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島暮らし満喫‥韓国との交流の島 Tsushima island
『国境』を超える“民際交流”

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アマゾンで書籍を調べているうちに、『朝鮮紀行』という本が目につきました
英国女性旅行家イザベラ・バードが
1894年に李朝末期の朝鮮各地をを旅した記録です

昔の暮らしを客観的な立場で見る
思い込みや、想像だけでなく、率直な紀行記録から時代をタイムスリップしてみる
これは大事なことだと思います

この本を一旦『買物カート』に入れたのですが、
 “こんな本もあります”  とほかの本の紹介がありました

敬愛する民俗学者の宮本常一先生が書いた『イザベラ・バードの旅』
それに、イザベラの『日本奥地紀行』
いずれも興味を引く貴重な書籍です
3冊とも注文しました

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『日本奥地紀行』をパラパラとめくると、
今では見かけることのない奇異な挿絵がいくつか目に入りました
それだけでも、非常な興味を掻き立てられて、読み進めることに〜
日本列島の原民族ではないかと考えているアイヌ民族との接触があって
興味津々だったからです

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内容は非常におもしろいのですが、なにせ、読書にもエネルギーを費やします
食欲が出なくて、エネルギー補給をしている身にはつらいものがあります

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急ぐ必要もないので、ボチボチ読み進めることにしましょう〜

イザベラの観察は克明で、記述は実に詳細で
まさに、ビデオで現場を追体験しているような描写が続きます

久しぶりに、おもしろい本です〜!

一昨日、ドライブしながらラジオを聴いていると興味ある放送がありました

 “乾電池は日本人が発明した”  というビックリ内容です
乾電池はてっきりアメリカの発明だろうと思っていました〜

もともと、 “乾電池”  という名称は “乾いた電池”  というのに、
なんの違和感もなく使ってきました

文久3年(1864)に新潟県長岡市に生まれた
屋井先蔵(やいさきぞう)という人が発明者でした〜!

先蔵が何かの現場に着いたとき、少し約束の時間に遅れたという逸話‥‥
それまでに時計はあったもののゼンマイ仕掛けだったので、
多少の誤差は当たり前の世界でした
先蔵はなんとかこの “誤差”  をなくしたい、これが発明の原動力だったとのこと

それまでの電池は
ガラス容器に液体状の電解液を封入した液体の “ルクランシェ”  という電池で、
持ち回れるものではありませんでした

そこで先蔵は、液体ではなく、 “乾いた電池”  の開発に取り組み
明治18年(1887)、まだ21歳という若さで発明に成功しました〜!
日本ではその発明がビッグニュースにはならなかったようですが
万国博覧会で世界に名前を知られることになったということです〜!

すごいですね〜! 日本人〜!
(^_^.)


身辺を見まわしただけでも、 “なかったら困るもの”  がたくさんあります〜!

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 “カッター・ナイフ”  が日本人の発明というのは知っていたのですが
気になったので、日本人が発明したものを調べてみました

なんと、なんと、たくさんの発明品がありました〜!

『 インスタント・コーヒー 』 1899年 加藤サトリ
『 シャープ・ペンシル 』   1915年 早川徳次 
『 ブラウン管テレビ 』    1926年 高柳健次郎
『 八木アンテナ 』      1926年 八木秀次
『 胃カメラ 』        1950年 宇治達郎・杉浦睦夫・深海正治 
『 電気炊飯器 』       1955年 三並義忠 
『 カッターナイフ 』     1956年 岡田良男
『 インスタント・ラーメン 』 1958年 安藤百福(日清食品創業者)
『 シュレッダー 』      1960年 高木禮二 (明光商会の前社長)
『 新幹線 』         1964年 国鉄
『 光ファイバー 』      1964年 西澤潤一
『 自動改札機 』       1967年 立石電機(現在のオムロン)
『 レトルト食品 』      1968年 大塚食品
『 カラオケ 』        1971年 井上大佑
『 VHS 』            1976年 日本ビクター
『 ウォークマン 』      1979年 ソニー
『 ウォシュレット 』     1980年 TOTO
『 カーナビゲーション 』   1981年 ホンダ自動車
『 フラッシュメモリー 』   1984年 舛岡富士雄
『 CD-R 』          1988年 太陽誘電

ちょっと調べてみるだけで、こんなんもあったんです〜!

世界市場に出まわている商品の数は膨大な種類に及びますから
決して多い発明ではないかもしれませんが‥‥
これだけの “人類の進歩”  に有意義な商品開発ができたということは
やはり、すばらしい偉業だと思います〜!

廻りから指摘されないと、その価値に気づかないこともあります
 “対馬の位置と歴史の意義”  も、しっかり認識しておくべきだと思います〜!


(ウィキペディア)
越後長岡藩士屋井家(300石)の出身(現在の新潟県長岡市)。6歳で父が死去し叔父に引き取られた。13歳で時計店の丁稚となるも、病気のため帰郷。修理工として年季奉公した後、東京高等工業学校(現:東京工業大学)入学を志望したが受験に2度失敗し、それからの3年間は独力で永久自動機等の研究を続けた。
その後、東京物理学校(現:東京理科大学)の実験所付属の職工として専門知識を学んだ。そしてついに独自の屋井乾電池を発明した。しかし、国内的にはあまり注目されず、むしろ万国博覧会出品で乾電池の存在が国際的に認知されることとなったが、発明者が屋井先蔵であることが知られるのはしばらく後の事になった。

小雨模様でしたが、交流センターで映画を観てきました〜!
日本とトルコとの共同制作『海難1890』という映画です
外人のタレントさんは全く知りません‥‥
日本人出演者は、
内野聖陽、忽那汐里、夏川結衣、小澤征悦、永島敏行、竹中直人、笹島高史
企画・監督が田中光敏、小松江里子の脚本です

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観客は少なかったのですが、感動的な内容で、涙腺の緩いミッキーは
つい涙してしまいました〜!

