【YUAの心】

2019年は、池袋サンシャインシティのレポートを中心にお届けしました

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リアルタイムではないけれど、これは絶対記録として残しておこうと思った。(長文)Facebookからの転載です。

2019年5月28日(火)のこと。私は作曲家の平吉毅州さん宅に、21年目の命日なので深紅のバラの花束をお届けし、アンカーヒアで食事をしたあと、急いで池袋に向かった。
とにかく池袋に行きたかった。その日で池袋は5日連続だったけれど、それはもう何かに憑かれたように急いだ。

まず、サンシャインシティで向かったのは展望台ではなく、水族館だった。なぜか水族館の気分だった。私は魚や海の生物を見るのが大好きなのだ。ちょうど「沖縄めんそーれフェスタ」のイベント中で、アシカショーも、沖縄仕様なのが楽しい。天空のペンギンやコツメカワウソを野外で見たあと、屋内の水族館へ。

中では、沖縄の珊瑚礁の海に潜る体験ができるVRが期間限定でやっていて、試してみることにした。専用のメガネとヘッドホンをつけると、目の前にまるで沖縄の青い海の海底が広がっていた。私は途中で、ハッとして気がついた。平吉毅州氏の還っていった散骨場所は、沖縄の海ではなかったのか!
どうやら、この水族館で珊瑚を育て増殖して、また海に返そうという、プロジェクトのPRも兼ねていたらしい。

マンボウはいなかった。死んでしまったのだろうか。でも、エイがいた。慶良間諸島にいるような。ここは都会の真ん中なのに、広い海に想いを馳せざるをえない。水族館を見終わって「へんないきもの展」も見た。

そして、年パスを持っているサンシャイン60展望台「SKY CIRCUS」へ。そういえば私、サーカスというコーラスグループが好きだったな。アメリカンフィーリングとか。それも40年前の1979年だったか!

分速600m(つまり時速だと36km)の、かつて声優の、三石琴乃さんも働いていたという超高速エレベーターで、あっというまに最上階に到着。エレベーターの中のBGM、すごくいい!40年前のオープン当時とは違うと思うけれど、カッコいい。かつては、このエレベーターBGMと少し似ている、フジテレビのニュースのBGM聴きたさに、わざわざニュースを見ていたというぐらい!

展望台で、私が一番気に入っている風景は西側の、池袋駅方面だった。私はそこに足早に行ったのだった。池袋駅が見えた。いつも見ていた駅。西武とパルコと東武。
実は私はずっとずっと気になっていて、バラを持っていったときに平吉さんの奥様に、ついに訊いたことがあった。以前に新聞の訃報記事を調べたときに、亡くなったのは豊島区だと記してあったからだった。
「亡くなった病院は、もしかしたら池袋かもしれない」
いつからか、勝手にそう思っていた。
「それは、気持ちは分かるが思い込みだよ。豊島区だって広いのだから」
「いや、きっと池袋だ。池袋には何かエネルギーが流れている」
「考えすぎだよ」
自分ともうひとりの影の自分が、延々と会話をしている。
結果は──奥様いわく……

「紹介してもらった、池袋の病院よ。もうないかもね。サンシャインとは逆のほうの」
奥様から、まさか「サンシャイン」という単語が出たのも意外だった。でも、戦争経験者は、この場所をきっと、よくは思っていないに違いない。ある意味、戦犯が処刑された拘置所跡地ということは、負のランドマークなのだから、その事には触れられない。

この日の展望台は、とてもすいていて、そしてたまたま顔見知りのスタッフのかたもいなかった。
私はひとりで、西側の窓枠に項垂れて、泣いた。今までの、様々な想いが溢れてきた。平吉さんの最期の終焉の場所になったであろう池袋駅の西口方面を見ながら、もう泣くしかなかった。時々、外を見ながら涙している変な自分を気にして、通りすぎていく人もいたが、関係なかった。
そもそも、展望台が「SKY CIRCUS」としてリニューアルして、一周年のカフェの記念メニューとして「mokumoku 気球パフェ」の広告を埼京線で見て、しばらくご無沙汰していた、この展望台に来るきっかけになったのではなかったのか!

そして、専門店街アルパの噴水広場。私は40年前にはここの歌を作ってうたい、テレビ出演まで果たした。そのときちょうど同じ時期に「まんがこども文庫」というアニメのエンディング主題歌で流れていたのが「ふんすい」という歌。平吉毅州作曲の、数少ないアニメソング。映像担当は、一番尊敬しているアニメクリエイター及び画家の、児玉喬夫氏。

池袋 サンシャインシティという場所は、私の人生をも変えるエネルギーが、きっと絶対に流れていると信じる。
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🎵 輝く太陽の都市(まち)…〜は、私のオリジナルソング『新しい夜明け』(サンシャインシティ40周年イメージソング)のサビです。

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天空の城 ラピュタのテーマ『君をのせて』では
🎵たくさんの灯が懐かしいのは、あのどれかひとつに君がいるから〜
であるが、ここも天空のようなものであり、その歌のとおりだったのだ。
西側の窓から、池袋駅方面を望む。

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展望台リニューアル一周年の期間限定「mokumoku気球パフェ」
でも、考えてみたらなんで展望台で、気球なの?飛行船らしきものは、VRのスウィングコースターに出てきたけど。

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沖縄県立芸術大学は、平吉氏の最期の赴任地だった。
散骨場所は、慶良間(けらま)諸島の珊瑚礁の海。

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第11回 井沢学園発表会

長女が幼少のころから、ずっとピアノを習い続けている、幼稚園での二年に一度の発表会。
小学生の生徒さんが『海の伝説』『真夜中の火祭』『踏まれた猫の逆転』といった、平吉さんのピアノ曲を弾いていたのが、妙に嬉しかった!

そして、今日を最後に三歳のときから丸14年間、習ってきたピアノを辞める日でもある。オオトリの長女の曲目は
フォーレ作曲『シチリアーノ』
頑張りました!よく続けたと感心

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イオンモールまで行った。
買い物のためでもあるが、池袋に行けない日は、イオンの屋上からサンシャイン60を眺めるためでもある💦もう、どうしようもない(笑)
池袋行きたい病は重症。

お昼は、近くの「からやま」にした。ごはんを大盛りにするか、聞き直された。大盛りだって言ってるでしょーが!
体型で判断しないでほしい!

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アンカーヒアにて

5月28日は平吉毅州氏の21年目の命日。お好きだったという、深紅のバラをお届けしてきました。

お昼は氏も常連だったという桐朋学園前の、レストラン アンカーヒアにて、唐揚げランチ。リニューアルしたけど、変わらない美味しさ!
このあとは、5日連続の池袋(笑)へ向かった私でした。

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21年目の 五月の終わり

サヨナラ サヨナラ…
私は、還ります。南の風になって。
それでも、ずっと心に懐いていきます。

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平吉毅州(ひらよし たけくに) 作曲家1998年5月28日(木)午前2:20 逝去 享年61
(偶然にもNo.2222記事)

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