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◆金正日の秘密パーティで田口八重子さんが出会った日本人夫婦 もう一つ頼んだのは、金賢姫の本の中に、田口八重子さんから「絶対秘密よ」 と言われて聞いた話として、「自分は金正日の秘密パーティに呼ばれた。そこに 自分と同じように日本から拉致されたと思われる夫婦がいた」というくだりがあ ります。その時期に、田口さんが出会った夫婦とは誰なのか、何か田口さんから 聞いていないか、を聞いてほしいと頼みました。 田口さんは、金賢姫と別れた後、86年まで平壌の南、中和郡忠龍里(チュンリョ ンリ)に行くのですが、田口さんが一つの招待所に、別の招待所に地村さん夫妻、 もう一つの招待所に蓮池さん夫妻がいた。彼らは、本当は行ってはいけないので すが行き来していた。その行き来の中で、そこにいない日本人の話が出れば、田 口さんは蓮池さんや地村さんに話をしていない筈がない。そのことについては帰 国した4人は言及されていません。そこで、別の形でそのことが証明できればと 思って頼んだわけです。 そのことを趙さんに頼んだら、「そういえば彼女から淑姫の言葉が二度も出た なあ」「淑姫について何か言いたいことがあるかもしれない」と言っていました。 1月15日に、NHKが金賢姫さんの声を放送した。趙さんによると、金賢姫さん が、「自分からNHKに電話した」ということでした。「知り合いの記者がいる」 ということでした。 たまたま別の用事で、私がまたソウルに行った時、『月刊朝鮮』2月号が出ま した。その直前に『月刊朝鮮』には金賢姫の最近の写真が出ています。趙甲済さ んと二人で写っています。かなり長いもので、25,000字くらいあります。インタ ビューだけでなく、その背景について趙さんが解説したものです。 拉致に関する部分で、私の質問に対する金賢姫の答えはこういうことでした。 「淑姫からめぐみさんのことを聞いていた。小さい時に拉致されてきた女の人で、 韓国から拉致されてきた人と結婚して女の子を産んだ」。横田めぐみさんという 名前は分かりませんが、めぐみさんに間違いない。 「めぐみさんは大変おとなしい性格で憂鬱であった。何回も入院していた。淑 姫もおとなしい性格で、おとなしいめぐみさんと一緒にしたために、もっとおと なしくなった。工作員は活発でなければならないのに、淑姫を李恩恵に合わせる のだった。失敗した」と語ったということです。 ◆「めぐみさんの写真を見た」金賢姫氏 また、金賢姫は、「めぐみさんの写真を見た」と言っています。「淑姫とめぐ みさんが招待所の中でポラロイド写真を撮ったのを淑姫が持っていた。それを見 せられた」と。それと、「北朝鮮から来ためぐみさんの写真が似ている」。つま り、金賢姫はめぐみさんの存在を知っていたのです。 韓国が左翼政権でなければ、家族会の運動が始まる前に、金賢姫にめぐみさん の写真を見せていれば、「同僚を教えた人だ」と言ってもらえたかもしれない。 拉致の証明も早くできたかもしれない。当時の日本の外務省は、もっと仕事をし てほしかったと率直に思います。もちろん簡単には接触できなかったかもしれま せんが。 我々は、めぐみさんの存在を証明できる証人を2002年以前に、二人もっていた のです。辛光洙は当時韓国にいたわけです。金賢姫もいました。写真も見ている。 淑姫の情報は、北にいた時に聞いたわけです。そういう情報源が韓国にいたのに、 明らかにすることができなかった。そういう意味で、今韓国にいる元工作員だっ た人たちの話を聞くことが大変必要です。 先ほどある会合で、横田早紀江さんに会い、その話をしたのですが、「めぐみ さんは大変活発な明るい子だった。おとなしいなんて言われるのはおかしい。む こうに連れて行かれてどれだけショックを受けたか。つらい生活をさせられたか らおとなしい性格になってしまった。本当にかわいそうだ」と母親らしいコメン トを話されました。 秘密パーティについては公開されている以上のことを田口さんから聞いていな いが、招待所で聞いた話として、「日本人の夫婦が二組いた」とのことです。そ の他、「招待所に日本人教官が10人以上はいるだろう」ということです。 