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パソコンの故障でブログを休養してから、復帰した後も休養癖がついたみたいで、ついついご無沙汰してしまいます。
一つにはカルチョのシーズンオフだということもありますが、どちらにせよ訪問して下さる皆さんに申し訳なく思っています。
日本は8月に入っても猛暑が続いているようですが、こちらは雨模様だった今日木曜日の気温は最高で20度ぐらいと涼しい、少し肌寒いくらいの天気でした。
さてバカンス中のイタリアの夏らしいフォトを貼り付けます。
先月7月にマッジョーレ湖で写したフォトです。
知り合いのお母君が俳画の展覧会を開かれるということで、観に行ってきました。
異国で接する日本美も中々良いものでした。(展覧会のフォトは写し忘れましたが)
あいにくパソコンが故障中の時だったので、直ぐにアップ出来なかったフォトです。
*湖に浮かぶ島(イーゾラ・ベッラ)。
『欧州サッカー批評』はこちらから
『CALCIO!CALCIO!CALCIO!ホンマヨシカのセリエA観戦記』はこちらから
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フォトの容量制限で添付出来なかったフォトです。 |
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8日ほど前ですが、用事があってトスカーナ地方の小さな古都ヴォルテッラを訪問しました。 住所はピサ市の管轄になっていますが、ピサからは車で40分ほど、ピサよりシエーナにより近い町です。 ミラノから車で3時間半ほど、あまり知識を持たずに訪問したのですが、これが予想外に素晴らしい町でした。 ヴォルテッラは新石器時代に建設され、紀元前500年前後にはエトルリア文明の中心地として大変繁栄した町で、エトルリア時代の遺跡やローマ時代の遺跡が残っています。 エトルリア時代とは紀元前8世紀 - 紀元前1世紀ごろにイタリア半島中部にあった都市国家群の時代で、宗教・文化面で共有する12の都市国家が協力して一時代を築きました。 この地方はアラバストロ(アラバスター、雪花石膏)が古くから採掘され、それを加工した装飾品や美術品がエトルリア時代から現在まで作られています。 現在のヴォルテッラは中世の佇まいを残している町です。 仕事先でのミーティングを済ませて、レストランで昼食の後(この昼食がまた美味しかったのですが、フォトを撮り忘れました)、地元の取引先の人に1時間ほど駆け足で市内を案内してもらいました。 人口1万人足らずの小さな町なので、短い時間でも楽しめました。 しかし日帰りでミラノに戻るのが惜しまれました。 フォトのように丘の上に町が作られています。 落ち着いた佇まいの街中 ヴォルテッラの大聖堂(ドゥオーモ) プリオーリ宮殿の子豚の塔と呼ばれている塔 子豚の像が乗っている部分を拡大すると エトルリア公園から見える要塞。この要塞は現在刑務所として使用されています。 エトルリア公園に残るエトルリア時代の遺跡 ヴォルテッラの町から見下ろすと、トスカーナ地方独特の景色が広がっています。 |
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3ヶ月ほど前ですが、用事があってヴェローナに行きました。 その時写したフォトを直ぐにアップしようと思っていたのですが、ついつい後回しになってしまいました。 セリエAの新シーズンが始まると、益々アップする機会がなくなると思うので、急遽アップします。 訪問したのは5月24日、真夏のような炎天下での訪問でした。 ヴェローナで一番有名な建物というと、夏の野外オペラで有名な古代ローマ時代の円形競技場・アレーナ。 アレーナから市内中心部に歩いていくと、エルベ広場に出ます。 エルベはイタリア語で草(野菜)を意味しますが、この名前の通り野菜市が開かれていた広場です。 エルべ広場を抜けると、シニョーリ広場に出ます。 シニョーリ広場の真ん中にはダンテの銅像が立っています。その後ろの建物は、1968年に公開された日本でもヒットした映画『ロミオとジュリエット』で決闘シーンの舞台に使われました。 