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地理・交通系お気楽ブログ(仮)
熊本&九州地方の地理・交通・歴史の話題や旅の話などをぐだぐだと。

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また1か月更新が滞ってしまいました。
ネタは数多あれど、時間と気力がない状態が続いております。

今回のテーマは熊本を起終点とする高速バス「ぎんなん号」と「きりしま号」です。
ともに第一次高速バスブームともいえる平成初期に運行を開始しましたが、双方ともJR特急→新幹線という強力なライバルの存在に運命を弄ばれた路線でもあります。
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「ぎんなん号」は1989年12月に熊本と北九州(小倉・砂津)を結ぶ高速バスとして、熊本側は九州産交、北九州側は西鉄という、ひのくに号同様の強力なタッグで華々しくスタートを切りました。当初は1日9往復、ほかの高速路線同様に専用の塗装をしたハイデッカー車両で運行されていました。

その当時、ライバルとなるJRの特急は熊本〜北九州間の直通がほとんどなく、博多での乗り換え(「有明」〜山陽新幹線or特急「にちりん」)が必須であったこともあって、乗り換えなし一本で熊本と北九州の間を移動できるという訴求効果はそれなりに大きいものがありました。翌年3月のダイヤ改正で熊本エリア発着の「有明」の一部が小倉まで延長になりましたが、1992年7月の787系「つばめ」運行開始時のダイヤ改正で元の博多発着に戻ったこともあって、熊本〜北九州間は再びダイレクトに両都市を結ぶ高速バスの独壇場になります。

90年代の終わりになると「ぎんなん号」専用塗装もなくなり、3列シートから4列シートへと車両がグレードダウンするものの、まだまだ週末などは積み残しが出るくらいの利用率を保っていました。
2001年3月よりJRが博多〜熊本・水前寺間運行の「有明」を1時間に1本の割合で小倉まで再度延伸したことで、「ぎんなん号」はまたもやJR特急と直接対決することになります。この頃はまだ相手が在来線特急だったこともあり、運賃や所要時間の点において互角な戦いを続けていましたが、それでもじわじわとJRにシェアを侵食されていくことになります。

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高速1000円政策で多数のバス会社が疲弊し、さらに新幹線開業を翌年に控えた2010年、ついに「ぎんなん号」から西鉄高速バスが撤退し産交の単独運行になります。その結果、便数も6往復へと削減されてしまいました。それでもなお産交は「ぎんなん号」を維持すべく停車停留所を増やしたり、期間限定で運賃を下げたり、車両を再び全便3列シート車に戻したりといろいろ手を打ったのですが、2011年、とうとうJR側の最終兵器である九州新幹線が開業してしまいます。
熊本〜小倉の新幹線は料金こそ高速バスの倍ではあるものの所要時間はわずか1時間足らずで、同区間を3時間弱も要する高速バスは全く太刀打ちできません。本数も直通が1時間あたり1本〜2本、博多乗換も含めればそれ以上のフリークエンシーであり、また戸畑や黒崎、折尾といった旧「有明」停車駅向けに“熊本〜(新幹線)〜博多〜(在来線特急)〜北九州市内”という2枚切符も発売されるなどJR九州側の対策も万全で、もはや「ぎんなん号」が正攻法でJRに対抗する力はありませんでした。



ところで、熊本と鹿児島を結ぶ高速バス「きりしま号」もJR特急・新幹線の攻勢に一度白旗を上げて路線自体が廃止されてしまったのですが、その後利用者からの根強い要望で路線が復活したという経緯があります。

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「きりしま号」は1990年4月に九州産交と南九州高速バスがタッグを組んで運行を開始しました。ただしその当時「きりしま号」と名乗ったのは産交側の運行便だけで、南九州高速バスは独自に「はいびすかす号」の愛称を名乗っていました。
この南九州高速バスとは鹿児島県側の主要バス会社である鹿児島交通、南国交通、林田産業交通の3社が出資した高速バス専門のバス会社で、熊本線開設以前より鹿児島〜宮崎間の「はまゆう号」を運行していました。運行開始時点ではまだ九州道の人吉IC〜えびのIC間が開通していなかったので、この区間は人吉ループ橋のある国道221号を走行していました。

しかし、当初はJRの直通便がないに等しかった「ぎんなん号」とは異なり、「きりしま/はいびすかす号」は最初からJR特急(「ハイパー有明」・「有明」→92年以降は「つばめ」)と完全競合するという厳しい条件下におかれており、JR側が個室やビュッフェを連結した787系を導入し、かつ高速バス並みの割安な切符を発売し始めると、ますます高速バスは見劣りするようになってしまいます。所要時間も線形が悪く単線区間を含むJR特急のほうが1995年に全通した九州道を走るバスより30分以上も短く、もはや「きりしま/はいびすかす号」の利点は人吉〜鹿児島空港間の区間需要以外、ほとんど見いだせない状況になってしまっていました。

