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波乱の平成時代もあと1日とちょっと。

新元号・令和への改元を前に、プチブレイクしている場所がこちら。
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熊本市中央区にあるJR豊肥本線の平成駅です。
過ぎ去りし平成の世を偲んでか(?)、鉄道ファンだけでなく、多数の一般の方々が全国からこの平成駅に集結しているようです。中には昭和駅(鶴見線=神奈川県川崎市川崎区)、大正駅(大阪環状線=大阪市大正区もしくは島原鉄道=長崎県雲仙市)を巡って平成駅までやってくる人もいるのだとか。(明治駅・・・はないんですよね。東京メトロの明治神宮前駅はありますが。)

実際に平成駅を訪れてみると、駅名票を撮影してSNSにアップしたり、駅窓口で入場券を購入する人を数多く見かけました。
この入場券そのものはPOS端末で発行した160円の何の変哲のない切符ですが、今だけは特製台紙(駅名票を模したデザインですが隣駅名が「昭和」と「令和」になっています。裏面は「ありがとう平成」と刻まれた駅備え付けのハンコを押せるスペースになっています)が無料で付いてくることもあって、かなりの方が買い求めているようでした。

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平成駅が開業したのは1992年(平成4年)7月15日のこと。
かつて一面の田んぼが広がっていた駅の南側一帯を流通団地や商業地、住宅地の用地として大規模な区画整理をした際に、それまでの十禅寺町や本山町などの区域から分離独立させて新たに「平成」という地名が誕生したことから、駅名もそれに合わせた形になっています(現在の平成駅の所在地は中央区平成2丁目です)。
当初はホーム一面だけの無人駅だったのが電車増発や利用者増により後に対面式ホームが増設され、委託とはいえ駅員も配置されるようになりました。駅から少し離れたところにショッピングモールのサンリブシティくまなんもあります。

SNS上では「平成」駅と「昭和」タクシーの看板の対比も話題になっているようです。さらに自動販売機には「大正」製薬のリポビタンD(赤矢印)があったり。
これに明治のチョコレートや明治安田生命の看板でもあれば完璧なんですが。
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ブレ気味の写真ですが平成駅を発車する肥後大津行きの815系。
列車交換するときは、肥後大津方面が南側ホームに、熊本駅方面が対面の北側のホームに入線します。つまり平成駅は珍しい右側通行の駅なんですよね(豊肥線ではほかに武蔵塚駅も右側通行の駅です)。
駅の真上には本荘・春竹エリアから富合へと向かう、幅広の平成大通りがまたいでいるため、構内はなんとなく薄暗い印象を受けます。
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そして、ホームの片隅にはこんなものも(笑)。SNS映えしますかね。
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ちょい古の駅名票なので所在地はまだ熊本市「中央区」になっていません。
薄れかかっている真ん中の絵は日向街道起点にあるお地蔵様を表しているそうですが、実際にこのお地蔵様がある地点(御船口=中央区迎町2丁目)までは駅からだと微妙な距離があります。
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ここからはおまけの話。

先日、西鉄枝光線の廃線跡を探索していた際にたまたまこんな店舗を見つけました。
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北九州市八幡東区枝光のJR枝光駅近く、鹿児島本線の高架下にオープンしたパチンコ店併設の食堂「食事処 令和」。はやくも新元号にちなんだ店名をつけたんですね。

Yahooブログ終了までの時間が刻一刻と迫っている状況で、新たに記事をアップするのもなんだかねぇ・・・と思ったりもする今日この頃ですが。。。

熊本電鉄で新型車両(?)の運行が始まったとのことなので、先日、沿線に足を運んでみました。
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東京近隣在住の方なら、どこかで見覚えがある電車ではないかと思いますが・・・ それもそのはず、この車両はもともとは東京メトロ日比谷線を走っていた「03系」なんです。形式番号もそのまま「03形」(熊本電鉄は「系」ではなく「形」と表記します)として、今年の2月に第二の就職先である熊本へと遠路はるばるやってきたのでした。その後、改造・整備を経て4月4日から本格運用が開始されました。