話は1890年(明治23)にさかのぼります
親善大使としてアジアの西端トルコから日本を訪問した帆船『エルトゥール号』が
帰途、和歌山県紀伊大島で台風に遭遇〜
座礁して乗組員500名以上が亡くなるという海難事故が起こりました

自分たちの生活もままならない大島の島民たちは
懸命の救助活動を続けて言葉も通じない69名の兵士たちを救います


時は流れて…1985年(昭和60)のイラン
サダム・フセインが、
48時間後にイラン上空を飛行するすべての飛行機を無差別攻撃すると宣言。
イランに居住していた多くの外国人たちは
それぞれ次々に自国の飛行機でイラン脱出を図ります
が…
日本国は日本人を救助する飛行機を派遣しませんでした
その理由は、日航機の安全が保障されない。
また自衛隊機を派遣するには国会の承認が必要で48時間では間に合わない、
というものでした‥‥

日本大使の野村(永島)はトルコに救援機を頼みます
オザル首相は承諾しますが、
まだ空港に取り残されている大勢のトルコ国民が救助をま待ちわびています
『日本人どこじゃない!』と、全員が騒ぎます〜!

その混雑の中で、トルコ大使館職員のムラトが立ち
かつて、先祖たちが受けた日本の “真心”  の歴史を語ります始めます

空港待合室は水を打ったように静粛に満たされ
日本人たちを先に通すための通路が拡がっていきます〜!

人間の “心”  は世界共通、時の流れも打ち消すことはできません〜!

歴史も教育も異質な国と国‥‥
そこに住んでいる人々は “闘い”  を目指しているのではありません
お互いに助け合って生きています
それがたとえ、外国人であっても、助けあうのが “真心” 
そこに “感動”  が生まれます〜!


 “対馬の歴史”  にも “感動”  を呼ぶ史実とエピソードが数々あります〜!

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1703年(元禄16)の『朝鮮訳官使』の海難事故では‥‥
対馬の人々は雲丹島に火をかけて遭難船の目印にしましたが
朝鮮国からの訳官使108名と対馬藩士4名が全員死亡しました

1905年(明治38)のバルチック艦隊を壊滅させた日本海海戦では‥‥
ロジェントビンスキー提督を収容先に見舞った東郷平八郎元帥の逸話
また上対馬町に海岸に漂着したロシア海軍兵士を島民たちが救助した話

そう
1274年(文永11)の『元寇』では‥‥
それまで、フビライ皇帝のモンゴル帝国と鎌倉幕府との間に立って
必死の努力をしたにもかかわらず
時の執権北条時宗は対馬には救援を出さず博多湾に防塁を築きました
そして
朝鮮海峡の水平線に並んだ史上最大の規模の700隻の軍艦来襲の急に
府中(厳原)から佐須坂を超えて小茂田浜に駆け付けた武士はわずか80騎
宗助国公以下全員が壮烈な最期を遂げました‥‥

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どうも日本という国は昔から “国際性”  に欠けていて
一端何か起こったときの対応準備ができていないようです〜
北朝鮮問題、沖縄問題、北方領土問題と国際状況は常に波乱を含んでいますが、
今回のミサイル発射と拉致問題の駆け引きを見てもうまくやっているとは言えません

国民を無視して国を確保しようとしたり
中央を重視して地方を切るようなことはすべきではないでしょう
日本という国は国民が作った国なのですから〜


『元寇』から、実に742年が経過して‥‥
厳原と小茂田とを繋ぐ『佐須坂トンネル』の開通式が明日予定されています〜!

お天気はどうかな〜?


“はるちゃんラーメン”  から『週刊朝日』を借りていたので、返しに行ってきました
先日、やきそば食べに行った折、
奥さんが対馬の記事が載っているのを教えてくれました

中沢新一の『アースダイバー』という記事です
週刊誌はほとんど読むことがないのですが、
記事は、“第68回”  と書いてあったのでかなり以前から連載しているのでしょう

著者は1950年生まれの思想家・哲学者で
世界中を歩いて、思想や宗教などの調査・分析をしている学者のようです
さっそく著書『アースダイバー』を購入しました


対馬の古代思想などはこの本には載ってませんが
現在、『週刊朝日』に連載中です〜!


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山田洋次監督の映画『母と暮らせば』を観てきました
主演は吉永小百合、共演は二宮和也です
 
厳原には田淵に『対映』『玄海シネマ』、川端通りに『公楽』と
映画館があったのですが、TV時代の到来で今では一軒もありません
2006年10月にオープンした 『対馬市交流センター』(今屋敷地区市街地再開発事業はミッキーが初代理事長を務めて組織づくりを進めていましたので、
市民の娯楽の場として、映画上映や、演劇ができる大型ステージを確保してきました

今こうして映画を楽しんだり、市民劇団活動ができることは
市民の立場に立った良い事業だったと思います〜!




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映画は、ちょっと変わった構成で、助産婦伸子と、
他界している次男浩二の亡霊との奇妙なやりとりです〜

浩二は長崎大学医学部の学生でしたが、
1945年8月9日、一発の原子爆弾で多くの長崎市民とともに爆死してしまいました
恋人であった町子は伸子と親子付き合いが続いていましたが
あるとき現れた浩二の亡霊が
「 自分のことは忘れて、いい人を見つけて結婚してほしいと‥‥ 」
伸子に伝えます


久しぶりに、こっそり涙を拭いてきました〜

(。>_<。)



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