ここから本文です
法律脳
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり・・・ひとへに風の前の塵に同じ。

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

イメージ 1

 「少年死罪」

  4人を殺害して実名で指名手配された永山則夫は当時19才。
 僅かな金銭を奪う目的で生命を奪った。極めて卑劣ではあった。
 
  途中の経緯は省くとして、死刑が決まった後の獄中での心境の変化が特異。
 生育環境が劣悪で、教育も受けず、両親の愛情は皆無。

  獄中で独学で識学能力を獲得し、執筆活動を通して自己を回帰している。
 「無知の涙」や文学賞を受賞した「木橋」。

  最終的には真摯な反省・謝罪・贖罪の境地に到達した。
 死刑囚としては希有な存在だった。

  無知ゆえに、極貧ゆえに、自尊感情を形成できずに犯した犯罪・・・。

  死刑執行後、遺骨の引き取りは親族が拒否。担当弁護士が引き取った。

 ★☆★☆★☆★☆

  光市母子殺害事件の少年犯行当時18歳と30日。死刑判決が出た。
 
 「永山基準」がある。「前科」「年齢」「被害者の数」「犯行動機」他・・・
 
  この判例を大きく覆す判決だった。

  永山則夫とこの少年の犯罪、比べる術もない。

  時代背景が全く異質であり、動機も不可思議・・・?

  この二人の少年の人間としての本質がすでに違っている。
  (取りあえず、今のところとしよう)

  「ドラえもん」や「魔界転生」は少なくとも、永山の獄中ノートから甦る

  肉声と慟哭の中には存在しない。

  それと20人もの弁護団も永山の前にはいない。

  この少年の遺骨は誰が引き取るのだろうか・・・

イメージ 1

  
  「故郷・・・進路は何処」

  昭和19年に私は中学を卒業(正確には四学年修了)することになりましたが、
 その時期には丁度、東大生等の文科系の学生の学徒出陣がありました。
 この時の明治神宮での行進は今でも時々テレビ等で写し出されています。
 先生方は我々に対し、これから文科系に進むと学徒出陣の対象となると言い、
 理科系に進むことを勧めていました。

  また、東京は危ないから地方の学校に進むのが安全であると強調していました。
 親心と思います。一方、同級生の中では海兵,陸士に行く人も大勢いました。
 私も軍人にあこがれていましたが、軍人になるには身長5尺5寸(約165cm)で、 裸眼1.2で、かつ難しい試験に合格しなければなりませんでした。

  勉強の方はともかくして身体の条件に当て嵌まらず断念せざるを得ませんでした。
 前記の先生の進めもあり、卑怯と思いましたが故郷の工科系の高等学校に進みました。

  自分が理系なのか文系なのかを考えることなく
 以後の進む道を決めてしまいましたことを後悔しておりますが、
 これも私に定められた運命の分岐点の1つだとあきらめています。
 この時代に自分の意志をもって自分の望む道に進んだ友人に対して
 尊敬の念を今でも持っています。

全1ページ

[1]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事