この映画のヒロイン役は後に布施明と結婚して話題になったオリビア・ハッセー。因みに監督のフランコ・ゼフェレッリは大のフィオレンティーナファンで、よくカルチョの討論番組に出ていました。 エルベ広場とシニョーリ広場の境界線に立つのがランベルティの塔(高さ84m)。 エルベ広場からカペッロ通りを少し歩くと、ジュリエットの家があります。 入り口の回廊には、ここを訪れた世界中のカップル達の落書きが書かれています。 回廊を抜けるとジュリエットの家があり,家の前にはジュリエットのブロンズ像があります。 ジュリエットの像は、長年のセクハラでおっぱいだけが光っています。 カペッロ通りを突っ切ったところにあるアーディジェ川にかかる橋から見た風景。 |
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2日前に行われたサンプドリアとインテルのコッパイタリア準決勝第一戦は、ベストメンバーで挑んだホームのサンプがイブラ等の主力を何人か休養させたインテルに3−0(パッツィーニの2ゴールとカッサーノの1ゴール)と完勝しました。 前半で既に3−0と離され、後半はいつもの如く前屈みの布陣で追い上げを狙いましたが、今回は成功せずに終了。第2戦での逆転決勝進出の可能性も限りなく低くなりました。 コッパイタリアの話はここまでで、今回はセリエA常連クラブのアタランタの地元ベルガモを紹介したいと思います。 掲載したフォトは2005年の5月、アタランタの試合(対戦相手は中田が在籍していたボローニア)で訪問した時のものです。 アタランタはセリエAの地方のクラブ中、一番の名門クラブといってもおかしくありません。 セリエBに降格しても、必ずと言って良いほど翌シーズンには昇格していますし、昔からクラブ経営などを見ても、己の立ち位置を非常に理解しているクラブだと思います。 60年代にはコッパイタリアを獲得していますし、プリマヴェーラ(ジュニアチーム)も昔から充実しています。 そんなアタランタのホームはミラノから電車で1時間程の距離あるベルガモという町です。人口は11万7000人ほど。 日本でも有名なブランド・トラサルディはこの町のメーカーです。著名人としては作曲家のドニゼッティがいます。 ベルガモの特徴は、北イタリアでは珍しい丘の上に旧市街が残っていることです。 中部イタリアや南イタリアには丘の上にある町が多く存在しますが、北イタリアでは余り見かけません。 丘の上の旧市街地区をチッタ・アルタ(高い町)、平地の新市街をチッタ・バッサと名付けられています。 観光名所はこのチッタ・アルタに集中しています。 *このフォトはイタリアの旅行雑誌「BELL‘ITALIA」から拝借しました。 チッタ・アルタに行くには、ケーブルカーで上ります。 チッタ・アルタの中心はヴェッキア広場(ピアッツア・ヴェッキア)です。 *これも同じく「BELL‘ITALIA」に掲載されていたヴェッキア広場の見取り図。 * ヴェッキア広場に面して立つトッレ・チヴィカ。その手前に写っているのは広場にあるコンタリーニの噴水(フォンターナ・デル・コンタリーニ) * トッレ・チヴィカに上る階段から見たヴェッキア広場。正面の建物はパラッツォ・ヌオーヴォ(現在は図書館として使われている)。 ヴェッキア広場を抜けて少し南に進むとカッペッラ・コッレオーニ(コッレオーに礼拝堂)が表れます。 *1470〜76年に建てられた礼拝堂。 *チッタ・アルタから見たアタランタのホームスタジアム * ベルガモの有名な食べ物というとポレンタ料理。とうもろこしの粉を練った田舎料理で、主にイタリア北部で食べられます。僕が食べたのは猪の肉を添えたもの。 ベルガモというと、訛りの強い独特の方言を思い浮かべます。 ミラノから1時間ほどで、都会的センスの町なのですが、方言は山家育ちを連想させるような、凄く田舎臭いものです。 イタリアを代表するアタッカーだったジュゼッペ・シニョーリはベルガモに近い田舎町で生まれ、彼もこの地方独特のアクセントで喋ります。 因みにシニョーリがデビューしたのは、アタランタの選手としてではなく、ベルガモのもう一つのクラブ(というかベルガモ郊外の小さな町アルビーノとレッフェのクラブ)アルビーノ・レッフェ(現在セリエB所属)の選手としてでした。 |