北熊本駅で並ぶ03形と01形
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まさか元・銀座線と元・日比谷線がたった2両編成になって、東京から遠く離れた熊本で顔を合わせることになるとは・・・ 東京にお住まいの方なら衝撃的な光景かもしれません。ちなみにこの01形の[35編成]は派手なくまモンラッピングが施されていますが、ベースの車体色も01系本来のそれではなく、むしろ銀座線の旧1000形や現1000系をイメージしたカラーリングに変えられています。

ついでに、こちらで横に並んでいるのは「くまモン電車」化された元・都営地下鉄三田線6000形のefWING換装車。このように、現在の熊本電鉄は一昔前の東京の地下鉄車両が幅を利かせているという、何とも不思議な様相となっています。
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東京メトロの03系は営団時代の1988年に日比谷線用として導入された車両です。
中軸となる日比谷線を介して東武伊勢崎線や東急東横線にも乗り入れていたことから運用範囲はかなり広く、埼玉県久喜市の南栗橋駅から神奈川県横浜市の菊名駅まで(末期は東横線乗り入れは廃止になり、中目黒までに短縮)を走り抜けていました。
しかし、東京オリンピックを前にさらなる新型車両・13000系が導入されることになり、2017年以降、03系は順次廃車されることになりました。

一方で熊本電鉄としては引退した元東急の5000形や、経年劣化が進んでいる元南海の200形、事故廃車が発生した6000形に代わる車両を探しており、先行して2015年に銀座線の01系を貰い受けましたが、さらに今回、同じメトロから新たに03系を委譲購入することとなったのでした。6000形が20m車なので上熊本への乗り入れができないのに対し、01は16m車、03は18m車であることから、上熊本〜北熊本間を含めた熊本電鉄全区間でフレキシブルな運用が組めるようになりました。03系は今後、2020年までに合計3編成分・6両が譲渡される予定となっています。

01形が熊本に来た時と同様、03形もワンマン化対応などの最低限の改造だけが行われ、シルバーのラインが印象的な外観や内装などはできる限り日比谷線時代のイメージを残すような施策がとられています。メトロ社章のカラーリングを模した、熊本電鉄の社章ステッカーも01同様に貼られています。まぁ、いつかは01のようにくまモンに乗っ取られる日が来るような気もしますが(笑)。

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「北熊本」という文字がきれいに映っていませんが(カメラのシャッター速度の問題ですかね)、車体側面の行先幕がLED表示なのも熊本電鉄ではこの03形が初めてとなります。01はでっかい(ちょっとダサい?)サボを掲示してるんですよね。
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この日は03-131+03-831の編成が北熊本駅と上熊本駅の間を往復する運用に入っていたので、さっそく往復乗車してみました。

03-831の内部。
昭和中期のイメージを色濃く残していた5000形や、200形を見慣れた身からすると一気に「現代」に追いついた感がありますね。
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車内広告が少ないとか、ドア上の路線図が変わったこと以上に、整理券発行機や料金箱、運賃表示機が設置されたことが一番の変化でしょうね。
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実際に乗ってみると、03形はスムーズかつ静かに走るといった印象です。揺れまくってつり革がガチャガチャと音を立てていた、かつての「青ガエル」と比べると性能の向上がよくわかります。線路自体も例の脱線事故の影響でしょうか、部分的ではありますが再整備が進められていました。

上熊本駅に到着。
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元メトロの01や03がいまや熊本電鉄の顔に。ちょっと前では考えられませんね。
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ほんと、編成が短くなったこと以外は日比谷線の頃のイメージのままですね。
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03-131。行く手に見える、古い木製架線柱とのアンバランスさがなんとも。
2両編成化されたのに、号車番号が以前のまま8号車になってるのもご愛嬌(笑)。
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01系、03系と投入してきたのですから、せっかくだから丸ノ内線の02系(こちらも新型車両2000系への全面置き換えが確定しています)や東西線の05系も貰い受けてみてはどうでしょうかね。「平成時代のメトロ車両が熊本に集結!」というのもネタとしては面白いかもしれません。

ランタンフェスティバル開催中の、九州有数の観光都市・長崎市。
西洋や中国の文化が交錯するエキゾチックタウンとして、全国全世界からたくさんの観光客が集まる魅力的な都市であり、街も活気あふれているわけですが・・・