秘密パーティについては、それ以上の情報はありませんでしたが、二組とは微 妙です。田口さんが拉致された1978年夏には3組のアベックが拉致されています。 地村夫妻、蓮池夫妻、市川さん・増元さんです。金賢姫は会ったわけではなく、 話を聞いただけですから、正しいかどうかは分かりませんが、分からないことが まだたくさんあるということです。「10人以上はいる」というのは彼女の推測で、 ほかの日本人を見てはいないようです。工作機関の中で日本語を教えてきた人が 10人以上ということは、その妻がいれば20人になります。 ◆田口さんの死亡「全然信用できない」−金賢姫氏 また、田口さんの死亡については、「全然信用できない。まず交通事故が起き るような国ではない。自分の存在が証明されてしまったり、工作員であることが 分かってしまうような人(被害者)は出せないでしょう」という報告です。また、 運転手から聞いた話として、「田口さんは85年頃、山の中のさびしいところにい た。そこで運転手が尋ねていって、そこで田口さんに乱暴を働いたので処罰され た」という話があります。田口さんが結婚したという話は聞いていない、とのこ とです。 以上が、趙さんを通じて金賢姫さんから聞いたことです。 蓮池さんたちの証言によれば、85年に田口さんは忠龍里にいました。平壌の南 にあり、山の麓のようなところで、谷間から峯を越えないと互いに行き来できな いところですから、「さびしいところ」というのは、忠龍里のことと思われます。 東北里(トンブクリ)の招待所とか、金正日政治軍事大学は平壌の北側です。 (つづく)
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以下は、1月22日に開催された東京連続集会の詳細報告です。10年ぶりに北 朝鮮元工作員の金賢姫氏が表に出て、「飯塚さんの家族と会いたい」と発言した ことを受けての飯塚繁雄・家族代表と西岡力・救う会会長代行の話が中心です。 長文なので2回に分けて報告いたします。当日は、拉致被害者をどのように救出 するかについて西岡代行から話がありましたが、関連情報を次号で報告します。 ■大韓機事件と拉致問題の密接な関係−金賢姫氏告発 ◆妹がしゃべっているのではないかと錯覚を起こした金賢姫氏の日本語 飯塚 1月15日の昼ごろ、突然NHKから、「金賢姫のインタビューが取れたの で、内容を見ていただいた上でコメントしてほしい」との電話がかかってきまし た。金賢姫さんは、飯塚家にとっては関係の深い方で、あの方が生きていたこと、 そして一部始終を話していただいたおかげで、妹の田口八重子が北朝鮮にいると いうことが分かったわけです。 彼女が書いた本には、「田口八重子は北朝鮮にいてはだめな人だ。すぐ返すべ きだ」という気持ちが非常に強く出ています。インタビューを見た時に、妹がしゃ べっているのではないかという錯覚を起こしました。妹から教わった日本語をそ のまましゃべっているという雰囲気がありましたし、私はまだ会ったことはない のですが、なんとなくなつかしさを感じました。妹は、こういう方と20か月の 間生活をしていたんだなあ、という思いを強くしました。 また、先日の彼女が出した文章(昨年10月の書簡、月刊朝鮮2月号での趙甲済 氏とのインタビュー・訳文救う会メールニュース081207、090118・救う会註以下 同)でも、私たちに会いたいとありました。また息子の耕一郎の顔も、私の顔も テレビで見て十分知っていたこと、耕一郎については、お母さんと目がそっくり だと、私については兄妹だからそっくりだが特にほほの骨がそっくりで、一見し てお兄さんだとすぐに分かった、ということでした。また、当時妹との話などを 話していて、私は感動しました。文章で読むのと違い、直接ことばで話が聞けた ということで、何としても会いたいという気持ちを強くしました。 彼女は、盧武鉉時代には、国家情報院(国情院)の管理下におかれ、絶対人と 会えない、話せない状況が続いていましたが、李明博大統領に代わり出てこれる ようになったのではないかと感じました。しかし、すべて組織が変わったわけで はないこともよく知っているようで、韓国政府やマスメディアには安心して話が できないと言っていました。