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島暮らし満喫‥韓国との交流の島 Tsushima island
『国境』を超える“民際交流”

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映画監督でもある田村悟史さんは東京都新宿の出身
私たち世代が体験した経済急成長の時代、価値ある“残像”となるべきものを破壊してきたのではないかという思いが彼を田舎へ駆り立てた‥‥東京のど真ん中でも、片隅の山野でも人の“孤独感”は同じだという

そして福岡県と大分県の県境にある宝珠山村に仕事場を移した
メンバーといっしょに起業したのは“手仕事舎”、廃校を活用している
廃校はただの古い建物ではない、そこには大事な残像が残されているととらえている‥‥
記録映画を作ったり、“小劇場”で上映したり、音楽を聴いたりすることで交流の場を提供し、“失われつつある残像を記録すること”に挑戦している
既に「宝珠山村日記」も完成している

古い電蓄でクラシックやジャズのレコードを回す‥‥収集したレコードは7万枚に及ぶという‥‥


彼と初めて会ったのは10年ほど前のことだった
知人を頼って5〜6名の仲間といっしょに対馬見学に来た
公民館長だった私を訪れてくれ、一行の案内することになった

そして案内した場所が半井桃水(なからいとうすい)の生家‥‥
桃水の父は対馬藩医で、平屋造りの屋敷の周囲は苔むした高い石垣に囲まれていた
主なき屋敷内は庭草が伸び放題、梁は傾き、瓦は落ちて、あばら家の状態だった‥‥

幕末期、桃水は釜山にある倭館の撤収作業をしていた父に同行して釜山で暮らしていた
やがて半日運動がおこる‥‥桃水朝日新聞の海外派遣第一号としてはその状況を逐一リポートした
桃水はまた新聞に連載小説を書く流行作家でもあった
小説家樋口一葉の師匠でもあり、恋人でもあったのだ

一目この屋敷を見た田村さんは即座に携帯を取り出し東京の知人に“生家発見”を連絡した
知人は一葉の研究家だった‥‥

「この屋敷をなんとか保存できないものだろうか‥‥」

その一言が胸の深部に残った‥‥


そののち、役所で再建の空気が高まり、地域を巻き込んで“伝統的街並み”の再建、保存に乗り出すことになった
地域との懇談会や会議が続けれられ、充分なコンセンサスを得ながら“街づくり”は進んだ
そして遂に“桃水生家”が復元され、崩れかけていた石垣や門も修復された

生家は“半井桃水館”となって資料が収集され、館は地域の子供たちの“読み聞かせ”や“遊びの場”として有効に活動される一方、老人たちも囲碁や将棋の場所として集まっている
このスペースが多世代間の交流ができる“憩いとゆとりの場”を提供している意味は大きい

そして、このことが住民運動の核になり、通り全体の修景作業へと発展していった
ミニパークが確保され、現在では舗道の整備も進んでいる


先週、ハワイから一人旅で来島した人をこの館にご案内しているときに携帯がなった
田村さんからの懐かしい電話
年賀状やイベント情報をいただいていたのだが、住所録を壊してしまいしばらく疎遠になっていた〜
宝珠山村も合併で東峰村に変わったので役場に消息をたずねていたのだ
ようやく再建できたこの生家と街づくりを彼に報告したかった‥‥

実に、good timing 〜、事情を説明すると、外人さんも喜んでくれた

そして今日、墨痕鮮やかな達筆の封書が届いた‥‥
封書には“手仕事舎”の校舎の写真と、活動の様子を書いた雑誌記事が同封されていた


人のお付き合いはおもしろい‥‥
彼の指摘がなかったら‥‥“生家”は崩壊して跡形もなくなっていたのかもしれない
ものごとを客観的に見る目が必要だ
“井の中の蛙”はその価値に気付くのに鈍感だ


完成した館とこの地域の写真を送る約束になっている
田村監督の喜ぶ顔が目に浮かぶよう‥‥
一葉もきっと目を細めていてくれることだろう


世の中にはすばらしい仕事をコツコツと積み重ねている人がいる
そのうちに宝珠山村の“手仕事舎”を訪れてみたいものだと思っている


(写真:送ってもらった雑誌記事、当時の桃水生家、新装なった半井桃水館)

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