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実は、長崎市の人口減少率は群を抜いて高いんです。
つい先日、総務省より発表された2018年の人口動態報告によると、長崎市の転出超過数はなんと全国の市町村の中でもワースト1位なんですよね、これが。
実際、2000年の時点で長崎市の人口は43万人程度だったのですが、その後西彼杵郡の三和町や野母崎町、外海町、琴海町など7町も合併したにもかかわらず、現在の市人口は41万5000人程度と、逆に合併前よりも人口が減ってしまっているんです。
人口の減少は全国的な趨勢とはいえ、それでも県庁所在地周辺はまだまだ人口を維持できているところが大多数なんですが、長崎は一方的に減り続けており事態はかなり深刻です。

長崎の場合、基幹産業であった造船不況もさることながら、地形的に平地がほとんどない(市街地の7割以上が斜面地)ことから、新規で住宅開発できる土地が少ないというのもかなりのウィークポイントになっています。
そして、斜面地に這いつくばるかのように広がる古くからの住宅地の道路は極端に狭く、急坂や階段だらけで自動車どころかバイクですら家まで乗り付けられないところも多数あり(消防車や救急車などの緊急車両も入り込めないので防災の面からも問題視されています)、あまりに生活がしにくいことから若者層を中心に人口の流失が止まらない状況です。
観光地としての魅力は最高でも、住みやすさとは別問題である」というのが長崎市の問題点なのでしょうね。

長崎市銭座町付近の風景。
一観光客からしたら「いかにも長崎らしい」とも、「風情がある」ともいえる眺めですが、住民の方々の立場からすると「毎日しんどい」の一言らしいです。
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特に足腰が弱い高齢者の方々や障害を持った方々にとって、この急坂や急階段は生活をするうえで大きな支障となっており、ちょっとした外出すらもままならないことが以前より問題視されていました。
また、他都市では当たり前のように行われている道路の新設・拡張工事も、長崎では勾配・斜面地という地形上の制約や家屋密集による収容事業の難航もあって、道路の整備がなかなか進まないままになっていました。

そこで、これまでとは方向性を変えて、実験的に導入されたのがこれ(↓)です。
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その名も「斜面移送システム」!
急斜面を安全・快適に昇り降りする移動手段として、高齢者などの交通弱者を対象として整備された簡易型モノレール(リフト?)です。
現在、長崎市内にはこの斜面移送システムが天神町、立山、水の浦の3地区に設置されています。

今回ご案内するのは3地区の中で最初(2002年3月24日)に導入された、天神町地区の「てんじんくん」です。
長崎電軌の宝町電停から東側に広がる商業地・住宅地の中へと分け入り、銭座小学校の校庭の前を抜けると浦上街道(時津街道)と交差します。
まさか、こんなところに斜面移送システムの乗り場があるとは思えませんが・・・
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裏路地を奥へと進むとやがて長い階段になりますが、よく見てみると・・・階段の右端に沿って斜面移送システム用の茶色の支柱が!
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ここが階段下の「てんじんくん」乗り場(駅?)です。乗り場は階段の上と下、そして途中の天神町公民館前の3つあります。階段上までの路線長はわずか80m!。
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ちょうど階段上から車両がやってきました。
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確かに懸垂式の簡易モノレールっぽい風情ですが、車両だけ見ると遊園地のゴンドラというか、大昔の丹頂型の電話ボックスというか・・・
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欲を言えば浦上街道との交点あたりが起終点ならば、なお便利そうなんですが。
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簡易型モノレールといえど運行時刻が決まっているわけでもなければそれ専門の作業員がいるわけでもなく、エレベーター同様に乗車するときには各乗り場にて赤ボタンを押して車両を呼び寄せ、乗車したら[上][下]のボタンを押して自ら機体を動かします。そういう意味では「てんじんくん」はモノレールというよりエレベーターに近い乗り物なのかもしれません。

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・・・と、ここまで書いておいてなんですが、残念ながら、私は「てんじんくん」に乗車することはできません。もともとが高齢者や障碍者対策の輸送システムであるため、それに該当した地元の方々だけしか使用できないことになっています(つまり、地元住民といえど健常者の方も乗車することはできません)。
斜面移送システムを使用するためには市役所に使用登録申請し、許可がおりると専用のカードが発行され、呼出操作ボックスや車両のカード差込口にそれを挿入することで各種操作が可能になります。上の操作ボックスにも呼び出しボタンの横にカード挿入口があるのが確認できますね。

