平吉毅州ファンブログ【YUAの心】

夜になっても ずっと水平線は明るさを ほのかにそっと 残している

ふるさとを 訪ねる

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埼玉県立図書館跡地

現在、床に伏している。
あんまりプライベートなことをSNSなどに載せたくはないのだけれど、テレビはほとんど見ないし、外出できないので大雪の状況も実はよくわからない。

連れ合いと長女が、食事の支度をしてくれるのが何より。でも、ここ数日水分しか口にしてないんだよね。自分の場合、今より体重落ちたら、実体がなくなってしまうよ。

なんと、歴史のある埼玉会館の隣にあった県立図書館がなくなってしまったそうだ。小学生のころ、よく借りにいったことが懐かしい。
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1月19日撮影

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キノコを見つけた

与野公園で見つけたキノコ。
種類が分からなくて、残念!よく見かけるキノコのほとんどが、食べられるそうです。

子どものころも、与野公園などで、よくキノコや苔を見つけていた気がします。
視点が低かったから、なおさらでしょうね。
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7月です。早いです。
そして、本日でこのブログに記事を投稿しはじめて、毎日更新し、4年になりました!
公開範囲によって見えかたは違うと思いますが、手元ではちょうど1500記事です。

そして念願の園芸店に、ついに伺いました!
与野公園からほど近い(駅からは遠い…)私のふるさとの地元で、新大宮バイパス沿いです。

もともとは、きっと農家だったのだと思います。とても、センスのいい個性が感じられるお店でした。そして、私が探していたり、思い出のある植物が売っていたのも、ポイントが高くうれしかったです‼
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お持ち帰りしたもの。
手前右の「パープルクランベリー」(実際はクランベリーの仲間ではないと思われる。キキョウ科だった)と奥の多肉ペペロミア「グラベオレンス」(コショウ科)が素晴らしい!しかも、安かった!模様のある葉は「ペリオニア」(イラクサ科)

※追記:またこの二日後に伺って、グラべオレンスをもう一鉢、買ってきてしまいました。炎天下を駅から20分も歩いて、死ぬかと思った。
ちなみに初めて熱中症(当時は日射病と言った)になったのも、幼少のころ暮らしてた与野だった。歴史を繰り返してしまうとこだった〜!

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蕨駅東口界隈を歩く

同じ京浜東北線の沿いのふるさと、与野(よの)を訪ねたのをきっかけに、今度は3歳の12月まで住んでいた蕨(わらび)駅近辺を訪ねてみました。

実はこちらの場所のほうが、記憶が曖昧です。
与野は中学3年まで母の実家があったので、それだけよく訪ねたのですが蕨となると、まるで行く機会がありませんでした。

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JR京浜東北線 蕨駅東口
蕨といえども、東口は川口市です。


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私が小さいころにできた、東武ストアは健在!





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この交差点、なんか憶えがあるよ!


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母に手を引かれてとおった、商店街
当時は視線が低かったので、見え方が違う。


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ここだ、ここ!
この公園の場所に、長屋建ての社宅があった。

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この藤棚は、記憶にないなぁ…

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この、ブロック塀、うちの庭の一部だったかもしれない。

今回、蕨をたずねてみて、意外と与野ほど変わってなかったのにはどこか安堵しました。やっぱりかつて、小さいころの自分がこの場所に暮らしていたんだと思うと、とても不思議な気持ちです。

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1年ぶりに与野(よの)を訪ねました。昨年も与野公園に行きましたが、与野在住の遠い親戚のおじさんが亡くなったことも、きっかけです。
急に自分のふるさとに、行ってみたくなったのです。

今回も、JR埼京線の与野本町駅で降りて、与野公園に行き、駅前通りや母の実家のあった場所を通り、JR京浜東北線与野駅に向かう〜という、ルートです。


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小雨の降る中、一人で想い出をたどりながら歩きました。
与野本町駅東口。
昔、ここに「マルエツ」がありました。
よく、祖母(おばあちゃん)と買い物にきたものです。



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与野市(いや、今はさいたま市中央区ですが)の花は、
なんと、バラなのですね
 橋の欄干にもバラの装飾が!


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中央区役所。(もと、与野市役所)そして消防署。
この通りで、毎年11月下旬に「物産展」があって、
いとこたちと楽しんだものです。

ここの公園でも、よく遊びました。SLは、今でも置いてありました。


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こちらにも小さい公園がありましたが、駐車場になってしまっていました。


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小学校1年のときに、自転車でぶつかった電柱
初めて補助輪なしの自転車に乗れたのも、なぜが与野ででした。
そのときの傷が、右ひざに残ります。
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ここのお宅と、馬の銅像は小さいころに見たものと、変わらぬままでした。
まだ私は、2歳か3歳でしたが、じいちゃん(母方の祖父)と
「お馬がいるねぇ」と散歩したのが、とても懐かしかった。


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この、ケヤキの木も昔のままです。
いとこたちと遊んだ原っぱは、薮になっていましたが、残っていました。

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いつも、母の実家、おばあちゃんの家の窓から見ていた工場。
手前は畑と原っぱでしたが、今は駐車場です。

おばあちゃんの家があった場所には新しい家が建ち、知らない人が暮らしているというのが、未だに理解できません。なんか、変な気持ちです。
自分がそこで確かに過ごしたという時間、それはその後に過ぎ去った時間などより、かなり短いというのに、「与野」の自分の中にある時間はきっと、ずっと止まったままなのでしょう。


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与野駅西口に着く頃には、薄暗くなってきました。
奥に見える葬儀センターの場所に、私の生まれたアパートがありました。
手前の薬局は、当時はいわゆる街の小さな薬屋さんで、大家さんだったとのことです。

今回、おじさんの家にはあえて寄りませんでした。また、日を改めたいと思います。
医院や銀行、そして寺院などの場所は昔のままでした。

「与野公園」の散策については、明日以降に綴りたいと思います。



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