しかし、「拉致問題では少しでもお役に立ちたい」 と言っていました。また、私たち家族にも是非会いと言っていました。私たちも 会いたいと言っていましたから、気持ちが通じていると確認できました。 もちろん会ったからといって、向こうにいる拉致被害者の情報がとれるかどう かは分かりませんが、会えれば、現状をお知らせして、拉致問題への対応が少し でも具体化できればという期待を持っています。 彼女は人間的には非常にいい人だと思っています。彼女自身は、工作員にさせ られて事件を起こしたことについては、重く感じていますが、反面かわいそうな 立場だとも感じます。会えるようになれば、すぐに行きたいと思っています。 わが総理大臣にも具体的な対応をお願いしたいと思っていますし、できればオ バマ大統領にも会う機会があればと思っています。 ◆10年間、ひどい目にあってきた金賢姫氏 西岡 まず金賢姫さんの証言についてお話します。家族会・救う会が救出運動を 始めたのは1997年ですが、金賢姫さんはその頃から表に出なくなりました。97年 12月に、金大中さんが大統領に当選し、韓国が親北左派政権になった時期が、我 々が運動を始めた時期でした。また彼女は結婚し、社会活動をやめました。彼女 は今から約20年前の88年に記者会見し、そして手記を書き、続いて田口八重子さ んについても本を書きました。当時彼女は、私のほうが会いたいと言っているの に、飯塚さんたちが表に出てこないことについて、残念に思っていました。家族 会が出来るまでは、韓国では拉致問題について自由に発言できました。田口さん についての本も韓国語で先に出ましたし、原敕晁さんについては『月刊朝鮮』は、 90年代半ばに日本に取材に来て、書いています。横田めぐみさんの拉致の情報も、 韓国から日本に来ました。 彼女がこの10年間、ひどい目にあってきたことについて、去年の10月に初めて 発言するようになりました。特に2002年以降、彼女に関する色々な噂が流れまし た。離婚したとか、移民して韓国にいないとか、夫婦仲が悪いとかです。 10月初めに、李東馥(イ・トンボク)さんという元国会議員に長い手紙を出し ます。その中で、彼女は、この10年間、国情院がやったことに謝罪し、責任者を 処罰させよと書いています。李東馥さんに手紙を出したのには因縁があります。 彼は、南北会談の専門家で、北朝鮮との交渉に何回も参加しています。1972年、 金賢姫さんは小学生くらいで、外国からきたお客さんに花束を渡す役割をしてい て、彼女は北朝鮮を訪れた李東馥さんに花束を渡しているのです。彼女は、自分 は前から2番目の代表に花を渡したと陳述したので、当時の安企部が代表団の序 列から張基栄・副総理に渡したとして発表したところ、北朝鮮は張副総理に花を 渡したのは自分だという女性が北朝鮮から出てきて、金賢姫は偽物だと主張する 一幕があった。実は、萩原遼さんという共産党の『赤旗』の記者が、特派員とし て72年にその現場にいて、写真をたくさんとっていた。その写真を分析したとこ ろ、金賢姫がそこにいたことが明らかになった。大変硬い顔をしていたので李東 馥さんが少しなぐさめようとして、「この花はなんというの」と聞いた。すると 金賢姫が、「朝鮮人なのに朝鮮の花も知らないのですか」と言ったことがある。 それで、李東馥さんが金賢姫のことを覚えていて、金賢姫ももちろん覚えていた。 それで、ソウルに来てからは、李東馥さんに挨拶もしていた。 李東馥さんは保守派で、北朝鮮金正日体制とそれに追従する韓国親北派を批判 する文章をしばしば書いている。そして、昔の自分のことを知っている。自分が 偽者でないことを、花を受け取っていて一番よく知っていると思って、李東馥さ んに手紙を書いたのです。その手紙が、元『月刊朝鮮』編集長の趙甲済さんのと ころに行き、『月刊朝鮮』の12月号に主要部分が掲載され、趙甲済氏の主宰する インターネット・メディアに全文掲載されます。これは、救う会でも日本語に翻 訳し、メールニュースで発信し、ホームページにも掲載されています。 そこで書かれているほとんどは、国情院がいかにひどいことをしたかというこ とです。これに対し、韓国では、「偽の手紙」ではないかと批判が起こり、それ に対し金賢姫さんが趙甲済さんに、「あの手紙は本物で、書いたのは私だ」とい う手紙を書いた。