てなわけで、「てんじんくん」の階段上の乗り場や公民館前の乗り場を見るためには階段を歩いて昇り降りするしかありません。まぁ、「てんじんくん」の利用者自体はそこそこいるので、車両が作動する様子は難なく観察することができます。
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いくら簡易型の小型モノレールとはいえ、道幅(階段幅)の半分くらいのサイズはあります。
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分速で15mという、超・低速度で急斜面を上下します。健常者ならば普通に歩いて昇り降りしたほうが速いです。
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途中停車地の天神町公民館前です。この辺はたくさんの猫を見かけました。
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いかにも駅(?)らしく、公民館前の軒先にはベンチも設置されています。
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ちなみに、この天神町公民館あたりの地下深くを九州新幹線・西九州ルートが通ることになっています。
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ここで車両についてのお話でも。
この「てんじんくん」はアダチ産業・長田工業・嘉穂製作所・研究開発グループにより建造されました。分速15m(=時速0.9km!)で、最大勾配32度に対応しています。
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車両内部の様子。定員2名となっていますが椅子はひとつ。外扉はなく、安全バーがあるだけです。車いすも折りたためば乗せることが可能です。
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前述のとおり利用者操作による自動運転のため、専用カードを差し込んだあと、[上][下]のボタンを押して車体を制御します。
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「てんじんくん」の終着地点はかなりの山の上。でも、ここからもまだまだ急な階段は続きます。
高齢者が多い地区なのに、ほんと、こりゃ大変ですよ。
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確かにこんな斜面地を日常的に登り下りするのは大変だと思いますので、それなりに利用価値はありそうですね。
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斜面移送システムは長崎ならではのユニークな乗り物ですが、この程度では多数ある交通困難住宅地をカバーするのには全然追いついていないのもまた事実です。
斜面住宅地における住環境改善が進まない限り住民の流失はこれからも続くと思うので、何らかの抜本的な都市計画策定が急務でしょうね。

熊本空港アクセス鉄道

12月というのに20度を超えた日から一転、急に気温が一桁台にまで下がり、ついに冬到来といった今日この頃ですが・・・ 
熊本ではこのようなニュースが飛び込んできました。

※鉄道延伸が期待される熊本空港。もうすぐターミナルビルは改築工事に入ります。
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熊日新聞
熊本空港へJR延伸 知事表明、豊肥線・三里木駅から分岐

産経新聞
熊本空港へ鉄道延伸構想 県、JR九州に提案へ

RKK熊本放送
JR三里木駅から空港アクセス 県が方針示す 

NHK熊本放送局
空港アクセス鉄道延伸を軸に検討


12月5日の県議会において、熊本空港(阿蘇くまもと空港)へのアクセス鉄道についての具体的な方針案が県知事より示されました。
旧来の「健軍飛行場」から高遊原の現在地へ熊本空港が移転したのは1971年。それ以来、空港への交通アクセスの悪さは常に付き纏ってきた議題だったのですが、その解決に向けて一歩前進したことになります。

この鉄道計画、これまで何度も構想が浮上しては消えての繰り返しになっていたのですが、ここ数年インバウンド客を中心とした熊本空港利用者の増加や、空港事業の民営化、新ターミナルの建設など、熊本空港を取り巻く環境が大きく好転していることから、改めて空港アクセス鉄道の可能性が探られることとなり、昨年、県は空港アクセス鉄道に対しての調査研究をリスタートさせました。

その結果、熊本市街地と熊本空港を結ぶ鉄軌道構想のたたき台として「市電延伸」「モノレールの新設」「JR豊肥本線からの分岐新線」の3つの案が比較検討され、“定時性、速達性、および大量輸送性に優れ、事業費を相対的に低く抑えることができ、あわせて採算が見込める” “最も効果的かつ、より早期に実現できる可能性が高い”という点を踏まえ、豊肥本線・三里木駅からの鉄道分岐を軸に計画を進めていくことになったのでした。
建設費的には市電延伸(軌道線規格での新路線建設)が一番安上がりなのですが、輸送力の小ささや速度の遅さ(特に道路上を走る既設の併用軌道区間)がネックであることは明らかですし、モノレールもシステムをゼロから構築しないといけないことから他の2案と比べても事業費が一桁嵩張ってしまうので、確かに費用対効果という点ではJR分岐案が一番理にかなってる気がします。