2004年3月の九州新幹線・新八代〜鹿児島中央間の部分開業と同時に、高速バスの熊本〜鹿児島線には見切りをつけることになり、いったん「きりしま/はいびすかす号」は廃止されてしまいます。それどころか鹿児島側の運行会社であった南九州高速バスは熊本線の廃止と同時に会社ごと清算されてしまいました。

ところが、確かに新幹線は熊本と鹿児島の間を最速1時間で結び速くて快適ではあるものの、新八代での強制乗り換えが面倒であったり、また、それまで存在した割安な4枚切符は撤廃され、ほとんど値引きのない2枚切符に置き換えられてしまったことで「多少時間がかかってでも、安く、乗り換えなしで熊本〜鹿児島間を移動したい」と考える人たちを中心に熊本〜鹿児島線の復活を求める要望が産交の公式掲示板等で頻繁に上がることになります。
鹿児島側も2007年になって、南国交通観光主催の「鹿児島市出発・熊本繁華街&ダイヤモンドシティクレア行きお買い物ツアーバス」が断続的に運行されるなど(でもこの企画、熊本をライバルだと思っている地元愛が強い鹿児島の方々にとっては正直屈辱的ではなかったのかなぁと思いますが・・・)、路線復活への動きが活発になってきました。

2008年10月、半年間の実証実験という形で、わずか3往復のみとはいえ熊本〜鹿児島間の高速バスが産交単独で復活運行することになりました(実験期間中ということもあって、この半年間は愛称名なしで運行)。この試験運行はユーザーから好評を持って迎えられ、半年後には鹿児島県側のいわさきバスネットワーク南国交通ともタッグを組み、正式に「きりしま号」として復活を遂げたのでした。この時に3往復から6往復に倍増、さらに全便速達化を経て、2012年には8往復に増便されるなど、「スピードは速いけど料金が高い新幹線」に対して「料金は安いけど時間がかかる高速バス」とはっきり棲み分けることで成功を収めたのでした。



「ぎんなん号」はその後も路線維持を図るべく、シニア割やWEB割を導入したり土曜休日に1往復増発したりと孤軍奮闘するも、とうとう2015年には3往復にまで削減されてしまいます。それでも砂津から新門司港まで区間を延伸し名門大洋フェリーとの連絡に命運をかけたりもしましたが、ついに今年の9月、産交は「利用者減少により今後の運行継続は困難」だと白旗を揚げ、11月いっぱいでの運行休止を発表しました。昨今、バスの運転手が慢性的に足りないことも影響しているのでしょうね。
今後、高速バスだけで熊本〜北九州を移動する際は福岡(ひのくに号〜なかたに・いとうづ・ひきの号など)か基山(ひのくに号〜出島号)でバスを乗り継ぐ形となります。まぁ、個人的にはそんなことするくらいなら最初から新幹線で十分ですが。

「きりしま号」は新幹線との棲み分けに成功しましたが、「ぎんなん号」は現状、それができなかった。熊本〜鹿児島と違い、熊本〜北九州ならば天神乗り継ぎなり在来線利用なりで“安さを求める層”にもふんだんに代替手段があることの違いなのでしょうか。

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しかしながら、北九州から九州各地へ向かう高速バス路線もあまりぱっとしませんね。久留米行きも廃止になって久しいですし、佐世保行き(「九十九島号」)があった時代もはるか遠く。長崎行きの「出島号」はJR特急の直通がないこともあって5往復(休日6往復)走っているもののこちらも西鉄は運行から撤退して長崎県営の単独運行になってますし。
東九州道の開通とともに鳴り物入りで開業した別府・大分行き「ゆのくに号」も「一生のお願いです。ゆのくに号を使ってください」(https://nishitetsu-ktq.jp/wp-content/uploads/2016/11/c5d69f0558a740927e00fcad02c63080.jpg)なんて身も蓋もない自虐広告を打ったあげく、結局、利用者低迷と乗務員不足で大分県側の3社が撤退して西鉄バス北九州のみのわずか4往復の運行になっています。

北九州発着の高速バスが廃止・減便だらけなのは北九州の景気の悪さを反映している、という向きもあるみたいですが、北九州は腐っても95万都市ですし、それなりに拠点性もあるので、他都市と比べてそこまで魅力や活力に欠けるということはないと思うんですがね。
個人的には小倉や八幡は好きな街なのでもっと頑張ってほしいと願っています。

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