そのいきさつが、『月刊朝鮮』1月号に掲載されています。 ◆めぐみさんが日本語を教えた同僚工作員「淑姫」 私は、12月に、別の脱北者の証言を取るためにソウルに行ったのですが、趙甲 済さんにも会ったのです。そのとき、趙さんが私に「時々金賢姫から電話がかかっ てくる。この前かかってきた時に、田口さんを最後にみたのはいつか聞いた。す ると85年と言っていた」ということでした。北朝鮮は86年死亡としていますので、 生存情報には結びつきませんが、「またかかってくるから聞きたいことがあれば 教えてくれ」と言ってくれました。 そこで、淑姫(スクヒ、実際の発音はスッキ、金賢姫の同僚工作員で横田めぐ みさんが日本語を教えた)について知っていることをきいてほしい、と頼みまし た。ご存知の方もいると思いますが、帰国した地村さん夫妻が、「めぐみちゃん から聞いた」ということで、「めぐみちゃんは北朝鮮の工作員スッキに日本語を 教えていた」と言っています。しかし、発音を聞いただけでは、家族の方は分か らなかったのですが、私は、金賢姫の本にある金淑姫だとピンときて、そういう ことだったのかと思ったことがあります。 その話を趙甲済さんにしました。金賢姫は、金淑姫とともに金正日政治軍事大 学に80年に入学し、1年間基礎訓練を受け、その後83年まで別々に暮らし、その 間、田口さんに日本語を習っています。その後、また合流し、マカオで日本人に 化ける訓練をします。当時、淑姫は「高橋けいこ」という名義の偽造されたパス ポートを持ち、日本としての偽装訓練を受けています。淑姫も日本人化教育を受 けているわけです。工作員は互いに互いのことを聞いてはいけないという原則は あるけれど、女同士ですから、教官はだれだったかと聞く筈です。淑姫がめぐみ さんのことを聞いている可能性が高いので、そのことを聞いてほしいと趙甲済さ んに頼みました。 そのことについて金賢姫はこれまで言っていません。自分が見たこと、経験し たことは書いていますが、他の工作員から聞いたことは書いていない。それを書 くと、その工作員のルール違反が明らかになり、淑姫が処罰されるおそれがあっ たからです。そこで、趙さんに、既に帰国した被害者により、淑姫の先生は横田 めぐみさんだったことが公開されており、秘密を守る意味はなく、処罰されるこ ともないので教えて欲しいと頼んだのです。 |
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■ムンタボーン国連北朝鮮人権状況特別報告者が家族会・救う会に面会 本日(1/26)午後6時から8時過ぎまで、ビチット・ムンタボーン国連北朝鮮人権状況 特別報告者が家族会・救う会に面会した。面会には、飯塚滋家族会代表、横田滋同会 前代表、増元照明同会事務局長、本間勝氏(田口八重子さんのお兄様)と西岡力救う会 会長代行が出席した。 タイ、チュラロンコーン大学教授であるムンタボーン報告者は平成17年、報告者と して任命されて以来、毎年日本を訪れ、家族会と面会し、毎年の北朝鮮人権状況に関 する報告に拉致問題をきちんと取り上げ続けている。また、家族会・救う会・拉致議 連が平成17年に開催した第1回「北朝鮮拉致の全貌と解決」国際会議にも出席して、国 連における取り組みを報告してくださった。 面会は家族会・救う会からムンタボーン報告者に要請、質問などを伝え、それに答 えていただく形式で進行した。そこで取り上げられた主な論点は以下の通りである。 ここで、ムンタボーン報告者が国連安保理事会と拉致問題の関係について、 ・2006年9月の安保理決議1718号に書き込まれた「人道上の懸念」という文言は拘束力 のない前文に過ぎないこと、 ・ムンタボーン報告では拉致を含む北朝鮮人権問題を安保理でも取り上げるべきだと いう主張がなされていること という2点を明らかにしたことは、重要だ。日本は今年から安保理事会の非常任理事国 となった。政府には、ムンタボーン氏の報告に込められた意味をきちんと理解し、拉 致問題を安保理事会の議題として正式に取り上げるべく全力を尽くしていただきたい。 機会を見て、われわれも政府にそのことを正式に要請したいと考えている。 ―ムンタボーン報告者のおかげもあり、国連総会は昨年も拉致問題を含む北朝鮮人権 決議を採択した。しかし、その決議に反対、ないし棄権した国もあった。その背景 は? わたしは、報告者として国連に北朝鮮の人権状況を伝えるのが役目で、決議に直接 関与しない。ただし、一般的に次のことは言える。 国連には私のような特別報告者やそれと似たような立場が40人いる。そのうち3分 の2がテーマ別報告者だ。たとえば、児童売春に対する報告者などだ。残り3分の1が特 定国の人権状況を対象とする報告者だ。スーダン、カンボジア、ミャンマー、北朝鮮 などである。 そのほとんどの場合、当事国同意のもとに設置されている。ところが、報告者の設 置に同意しない一握りの国がある。同意しない国でも、あまりにも人権状況ひどい場 合は、国連が票決で報告者設置を決める。そのケースは現在、ミヤンマー、北朝鮮2カ 国だけだ。 複数の国は、当事国の同意なしに国連がその国の人権状況を調査することに反対し ている。自分の国がそれと近い状況になることおそれているからだ。北朝鮮人権決議 には22国が反対し、23国が棄権した。それら背景には、当事国の同意なし報告者を任 命すること自体に反対しているということがある。 ミヤンマーは国連報告者とすこしは接触しているが、北朝鮮は報告者を完全に無視 し、私と一切接触しない。 ―国連決議によって北朝鮮の人権状況は変化したか。 いくつかは改善の兆しが見えるが、ほとんどは変わっていない。 国連機関に対する対応すこし変わった。食料届ける米国NGOの入国許すようになった。 95年以降食糧危機のため国際援助に国を開いた。障害者を独房などに収容していた政 策を変え、障害者のための法律を作った。 しかし、多くの領域で人権侵害は続き、悪くなっている。2005年には農作物の売買 できたが、最近市場での売買が禁止され、国営商店のみで売られるようになった。人々 威圧するために公開処刑、拷問、家族連座制などはそのままだ。 難民から証言によると政治犯収容所に数万人が入れられている。腐敗もひどい。 ラヂオ、テレビも、国外の放送を受信できないようにチューナーを固定しそれを点検 している。相互監視システム、密告奨励もつづいている。上から下まで恐怖、威圧文 化は変わっていないし、ひどくなっている分野もある。 人権侵害の根本は政権の性格だ。民主的でなく抑圧的な国であり、恐怖文化があっ てはじめて成り立つ国だ。 ―拉致問題について変化は 米国、日本、ヨーロッパ新指導者が代わった。北朝鮮はいま、オバマ政権の出方を 見ていると思う。そのため拉致、6者も停滞している。昨年6月、8月日朝で拉致問題の 実務協議がもたれ、少し北朝鮮が前向きに回答した。被害者に関して調査することに 同意したが、9月に停滞してしまった。それも、特に米国の動きを見守ろうとしたため ではないかと考える。 私の立場は人権蹂躙、そして拉致問題は早期にきちんと解決すべきであって、停滞 は許されないと考えている。早く誠実に答えるべきだ。 ただし、国連で強制力を持つ機関は安保理だけだが、北朝鮮人権問題とりあげたこ とが非公式にもない。ミヤンマーの人権は非公式にとりあげた。私はこれまでの報告 書でも、今回書く新しい報告書でも拉致を含む北朝鮮人権問題を「全国連機関で取り 上げるべき」と書いたし今回も書くつもりだ。その意味は安保理もとりあげるべきと いうことで、わたしは安保理が北朝鮮人権問題を取り上げることにオープンドアだ。 ただ、今の国際的努力をすべてだめとはいうつもりない。6者協議で拉致取り上げるよ うにしたことはいいことだ。 ―平成18年9月の安保理決議1718号には、北朝鮮が「国際社会の人道上の懸念」に答 えるべきという文言が入り、当時安保理議長だった大島国連大使は決議直後にこの人 道的懸念の中には当然拉致問題も含まれると議長総括として発言している。 そのことを私は報告に書いたが、同決議はあくまでも核問題に対して北朝鮮に制裁