※空港鉄道の分岐予定駅としてクローズアップされた三里木駅(菊池郡菊陽町津久礼)。
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また、熊本市東区小山にある熊本県民総合運動公園へのアクセス改善が図れることもJR分岐案を選択した理由となっています。
この公園内には屋内運動場の「パークドーム」や、とうとうJ3に降格してしまったロアッソ熊本のホームスタジアムである「KKウイング」(ネーミングライツにより現在は「えがお健康スタジアム」名義)も立地しています。ここではサッカーに限らず稀にコンサートやラグビー等の国際試合も行われたりするのですが、豊肥線の最寄駅(光の森駅)から微妙に離れていたり、空港にも比較的近い割には直行するバス路線が設定されていないなど、こちらも以前よりアクセスの悪さを指摘されていました。

空港アクセス鉄道の予定ルート上に運動公園も立地していることから、ここに駅を設置することで熊本駅や空港からの交通アクセスを抜本的に改善することができるほか、これまで交通の便の悪さから敬遠されていた各種イベントの誘致にも力を入れることができますね。

※パークドームとえがおスタの間の歩道橋から南方向を望む。このあたりに駅ができる?
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予定ルートは三里木から運動公園を経て空港までの約9.8km、という大雑把なことしかわかっていませんが、個人的な想像では三里木を出て、イオン・サンリー菊陽店の敷地付近を抜け、そのまま河岸段丘上から白川を一気に跨いで運動公園東側の熊本木材工業団地あたりを通りパークドームへ到達、そこからは戸島方面まで南下して90度向きを変えて市営桃尾墓園の南側を通ってテクノリサーチパーク〜空港方面へ向かうか、もしくはパークドームからすぐに向きを変えて国体道路東西線もしくは第一空港線に沿って菊陽町道明地区あたりから空港へ至る・・・という感じになるのではないかと思います。
豊肥線から運動公園へ向かうのなら光の森駅からの分岐がよさそうにも思えますが、三里木分岐のほうが土地買収がしやすいのかもしれません。あと、土地の高低差を考えると空港駅は地下に設置されるかもしれませんが(熊本初の地下駅?)、仮にそうなると建設・完成までに時間がかかってしまいそうですね。

しかしながら、鉄道が建設されることによって東区の小山や戸島、菊陽町南部(旧菊池郡白水村エリア)など、現在見渡す限りの畑や平原が広がっている一帯も大規模な住宅・商業開発が進められるかもしれませんね。運動公園以外にも駅が複数設置される可能性も無きにしも非ず。

※三里木駅から肥後大津方面を望む。運動公園・空港へは右手に分岐することになります。
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構想では熊本県を中心とした第3セクター会社を設立して施設を整備・建設し、列車の運行は乗り入れ先のJR九州に委託する上下分離方式になるとされています。空港鉄道の事業費は300億円〜400億円になると想定されていて、国からの補助金を基本に不足分は県費から、さらに相乗効果が見込めるという前提でJR九州にもある程度の負担を求めるようです。

JR九州からすれば降って湧いたかのような話でしょうし、いきなり建設費の一部を出してくれと言われても二つ返事はできないでしょうが、そのJR九州社長は記者会見で「協力要請があれば真摯に受け止め、対応したい」と前向き(?)に語られています。豊肥本線の熊本都市圏エリアは地方都市のローカル線としてはかなりの伸び率を誇る優良区間なのですが、これに空港アクセスやイベント需要が上乗せされるのならJR九州的にも悪い話ではないですしね。
他方、空港へのアクセスが改善されることで大阪へ向かう新幹線と航空との競合(現在、熊本〜京阪神間は航空よりも新幹線のほうがシェアが高くなっています)が激化することが予想されますが、直接的な影響を受けるJR西日本とは違い、良くも悪くも博多までの自社区間しか興味のないJR九州はそこまで気にかけないかもしれません。

