【YUAの心】

2019年は、池袋サンシャインシティのレポートを中心にお届けしました

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666記事です。
訪問者20000人突破の記事に、「この記事数までは続けよう」と目標にしていた
656記事、最近何かと「記念記事」が多くてうんざり…と、ひんしゅくをかいそうなYUAですが、今回は趣を変えまして自伝を掲載しておきます。
おそらく、今までにない長文なので、さらにひんしゅくでしょう…(笑)
お時間のあるお方、おつきあいいただければと思います。

一応実話でして、今はどうかは分かりませんし、全部の会社がそうだとも言いきれませんが当時のアニメーション制作会社の実体は、はっきり言ってひどいものでした。でも、これも人生経験だと思います。
なお、文中に登場する、杉並児童合唱団の創者でもあり指導者の、志水隆先生は昨年9月に亡くなられています。


もしも海が空ならば

今、育てているワスレナグサが満開、風にゆれて花盛りです。デルフィニウムやミヤマホタルカズラの深い青が海の色なら、ワスレナグサやネモフィラの青はきっと、空の色かもしれない……。


1987年2月。私は卒業制作に追われていた。
芸術関係の学校だったので、論文ではなくて卒制。
グループで一本のアニメーション作品を作っていたのだが、原案、脚本、絵コンテ、果ては主役の声優まで担当していた私は、寝る時間もなかった。

さらにそれに並行して、今でいう就活をしていた。
私はいわゆる、一般的なキャラクターのアニメーションは好まなかった。
「まんがこども文庫」という作品が大好きで、その月ごとに変わるEDアニメを担当していた、児玉喬夫氏のようなアニメ作家になりたかった。
そしていつか「NHKみんなのうた」で、作詞・作曲・歌・アニメーションをすべて担当したいと思ってた。

本音を言うと、児玉氏の弟子になりたかった。でも、さすがにそれはあつかましすぎる。まずは修業しないと。
児玉氏の知り合いが創立したアニメ制作会社を紹介してもらった。同じ浦和市内の亜細亜堂という会社。埼玉大学の近く。
「まんがこども文庫」制作にも協力していたし「日本昔ばなし」もやっているし、どちらかというと、ファミリー向け作品が多い。自分に合っているかもしれない。

しかし、紹介であっさり入社できるほど甘くない。実技試験を受けなければならない。当時、弟の友達のお姉さんもそこで仕事をしていて、お話を伺うことができた。
自信はあった。学校での成績は良かったし、何よりも児玉氏の紹介であり、知り合いの先輩もいる。
よせばいいのに友達も誘って4人で試験を受けた。
確かに手応えはあったし、自分の手がけた作品がテレビ放映される未来を想い描いていた。数日後、郵便物が届いた。

同封されていたのは履歴書で、不採用の通知だった。目の前が真っ暗になった。
児玉氏には申し訳ない。友達はどうなっただろう?
結果は2人受かり、自分を含む2人が落ちたということだった。
受かったうちの1人は、断わってしまったらしい。ふざけるな
もう1人はこう言ってはなんだが、決して絵が上手いとは思えなかった。なぜ彼女が受かって私が……。納得がいかない。私は学校帰りの京浜東北線の中で泣いた。
ワーワー泣いた。恥ずかしかったけど泣いた。みんな見ていたけれど泣いた。

募集は隋時だったので、傾向と対策を万全にして、再び試験を受けた。
今度こそイケる!絶対大丈夫!
結果は…同じだった。人生初めての挫折だったかもしれない。
この会社に自分は、必要ないんだ。
並行して、もうひとつ大塚にある制作会社を受けた。当時、やっぱり好きな作品を手掛けていた。自信作を持参し、面接でも意欲を見せた。しかし…担当の方にかなり
厳しいことを言われた。幼い頃、その方のデザインされたキャラクターや演出が好きだった。その、ひとりのファンとしての気持ちは伝えられなかった。結果は……
言うまでもない。

まずい。このままでは就職浪人してしまう!卒業が迫っている。
仕方なく学校の就職課に相談したら、アニメの背景会社が制作進行を募集しているという。直接、絵を描く仕事ではないので、作品も試験も必要ない。さっそく面接に行き、なんとその場であっさり決まってしまった。場所は杉並区 西荻窪!!!
実は私は、この地を訪ねたことが何度かあった。歌声が大好きで、今でも演奏会にかけつける「杉並児童合唱団」発祥の地である。何という偶然

しかし、それがかえって自分を苦しめることになる。通うには余りにも遠い。
駅からも15分以上歩く。交通費はほとんど出ない。休日出勤や残業は当たり前で、手当もい。
保険も自分で国民健康保険に入れだと!? 仕事が押して泊まる人も多い。
税務署が調べに来るからと
、17時になるとカモフラージュのためにタイムカードをまとめて押す。社長がワンマンで気分次第で、当たり散らす。
私は、銀行に行ったり、下請けに出している作品を受け取りに外出できるのが、せめてもの息抜きだった
そのついでに、杉並児童合唱団の事務所に赴き、志水隆先生(指揮者)とお話ししたこともあった。中学生の時からの杉児ファンの私は、大歓迎された。

その事務所に向かう途中に花屋があった。水色のワスレナグサが150円で売っていた。今は買えない。明日、閉店前に寄れたら買って帰ろう。
次の日、私は花屋に急いだ。そしてその場に立ちつくしてしまった。
あんなにあったワスレナグサがない。たった1日で売り切れてしまったのだろうか。
思い切ってお店の人にたずねた。なんでも他の店に持って行ってしまったそうだ。
がっかりした。その行き先がどこだか、訊いておけばよかったのかもしれないが。
ずっとずっと、ワスレナグサが欲しかった。

それからすぐ、五月の終わりに私は、大好きな杉並区を去ることになる。
もう、限界だ。他人のミスを自分のせいにされる、指示に一貫性がない、ついには日曜日も休めない……。
何が日本のアニメはレベルが高いだっっ
少なくともこの会社は腐っているそれが人気の「めぞん一刻」や「あんみつ姫」の背景を手掛けているなんて!
私にとって、アニメーションってなんだろう?
もっとわくわくして、楽しいものだったはず。これが現実の舞台裏なのか。
もう、アニメは見るだけでいい。児玉さんごめんね……
身も心もボロボロになった、20歳の挫折の春だった。



――そして四半世紀もの月日が流れた。
種から育てたワスレナグサを愛で、やはり、もうアニメーションは辞めてしまい画家一筋、今も元気な児玉喬夫氏の作品展に伺い、そして何よりも自分の中には新たな目標が宿っている。
ワスレナグサの季節も、もうすぐ終わってしまう
種を残して、水色の花びらは今にもの空の色に、溶けてしまいそうだった
そしてきっと、いつかは空は海といっしょになるのだ。

(※この文章は2年前に友人にあてて書いたエッセイを、今回の掲載にあたり加筆・修正したものです
(児玉喬夫さんは2017年4月〜「ふるさとめぐり日本の昔ばなし」テレビ東京系の、オープニングの演出・コンテを担当されています)

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