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法律脳
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・ひとへに風の前の塵に同じ。

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  「故郷・・・戦前のこと」


  昭和12年に確か支那事変(日中戦争)が始まったと思います。
 この頃は私は小学校の上中学年だったと思います。
 支那事変は勿論戦争ですが日本が常に勝利していたせいか、全く戦争を感じませんでした。
 内地では普通の生活が行われていたものと思います。戦果が上ると市を上げて提灯行列が行われ、
 皆が,万歳々と叫びながら街中を行進(歩き回る)しました。この光景が今も目に浮かびます。
 この長岡市が昭和20年の長岡大空襲により殆ど壊滅してしまうことは、
 その当時には誰一人想像もできなかったでしよう。

  時折、出征兵士を送る行事が市の所々で行われていました。
 出征される方々は勿論色々な思いがあり、そのまま帰らぬ人となった方々もおられると思いますが、
 この行事も子供達にとってもとても華やかなものでした。
 今まで普通の“おじさん”だった人が急に軍服を着て襷がけして
 大勢の人達に敬礼挨拶をしていた姿を思い浮かべます。
 すごいなあと子供心にも思いました。

  なお、出征兵士の襟章は真赤で星が1つもないものでしたが、
 これに星や筋がつくと偉い人になるのだと思っていました。
 私はこの位と襟章については陸海軍ともよく知っていた子供であったことを思い出します。

  出征とは反対に、戦死した人のお迎えの儀式が市を上げて行われました。
 各小学生も長岡の駅から真直に伸びる道路(大手道路と言っていたと思います)の両側に並んで、
 白箱の慰霊に深く頭を下げてお迎え及びお送りしました。
 白箱の数は少なくともいつも10個以上はあったように思います。
 出征行事と慰霊迎え行事とが混同し、子供心にも複雑な思いがしたことをよく覚えています。
 当時はこのような行事が普通に行われていたことを思うと今日の平和がつくづく有難く思います。

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    それでわっ。

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    [ キャバ嬢★ミサキ★ ]

    2008/4/18(金) 午後 3:33

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