むしろ熊本駅前を中心とした“新都心”づくりを目指しているJR九州からすれば、熊本駅の拠点性がますますアップすることに繋がるので、空港アクセスの改善は喜ばしいことではないかと思います。
逆に言えば上通や下通といった既存繁華街側からすれば、アクセス鉄道が街中を通らずに空港から熊本駅まで直行してしまうのは、少なからず人の流れに変化を及ぼすことになりかねず、駅ビルに次いで繁華街の地位を脅かす懸念材料のひとつになりそうです。

※解体進む旧熊本駅舎。写真撮影の時点で駅舎の半分以上が消滅していました。
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ちなみに、アクセス鉄道完成後は熊本駅から熊本空港まで40分程度で結ばれることになるそうです。せっかくならもう少しスピードアップして所要30分くらいまで短縮できればなお良いんですけどね。「空港快速」みたいな種別ができたりすればおもしろいかもですね。


まぁ、ここまで話を膨らませておいてなんですが、熊本空港アクセス鉄道はまだまだ検討の段階に過ぎない話であり、具体的な完成年度もまだ不明です。
ただ、熊本県知事はこの議題についてかなり積極的に話を推し進めているようですし(だからこそ地元メディアはどこもトップレベルでこのニュースを伝えています)、予算配分や運営方式などを含め結構具体的な点まで踏み込んだ内容になっていますので、それこそJRとの調整がつき、かつ予算さえつけばあとは展開が早く進みそう気がしますが・・・
果たして、今後どうなりますやら。


※三里木駅から熊本駅方面を望む。もし空港鉄道が開通したらこの風景は激変するかも。
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先週の西日本大水害で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
慣れない場所で避難をされている方、異常なまでの猛暑の中で復旧・片づけ作業に従事されている方々のご安全を心よりお祈り致します。また、広範囲で断水も続いているようですが、熊本地震の際に長期間同じ経験をした身からすると水が出ないことの大変さはよくわかります。

昨年のちょうど今頃にも朝倉市やうきは市、東峰村、日田市などで大水害が起こり、久大本線の光岡〜日田間に架かる花月川の鉄橋が流失しました。それ以来1年間にわたりこの区間はバスによる代行輸送が続いていたのですが、ようやく昨日(7月14日)新しい橋梁が完成し、ダイヤも復旧しました。

※昨日、日田方面へのドライブついでに架け直された花月川鉄橋も訪れてみました。
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さて、久大本線は復旧しましたが、日田へと向かうもう一つの路線である日田彦山線の添田〜夜明間は現在のところ復活の見通しは全く立っていません。そもそも被災から1年たった今でも鉄道復旧工事すら始まっていないんですよ、これが。

この区間の復旧に70億円もかかることからJR九州は自社単独では負担できないとして、沿線自治体や福岡・大分の両県、さらには国からの支援を要請しているのですが、特に費用負担が重荷となる地元自治体はあまり乗り気ではありません。
仮に線路を復旧させたとしても赤字経営になることは目に見えているため、JRは上下分離方式の導入も要望しているのですが、これも自治体側が難色を示している状態です。
ようは、復旧にかかる費用負担の押し付け合いで話がまとまらず、工事に取り掛かれない状態が延々と続いているわけです。
鉄道事業のリストラにばかり力を入れている現在のJR九州の社長さんは一時、運休区間の鉄道廃止・バス転換を匂わせる発言もしていましたね。

実際、特に被害が大きかった筑前岩屋駅(福岡県朝倉郡東峰村)を先日訪れたのですが、まるで水害が起きた昨年7月から時が止まったかのような荒れ果てた光景が広がっていました。
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流れているのは宝珠山川ですが、水害の時に流れてきた岩や石が川面に多数転がりこんでいます。Googleストリートビューで2013年の同じ地点を見てみると右岸には数軒の家があったようですが、土台の石垣を残して跡形なく姿を消しています。