をかける内容で、人道上の懸念という文言は法的拘束力のない前文に入っただけだ。 これは制裁の理由ではなく、国際社会に注意を喚起するという意味しかない。 私は、いつでもどこでも私は拉致問題取り上げている。日本が他の拉致被害国との ネットワークを結ぶこといいことだ。拉致は国際犯罪だからだ。昨年、再調査扉開い たことで日本政府は賞賛されるべきだ。なぜなら、他の国のケースの扉を開いた意味 があるからだ。 北朝鮮に対しては強力な主張していくべきだ。拉致問題解決のためには 多くの方法を並行して行うべきだ。多国関係の枠組み、2国間交渉、むちとあめすべて が必要だ。皆さんは我慢の限界に来ていることよくわかる。 国際的ネットワーク作ることは重要だ。国連は完璧でないが使うためにある。 国連は市民がアクセスできるべきで、ぜひ私の報告を使って欲しい。法律、技術は重 要だが一番重要なのは意思、ハートだ。拉致問題解決のため今後もできる限りのこと をしたい。 |
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1月22日の連続集会では、西岡 力会長代行が、金賢姫の国情院告発と拉致問題 について、また、今年の運動方針について講演した。また、家族会から飯塚繁雄 代表、増元照明事務局長、本間 勝氏、平野フミ子氏が参加し、今年にかける思 いを語った。 金賢姫の国情院告発と拉致問題(概要、全文は次号) 拉致被害者田口八重子さんに日本語の教育を受け、日本人になりすまして大韓
航空機爆破事件を起こした金賢姫氏が、韓国の国家情報院(国情院、元安企部) を告発した。 北朝鮮が行った謀略は、日本に対してだけでなく、韓国に対しても同時に一体 のものとして行われた。金正日は、一部の日本人だけを返して自分の責任を回避 し、韓国では、金大中・盧武鉉政権時代に、親北派の政府・国情院、全テレビ局 などが北朝鮮の意向を受けて、大韓機爆破事件はでっちあげというキャンペーン をし、北朝鮮の工作員であった金賢姫氏の存在を抹殺し、韓国の中で拉致に関す る批判が高まるのを防ごうとしてきた。つまり、大韓機爆破事件と拉致事件は一 体のものとして行われた。 金賢姫氏が、「自分が犯人である」と言っても、韓国では、信用してくれない。 政府とテレビ局などが、でっちあげだとのキャンペーンを行ったからだ。そこで、 10年間表に出なかった金賢姫氏が、訴えを開始し、国情院に謝罪を求め、当時 の担当者の処罰を求めた。 現在、李明博政権になり、事実調査が行われている。 金賢姫氏は、その結果がなかなかでないため、月刊朝鮮誌のインタビューに応 じた。インタビューの中で、西岡代行が予め依頼していた質問にも答え、拉致被 害者田口八重子さんの情報、横田めぐみさんの情報などが報告された。 金賢姫は、「めぐみさんの写真を見た」と言っている。「(金賢姫の同僚工作 員でめぐみさんが日本語を教えた)淑姫とめぐみさんが招待所の中でポラロイド 写真を撮ったのを淑姫が持っていた。それを見せられ た」と。それと、「北朝 鮮から来ためぐみさんの写真が似ている」。つまり、金賢姫はめぐみさんの存在 を知っていた、飯塚繁雄さん、耕一郎さんに是非会いたい、など。(詳細は次号) |
救う会は先ほど「月刊朝鮮」2月号を入手した。同誌に趙甲済(月刊朝鮮編集委員兼 趙甲済ドットコム代表)が寄稿した「特ダネインタビュー 20年ぶりに口を開いた金賢 姫」から、日本人拉致に拉致に関する部分を翻訳してお伝えする。 これを読むと、先の本ニュースで指摘した3つの重要ポイント、 1“横田メグミが友人キム・スクヒを教えた。” 2“イ・ウンヘが死んだという話は信じることができない。” 3“北朝鮮で工作員を教えた日本人は十人を越えるだろう” のうち、1については、当時は横田めぐみという名前は分からなかったが、 ・幼いとき日本から拉致されてきて、 ・拉致されてきた韓国男性と結婚し、 ・娘を産んだ という3点が、完全に一致するので横田めぐみさんに間違いないと言えるだろう。 2については、金賢姫氏が伝える田口さんの最後の消息は1985年のものであり、北朝鮮 が死亡日としている1986年より早い時期である。金賢姫氏が田口さんの生存を信じて いる根拠は、工作員としての常識からであることが分かる。 3については、金賢姫氏は田口さん以外の日本人を目撃していない。10人以上という数 字は、招待所で生活した際などに聞いたことなどを総合した彼女の判断なのだろう。 記事の中で趙甲済氏が「彼女に会ったら『これを必ずきいてくれ』と頼んだ日本人 たちがいる。