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久し振りに、和歌山城に行く。南海和歌山市駅から、歩いて15分ほどだ。まだまだ外は寒い。町を歩いていても、咲いている花は椿ぐらいだ。今年は、例年になく、梅の開花も遅い。 現在の和歌山城は、昭和33年に復元されたもので、鉄筋コンクリートで出来ている。 姫路城や彦根城等の国宝の城と異なる点だ。天守閣自体は、大きいが、城郭全体としては小さく見える。江戸時代のものとは違うのだろう。 春にはもう少し時間があるが、和歌山城の周辺で見つけた植物を紹介する。まずは、和歌山と言えば、梅だ。天守の前の庭には、梅の木があったが、まだ蕾の段階だ。 堀に沿ったところに椿の木があった。花半分は散っていたが、地面に散った花びらの絨毯がが何とも言えず綺麗だった。 岡口門の前に、大きな木がある。木の種類は分からないが、これだけ大きくなるのは、楠木だと思う。 また、天守閣から下る道に、実のなった木があった。これも名前がよく分からなかった。
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和歌山
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おそらく、本来の道より一本東の道を南に和歌山に向かって走っているのだ。山道であり、簡単には本来の道へつながることはなさそうだ。ずっと上り坂が続いていたが、大阪府と和歌山県の県境(おそらく)を越えると、やっと道が下って来た。その頃には、牛滝山に行くことは諦めており、目的地変更、和歌山の粉河寺に行くことにした。粉河寺は一度行ったことがあり、お寺なら紅葉もあるに違いない、ちょうど見頃ではないかと勝手に思った。紅葉が見れれば、どこでもいいのだ。
少し道路が広くなると、道端で野菜とか、果物とか、売っているのに出くわす。こういうのに、うちの家内はめっきり弱いのだ。安くて、農薬をあまり使っていないからだ。申し遅れたが、今日の同乗者は家内と、小6の三男だ。息子は、山の中のくねくね道がずっと続いたので、車に酔ったらしく、車の中でげんなりとしていた。息子に外の風に当たらせる意味もあり、まず椎茸を売っている店(実際は店と呼べる代物ではなく、屋根だけはある簡易構造物だ)に寄った。そこで、椎茸と平茸と自然薯を買った。3000円も払った。おいおい!こんなところでする買い物にしては使いすぎではないか。だが、おまけにくれた焼椎茸のおいしかったこと。椎茸を焼いて、塩をつけただけのものだが‥。 さらに、道を行くと、今度は柿を売っているところがあった。そう言えば、山の中の道を来る途中、柿の木が沢山あった。人が全くいないところに、誰のものか分からない大きな柿の木がある。盗まれても分からないだろうと思った。どうやら、この辺は柿の産地らしい。柿は空気のようにどこにでもあって、柿を盗もうという人はいないのかもしれない。柿を売っている店は、「柿えもん」と言う。これは有名な陶芸家の名前のパクリだ。おばあさん二人がいて、熱心に商品を勧めてくる。ここでは、柿と草もちとスギナとこんにゃくを買う。締めて、1350円。店の隣がおそらく自宅だろうが、大きな家だった。何で儲けているのだろう。こんな小さな店では、こんな大きな家は建てられないはずだ。柿えもんは何故つぶれないのか、この店は副業なのかもしれない。店の前には、つるし柿が干してあり、道路の向かいには柿の木があった。滅多に見れない田舎の風景として、シャッターを切った。 柿えもん
柿えもんを出ると、ひたすら粉河町に向かって、走った。道の両脇に、柿の木以外に、桃と蜜柑の木が植えてある。いずれもこの辺の名産なのだろう。
大門は三間楼門で、その規模は和歌山県では高野山、根来寺に次ぐ大きさといわれている。宝永4年(1706年)の建立とされており、総欅造りである。この大門は数年前に改修工事が行われた。「大門」は重要文化財に指定されている。 中門 ひとつぬきて うしろにおひぬ ころもがえ 本堂前の石段の下の広場東側、芭蕉句碑の傍奥側にに、「丈六堂」が建っている。尊釈は一丈六尺あったとされており、この大きさに造られた仏像を丈六と言われている。この「丈六堂」の中には一丈六尺の大きさの阿弥陀如来像(実際の仏像は一丈六尺より小さい)が安置されている。 「本堂」の東側に自然保存木に指定されている楠木がある。一見したところ、この楠木はかなりの樹齢であるのがわかる。光仁天皇の代、宝亀元年(770年)頃、猟師であった大伴孔子古(粉河寺の開基)がこの木の上に座して、下を通る鹿などの動物を捕っていたと言い伝えられているが、これは単なる伝言であろう。「本堂」前の石段の西側に「粉河寺庭園」がある。庭園としては規模の大きなものではないが、石組みの枯山水庭園は力強い美しさを感じるものに仕上がっており、印象的である。「粉河寺庭園」は国の名勝に指定されている。 御詠歌: 父母(ちちはは)の恵みも深き粉河寺ほとけの誓いたのもしの身や 風猛山粉河寺 (歴史) 奈良時代末、宝亀元年(770)、大伴孔子古が現在の本堂の場所に草庵を結び、千手観世音菩薩を本尊として粉河寺は創建された。鎌倉時代には七堂伽藍が整い隆盛をきわめたが、天正13年(1585)、開創以来もっとも受難の年を迎えた。即ち豊臣秀吉は、天下統一の望みを達成するため、紀州攻めを敢行し、当寺より約10粁西にある新義真言宗の総本山 根来寺を中心に一帯は火の海と化し、粉河寺も全山焼失した。 従って、現在の諸堂は大小20有余数えられるが、何れも江戸時代の再建である。就中江戸中期の代表的な寺院建築物であり、西国に三十三所の中では最も大きい本堂を初め、千手堂・大門・中門の4棟は重要文化財に指定されている。 又、本堂前の左右の崖地に築造された粉河寺庭園は、桃山時代の枯山水の庭園で上田宗箇の作庭と云われ、名勝に指定されている。 草創のゆかりとなっている粉河寺縁起絵巻(国宝)を有する粉河寺は、壮大な寺観がもたらす歴史の重味と共に、観音信仰の寺として、いつまでも参詣の人々に安らぎを与え続けることであろう。 (参拝メモ) 場所………〒649-6531 和歌山県那賀郡粉河町粉河2787 交通………JR和歌山線 粉河駅下車 商店街徒歩15分 駐車場……有(100台) 拝観料……重要文化財 粉河寺本堂の内陣拝観お一人300円 拝観時間…8:00〜17:00 納経時間…8:00〜17:00 電話………0736-73-4830・3255 |
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