大分県の国東半島を中心にゆっくり自然浴をしています。FB「ゆっくり自然浴」アメブロ「四季写・楽・美散歩」もよろしくお願いします。

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奈良時代には六郷満山文化が花開いた国東半島。室町時代になり、大友氏の勢力が拡大していくと、
状況が変ってきました。大友氏はキリシタン大名として有名です。そのころから、この国東にもキリスト教信仰が進みました。その中で、日本人で初めて、エルサレムに行った神父がペトロカスイ岐部神父です。
 
今日はそんなペトロカスイ岐部神父記念公園をご紹介します。
 
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213号線を国東方面からですと、小熊毛(ヤマザキデイリーのコンビニのある谷)を過ぎ、トンネルを一つ抜けると、そこは、その名も岐部という地区に出ます。トンネルを道なりに降りてくると、カーブをしているところに、
進行方向の左側に公園はあります。
 
公園内に入りますと、
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                                                                              マリア様が迎えてくれます。
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                                                    やさしい御顔立ちです。。
公園内には芝が植えてあり、ペトロカスイ神父の像があります。
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ペトロカスイ神父は
1587年、豊後国国東郡の岐部(現・大分県国東市国見町岐部)でキリスト教徒の両親の間に生まれた岐部は、13歳で有馬のセミナリヨに入学した。1606年、イエズス会入会を志して「カスイ」と号した(カスイの意味に関しては「活水」など諸説あるが明らかではない)。以後、イエズス会の諸資料において「ペトロ・カスイ・岐部」と書かれる。
 
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                                                                                彫刻家 舟越保武氏 作
 
1614年、キリシタン追放令によってマカオへ追放された岐部は司祭になるべく同地のコレジオでラテン語と神学を学んだ。が、マカオの長上の日本人への偏見から司祭叙階がかなわないことを知った岐部ら数人の日本人神学生たちは独力でローマのイエズス会本部を目指すことを決意し、マンショ小西、ミゲル・ミノエスの三人がコレジオを脱出し海を渡った。
 
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                                          彫刻家 舟越保武氏 作
 
マカオからマラッカ、ゴアへは船で渡り、そこから岐部は一人で陸路インドからペルシャを経てヨーロッパを目指した。ホルムズ、バグダードを経て、日本人としてはじめてキリスト教徒のあこがれの地であるエルサレム入りを果たした。困難な旅の果てに地中海を渡ってローマにたどりついたのは出発から3年がたった1620年のことであった。
 
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                                                   お菓子メーカーでおなじみの神父像です。
 
すでにマカオからローマへは「マカオを脱出した日本人がそちらへ向かうが決して相手にしないように」という警告の手紙が送られていたが、ローマでイエズス会員による審査を受けた岐部は、純粋倫理神学を学んでいたこともあって司祭にふさわしい適性と十分な学識を備えていることを認められ、1620年11月15日、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂で32歳で司祭叙階を受けた。
 
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                                                            神父の目線は・・・はるかかなた・・
 
さらにローマのイエズス会聖アンドレ修練院で2年間イエズス会員としての養成を受け、リスボンに赴いて同地で誓願を宣立した。1623年、20人のイエズス会員と共に、インドを目指す旅に出る。はるか喜望峰を回り、翌年ゴアにたどりついた。
 
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                    日本のマルコポーロといわれています。現在人でもなかなか行けませんね。
 
岐部神父は殉教を覚悟して日本への渡航を希望したが、そのころの日本では弾圧が強化され、宣教師の入国は厳禁されていたため、神父を乗せる船がなかった。そのため岐部は日本への足を求めて東南アジア各地をまわった。1630年、ついにマニラから日本に向かう船に乗り込むことに成功。難破しながらも何とか鹿児島に到着した。日本を出てから16年ぶりの帰国であった。
 
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                                          ちいさな祠?に祀られたマリア様も・・・
 
岐部神父は潜伏し、激しい迫害と摘発を逃れながら、長崎から東北へ向かいつつ、信徒たちを励ました。1639年、岐部神父はあるキリシタンの家にかくまわれていたところを密告され、逮捕された。江戸に送られ、すでに棄教していた沢野忠庵(クリストファン・フェレイラ)と対面すると逆に彼に信仰に戻るよう薦めた。
 
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                                                           心配そうなお顔をされています。。  
 
岐部神父は激しい拷問を受けても棄教せず、穴吊りのさなかにも隣で吊られていた信徒を励ましていたため、穴から引き出され、1639年7月4日に斬首されて殉教した。52歳。世界を歩いた日本人の波乱万丈の生涯であった。
                          
                                                                          公園内には教会があります。
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                                            礼拝堂です。いつもは無人のようです。
公園の後ろにある城山に十字架のイエスキリスト様の像がありました。
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                                           この地が・・・平和でありますように・・・
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                                   先ほどのイエス様が見ていた岐部地区の風景です。
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ペトロカスイ岐部神父は志途中で、命を絶たれました。でも、信念は曲げませんでした。。
その強い信仰の心をこの地が育てました。
 
きっと、神父がこの地をずっと見守ってくれている・・・そんな感じがしました。
(資料参考)Wikipedia
 
 
また、神父のことを詳しく書いている小説があります。
遠藤周作先生の「王国への道」と「銃と十字架」です。
 
大分県民オペラでも公演されました。。
 

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こんばんは
早速いかれたのですね。

2010/10/22(金) 午後 11:01 [ mtmrkzo3 ] 返信する

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この公園の静かな佇まいが大好きです。

ケベス祭りの行われる神社の近くですよね。
今年の暑い夏に、3度程お邪魔しました...

2010/10/22(金) 午後 11:05 [ del*cam*t*ubis*i ] 返信する

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mtmrkzo3さん こんばんは〜
今日も、中学生が案内されてましたよ。
旧千燈寺はもう少し後に行きま〜す。

2010/10/22(金) 午後 11:12 みっきー 返信する

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del*cam*t*ubis*iさん こんはんは〜

すごい。この暑かった夏に3度も・・・
でも、落ち着く公園ですね。。
芝を植えているのがまたよいですよね。。。

2010/10/22(金) 午後 11:14 みっきー 返信する

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こんばんわ。
道を通る時に何かあるな程度で中は知らなかったのですごく勉強になりました。ありがとうございます。

2010/10/23(土) 午前 1:08 [ かきさん ] 返信する

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かっきーさん おはようございま〜す
そうですよね。。私もちゃんと降り立って見たのは
かなり久々です。子供の頃はバスに乗って、
どんぐり拾いに来ていたような記憶がありますが、
当時はこんなに綺麗に整備されてなかったような・・・

2010/10/23(土) 午前 7:39 みっきー 返信する

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