チェッキッキーの日記ッキー♡♪

すいません、忙しくって更新遅れてます。

パリとパリ郊外

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パリ郊外のSaint germain des pres のホテルにいた私達は朝食を終えて11時に出発。

車のナビにGivernyと入れると目的地までは60キロメートル。

もっと近いと思っていたので、朝ゆっくりしてしまったの後悔しても始まらない。

行け!!mikician!

と、アクセルを踏む足に力が入りすぎてしまい、ジヴェルニーについたのは12時前。

(東京であれば絶対無理な事ですが、60キロメートルの移動は一時間以内が普通です。)


ジヴェルニーにはクロード モネの邸宅があります。

彼の自慢の庭があります。


ジヴェルニーの町はたくさんの観光客でにぎわっていました。

クロード モネ美術館専用のパーキングに車を止めて、美術館のチケットを買うために列に並びます。

並んでいる時、聞こえてきたのは、もちろんフランス語、ドイツ語、英語、スペイン語、イタリア語、

私達の後ろには日本人の家族もいました。


美術館に入るとすぐにあるのは天井の高いモネのアトリエです。

現在はクロード モネの本、ポスター、Tシャツ、ノート、バッグ、キーホルダーetc,etc

が売っている売店になっています。

これもこの美術館を管理しているクロード モネ財団の収入の一部なんであろうけれど、

アトリエはそのままとっておいて欲しかった……….。


売店を出るとそこはモネの花がいっぱいの庭園、誰もが写真を取るので忙しそう。

今は使われていない正門から、まっすぐモネの自宅の玄関へ行く小道には花が所狭しと咲いています。

8月でもたくさんの花です。

春に来れなかったのがちょっと残念でしたが、素晴らしい庭園です。


観光客のためにできた地下道を通るとモネ流日本庭園がありました。

竹やぶをはさんで小さな小川が流れています。

その小川の上にかかる橋を渡り、上流に向かっていくと柳の木の向こうに睡蓮の池が。

大きな池の周りにも観光客がたくさんいましたが、

まるで教会にでも入ったように静かに池の眺めているのはこの池にある禅のおかげでしょうか。


と、思ったとたんにイタリア語が聞こえてきました。

特に大きな声で喋っていたわけではありませんが、どういうわけかイタリア人の声は通ります。

あーもうムードを壊すな! と、ギロッと振り向くと

ベンチには4人のイタリア人が手にプラスティックのカラーフィルターを目に当てていました。

なに???この変な人たちは??

気になると黙っていられないミシオさん「何をやってらしゃるのですか?」

「私達は病気の治療でここに来ました。」

「は???????」

よく聞いてみるとミラノの大学でカラーセラピーを教えている教授が

皆でバカンスにこの庭園を訪れたらしい。

なるほど!舞台照明の色を決める時にカラーフィルターを目に当てる事はありますが、

この庭園でカラーフィルターはちょっと普通ではないでしょ!


色で治療をする前に行う小さなエクササイズを教えてもらいました。

こういう花の庭園のようにたくさんの色があるところでやると効果抜群だそうですが、

どこでやっても良いそうです。

エクササイズは簡単です。

片目をつぶり反対の目で集中してものを見ること。

右目をつぶり左目で何かをしっかり見ることによって右の脳が活性化され、左目をつぶって右目だけで

ものを見ることで左の脳が活性化されるのです。

脳のストレッチングですよ。ぜひやってみてください。

名刺の交換をしてミラノでまた会うことにして ARRIVEDECI!!


最後にモネの邸宅を見学、

邸宅にはモネがコレクションをしていたUKIYOE、モネ自身が飾ったままにありました。

レモン色の食堂と水色のキッチンはとってもかわいい^^♪



おそい昼ごはん、ベーコンエッグのクレープを食べて。


ソーカが施設で待ってるよぉ〜急げ〜〜!mikicianまたアクセル踏みます!!

ちなみに日本にも同じモネ庭園があるようです。

Saint Germain Des Pres

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パリにはたくさんのブラッセリーがありますが、

今では、パリ人によるパリ人のためのブラッセリーは少なくなったそうです。


それでもここ、Burasserie Lippは1880年に開店してから

パリっ子、特に芸術家、政治家など夜行性動物用のブラッセリーです。

夜行性動物用にこのブラッセリーの前には本屋さんが2件、夜の12時まで開いています。

たくさんの著名人がここで毎晩のように食事をしていました。

私が座った前のテーブルには毎晩のようにピカソがいたそうです。

まだ若いミッテランはその時、奥の部屋で食事をしていたそうです。


この間、私達は、ミシオさんのお友達の作家のフランソワと食事に行きました。

今でも作家、編集者、ジャーナリストのたまり場であるLippではフランソワは有名人です。


席に着くと隣のおじいさんが挨拶をしてきました。

私は食事をしてしまったので今度パリに来るときは一緒に食事をしましょうと言われて、

思わず OUI!! 一体誰?