拉致被害者救出のために活動している人たちだ。」と書いているが、救 う会西岡力会長代行は昨年12月、ソウルで趙甲済氏に会い、日本人拉致に関して金賢 姫に質問して欲しいことを伝えている。このインタビューでは、そのとき依頼した質 問がほぼ実現しており、趙甲済氏に感謝したい。 以下、月刊朝鮮2月号、趙甲済氏の記事から日本人拉致関連部分を訳出した。(翻訳 西岡力) (略)彼女に会ったら「これを必ずきいてくれ」と頼んだ日本人たちがいる。拉致被害 者救出のために活動している人たちだ。 ー北朝鮮で工作員教育を受けたとき、横田めぐみに会ったことがありますか。 「わたしはないが、スクヒがめぐみから日本語を学んだといいます。もちろんそのと きはキム・スクヒ(金淑姫)に日本語を教えてくれた女性の名前がめぐみだとは分かり ませんでした。幼いとき日本から拉致されてきて、性格がおとなしく、拉致されてき た韓国男性と結婚し、娘を産んだという話を聞きました。」 (「 」内は金賢姫発言、以下同・訳註) ー見たことはありませんか。 「ないです。けれども、ポラロイド写真でキム・スクヒとめぐみがいっしょに撮った ものをみたことがあります。」 ー写真を撮ってもいいのですか。 「指導員かだれかが撮ってくれたもののようでした。その中ではお互いによく知って いるからそのようにします。」 (略)金賢姫はめぐみが『おとなしく憂鬱でよく病気になり入院した』という話を聞い たという。 「指導員がこのように話していました。『おとなしいスクヒがおとなしい日本人の子 と生活したのでもっとおとなしくなった。工作員は活発でなくてはならないのに、ス クヒを李恩恵と合わせるのであった、失敗した』と話しました」 (略)1991年春、日本の警察官がまた安企部に勤務していた金賢姫を訪ねてきた。 「そのときがたぶん7回目の訪問ではないかと思います。いろいろな写真を持ってきて ひとつづつ出したのですが、さいごの写真が李恩恵でした。太った顔でした。最近、 青年になった田口の息子の写真をテレビで見ましたが、目がお母さんと似ていますね。 息子にきっと会いたいです」 (略) ー李恩恵が死んだと思いますか。 「信じられません。あそこは交通事故が起きることがありません。李恩恵はあそこで 結婚したという話を聞いたことありません。送り返せば私と関係すること、そして工 作員教育状況などが知られてしまうから離さないのでしょう。北朝鮮が日本に送り返 した者たちは工作員部署で勤務した人たちではないじゃないですか」 金賢姫が李恩恵について最後に消息を聞いたのは、1985年夏、広州に実習に出発す る前だったという。その要旨は「李恩恵が遠く離れた場所で寂しく暮らしているのに、 運転手たちが訪ねていって乱暴し、問責された」というものだった。(略) ー李恩恵が拉致されたときの状況を話しましたか。 「話しました。拉致された後、船に乗ったが船酔いがひどく食べることができず、は いていたズボンがゆるゆるになったと言っていました。私たちが招待所で生活したと きは、第1原則が尋ねても、知っても、見ても、話してもならないということだ。李恩 恵が話すことだけを聞いておいたのであって、尋ねることはできませんでした。李恩 恵は自分についてたくさん話す方でした。李恩恵が私について知っていることは本当 に少ないでしょう。」 ー金賢姫氏は1982年2月、李恩恵といっしょに暮らしながら日本人化教育を受けている とき、李恩恵が酔った中でこのような話しをしたと言いましたよね。『金正日同志の 誕生日(2月16日)の晩餐に特別に招待されていった。私のように拉致されてきたような 日本人夫婦に会った。この事実は絶対に秘密だ』 「そうです。招待所で聞いた話ではそのような夫婦が二組いるらしかったが…。」 ーもしかして北朝鮮で李恩恵以外の日本人に会ったことがありますか。 「ないです」 ーそのとき北朝鮮工作部署では日本人を多数捕まえてきて工作員を教育するのに利用 したが、招待所や軍事大学など、そのような場所で働いている日本人は何人くらいに なりますか。 「十人は超えているでしょう」 「私も子どもを育ててみたので、幼いとき拉致されてきためぐみの運命がよりかわい
そうに感じられる」 |