この宝珠山川の橋の袂に列車代行バスのバス停(スクールバスのバス停も)があります。筑前岩屋の駅からは結構離れていますが、日田方面への利便性はある程度保持されています。一方で岩屋地区は添田〜日田を直行する国道ルートからは外れているので上りの添田へのバスは立ち寄りません(下りは1便のみ岩屋に立ち寄ります)。
ただ、代行バスは所要時間もこれまでより余分にかかり、鉄道ほど時間が正確でもないため利用者数は鉄道時代以上に低迷しているそうです。
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日田彦山線に沿って走る県道52号線の筑前岩屋駅前付近。
この道はここから道幅が狭まり「県道」ならぬ「険道」となって筑豊エリアとの境となる斫石トンネルを目指します。
右側斜面から大量の土石流がこちら側に向かって流れてきた痕跡が生々しく残っていました。ストリートビューにはこの地点に食堂や平屋建ての家が映っているのですが、完全に土石流に飲み込まれてしまっています・・・
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そしてこの地点の川向うには筑前岩屋駅の駅舎が見えているのですが、向こうには渡れません。そう、ここに架かっていたはずの小さなコンクリートの橋も土石流に飲み込まれて流失したままになっています。
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橋がなくなったままなので南側から大きく回り込んで、なんとかたどり着いた筑前岩屋駅。土石流の流路から少しばかり外れていたこともあって1997年に改築された駅舎は無事でした。
(ちなみに隣の大行司駅は土石流に巻き込まれて木造駅舎が消失しています・・・)
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筑前岩屋駅は1956年の開業で、英彦山の南側の登山口や岩屋神社の最寄駅として、また釈迦岳トンネルから引かれた美味しい湧水が飲める駅としても有名でした。
駅舎の周りには岩のオブジェが並んでいますが、もともと岩屋地区には修験道の道場ともなっていた奇岩群もあり、周辺には巨岩巨石が多く存在していたのですが、これらが濁流とともに流れ込んできたのではひとたまりもありませんよね。

ガラスが多用された洒落た駅舎からホーム側へと出てみると全体的に土砂で埋まってる感じです。
駅舎の隣にあったはずのプレハブ小屋はぎりぎり土石流の流路にかかってしまい、綺麗さっぱり流されて消えてしまっています。
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ホームの先端から奥に見えている釈迦岳トンネルの入口までの間は岩や土砂で完全に線路が埋まっています。土石流の凄まじさをまざまざと感じさせてくれます。
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ホームの下にあるはずの線路は土砂で埋まり、「釈迦岳トンネル慰霊碑」の表示板が転がっていました。
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筑前岩屋駅のすぐ北側に見えている釈迦岳トンネルは全長4379m。筑豊エリアと日田・朝倉エリアを分けていることもあって、1956年の完成当時は鉄道トンネルとしては九州最長でした。
難工事であったことから建設中に29名もの殉職者が出たため、その慰霊碑が山肌に建てられたのですが、碑は果たして無事なんでしょうか・・・

夜明・日田方面の眺め。例によって錆びた線路が土砂で埋没してます・・・
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砂にまみれた座布団が物悲しい、ホーム上の待合所。
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これまでもローカル線が災害により運行休止→復旧費用が出せずになし崩し的に廃線、という流れが全国各地で何度も繰り返されてきました。記憶に新しいところだと高千穂鉄道も水害からの復旧ができずに「さよなら運行」すらすることもなくそのまま廃線となってしまいました。

鉄道が自然災害で被災した際には国などからの復旧費用の一部補助金が出るのですが、これは主に経営が苦しい赤字基盤の鉄道会社に対する制度であって、“黒字経営ではあるものの鉄道復旧費用までは簡単には出せない”鉄道会社に対する補助制度は手薄なものしかありませんでした。そのため、東日本大震災で被災した鉄道のうち、赤字経営だった三陸鉄道は国から補助がでたことで早々と復活したのに対し、黒字経営のJR東日本の各路線は補助が下りずにいつまでも復旧できないという矛盾を抱えていました。
ようやく最近になって黒字経営の鉄道会社も一定の条件を満たせば国と自治体が復旧費用の最大4分の1ずつを支援するという改正鉄道軌道整備法が成立し、鉄道復旧事業の弾力化が図られることになりました。
鉄道事業の将来性を見通せない中で、鉄道や公共交通機関支援スキームのさらなる構築も必要なのかもしれませんね。

※有名な筑前岩屋〜大行司間の鉄道アーチ橋。近代土木遺産にも認定されました。
ここを再び列車が通るのはいつのことになるのでしょうか?
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