フランソワに聞くと映画の演出もしたけれどうまくいかなかったので、

コマーシャル専用の演出家になったおじいさんです。 ふ〜〜〜ん


反対側には若いちびがいました。

ちびの周りには若い女の子達がミーハーしていました。

黒いエナメルのピカピカ光る靴でこいつはやくざだなと思いました。

こっそりフランソワに聞くと思った通り。

パリで有名なディスコを2件成功させている彼はバックにかなりの力を持っている人がいるらしい、

でなければこんなに若いのにこんなに夜のパリの世界で成功するわけがないと言ってました。

なるほど。


お店が閉まるころに素敵なおばあさんがお店に入ってきました。

おばあさんがテーブルに着くとギャルソンは赤ワインとその日の新聞をおばあさんの前に置きました。

新聞は5種類以上ありました。

おばあさんはその新聞を読みながらゆっくりワインを飲んでいました。

このおばあさん毎晩こうして新聞を読んでいくらしいです。

この近くの小さなアパートに住んでいるようですが、身寄りはないようです。

若い頃はとっても綺麗な人で、彼女の取り合いの喧嘩もこのBurasserieであったそう。

毎日、一杯の赤ワインと新聞は、Lippからのおごり。

新聞を読むために他のカフェへもハシゴをしているそうで、

Saint Germain des pres界隈では、おばあさん有名人。


Lippを出て私達はフランソワのお家へ行きました。

フランソワはベルギー人です。

パリでアパートを探していましたが、

良い物件が見つかるまでベルギー大使が大使館のアパートを貸してくれたので、

ベルギー大使館に住んでいます。

右だ左だワロンだフラマンだと言うベルギーなのでいつまでここに入れられるか分からないけれど、

今は、ここでの暮らしを楽しんでる。と笑っていました。

大使館の入り口にはベルギーの国旗が、

果てしなく続く応接間やダイニングにはどこでも王様の写真が飾ってあります。

広いお庭は昼間でも涼しく、静かで、すごしやすいらしい。

と言いながら庭へ行くドアを開けようとしてくれたけれど開かなかった。

フランソワは昼間寝ているだろうから、お庭へは行ったことは無かったのでしょう。

大きなキッチンの冷蔵庫はすごかったですよ。

冷蔵庫をのぞいた私は思わず、何で私達LIPPに食事に行ったの?

ここで食事作ってあげたのに! 作る事も必要ないじゃない!

キャビアとシャンパン、魚もお肉も冷凍庫にいっぱい。


車を運転しなければいけない私は久しぶりにSPAのお水をご馳走になりました。

ミシオさんとフランソワは1940年代のアルマニャック。

さぁ、そろそろ仕事をしなきゃと言うフランソワに別れを言ったのは朝の4時でした。

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AUVERS はゴッホが37歳の短い人生を終えた村です。

彼はここで70日間を過ごし80の油絵と65のデッサンを残しました。


ここには彼の作品は一枚も残っていませんが彼の足跡は今でも強く残っています。


皮肉にも彼が自殺をしたという理由でお葬式をしてもらえなかった教会や

彼が最後に息を引きとったホテルの小さな暗い部屋。

村役場、麦畑、静かなオヴェールの町並みは当時のままです。


教会の下にあったCAFE RESTURANTEの女主人の話だと

この村にはゴッホだけでなくセザンヌやドビ二−など素晴らしい印象派の画家がたくさん集まっていても

っと村が宣伝に力を入れればもっとたくさんの人にこの村を知ってもらえるのに。とぼやいていました

が、この静かな小さな村がたくさんの観光客でいっぱいになってしまったら雰囲気が壊れてしまうだろう

なぁと思うのは私のエゴでしょうか?


もしここが日本であったら方耳のないキティちゃんやゴッホ饅頭が売られてたかも……..


彼が住んだ小さなホテルもそのままで一階では食事ができます。

テオに送られていた手紙には長い間遠ざかっていた飲酒も始めましたと書いてありました。

きっとここでワインを飲みながら食事を取っていたのでしょう。

私達は子牛の脛肉を煮たものと子牛のクリーム煮と思わずうなってしまったムース オ ショコラ

ワインも飲んで2人で80ユーロでした。

たった70日間滞在してくれたヴィンセントのおかげでここの主人はこれからも忙しくオーダーを受ける

事でしょう。


食事の後は2階にある彼の部屋を見学しました。

彼が自殺をしたことでこの部屋は彼が逝ってしまってから誰も使っていません。

暗い狭い階段を上がっていくと部屋が2つありました。

右側には小さなベッドがやっと収まっているくらいの小さくて暗い部屋、

左側の小さな部屋はアトリエでした。

彼が描いた絵が信じられないくらい高額で取引されている今日では

信じられないくらい惨めな部屋でした。


今はオベールの墓地に弟テオと静かに眠っています。

精神的に弱かった兄ヴィンセントは最後に自殺という形にはなったものもテオに感謝しながら穏やかに息

を引き取り、経済的にも理性的にも芸術家の兄を助け続けた弟は兄が亡くなった6ヵ月後精神病院で亡くなりました。33歳でした。

いつまででも時間が止まった静かで美しい村でありますようにとお祈りしました。

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