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先日、知人の一人娘が「いじめ」で転校した。 同級生達によるものだったが・・・・・。 教師、校長立会いのもと双方の親子と本人達の話し合いの場を設けた。 が、どの親達にも、 相談した学校側にも、知人やなにより本人の切実な訴えは届かなかった。 「たかり」より「お金を持ち歩いている方が悪い」と言わんばかりの 基本的な善悪よりも、結果重視の親達。 片方だけの話を鵜呑みにした訳ではないが、明らかにおかしい。 たとえ加害者(ここではあえてそう呼ぶ)側や 仲介に入ったはずの学校側が、それらを「いじめ」と納得しなくても 当の本人が「転校したい」ほどの苦痛を感じた、のなら もう少し対処の仕方があったようなものの・・・・・。 学校も休まず登校し、部活もし、塾やその他の習い事にも通う、とても頑張りやの少女だった。 両親が転校を決定したのは、担任の最後のひとこと。 「先生が一緒にいて守ってあげる。 先生が居るときは何もしないでしょう!?」 先生!? 気づきませんか!? あなたの言葉の意味は 「先生が一緒にいたら、いじめられないでしょう!?」 いじめがあった、と認知しているのですよ!! それでも最後まで「いじめ」ではなく、お互いの気持ちの食い違いで済まそうとしている。 いや、それより心の価値観が大きくズレているように私は思う。 彼女は・・・ 「新しいところ(学校)にもいじめはあるかもしれない。 それでも今と別なところで、新しい気持ちでスタートしたい」と前向きでいる。 学校側は厄介払いが出来た、というのか 「力になれなくて、ごめん」と簡単に自分達の非力さを認めている。 彼女が友達(そう呼びたくもないが)や学校側に一番認めて欲しかったのは 「自分の存在」と「自分らしさ」だったのだろうに。。。 今朝、お姉が体調を崩したので「お粥」を炊いて届けた。 祝日の救急病院で長く待たされるのはしんどい、と 明日、かかりつけの病院へ行こう、ということになった。 幸い熱も37.3度とたいしたこともなかったので。。。 しかし、私が帰宅してすぐにお姉からSOSのTEL! 我慢できない腹痛と熱も38度を超えてしまったと言う。 加えて、朝からおとなしかった(?)おチビも熱を出し、 それはたいへん!と結局、救急病院へ! 救急は尋常でないほどの病人が行く所なのに・・・・・ 当直は某有名病院。 有名の割には狭くて、古くて、駐車場も4〜5台しか置けない小さな病院。 待合室のせまい廊下で身を縮めて待っていると 2歳位の子供連れ。 怖がっているのか、待ちくたびれてグズっているのか 母親の腕から今にも落ちそうなくらい泣き喚いている。 その声は病院中に響くだけではなく、病人達の頭にも 付き添いの私の頭にもガンガン、キンキン響いた。 2時間の待ち時間の大半がそういう状態だった。 私は子供達にそういう苦労をさせられたことがないからわからない、 というのを差し引いても我慢ができないほどの騒音(もはや)だった。 当の親は慣れているのか、ヘラヘラ(失礼!そう見えましたョ)して 小さく「シィーッ」と言うだけ。 多少、風邪気味で熱があっても たとえば、ちょっと外に連れ出すとか(狭い病院なので) 飲み物を少し与えて気分転換してあげるとか 健康ではない他の人への配慮や、工夫はして貰いたいものだ、と (だからいまどきの親は!…なんて言われる) お姉がひとこと 「あんな親に甘やかされて育った子は、同じように 他人に配慮ができない親になるんだろうなぁ・・・・・」 たしかに!! 病人になりそうな頭を抱えて思う私は、切れかけ寸前だった。 |
私の戦争
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内閣総理大臣の福田くんが、突然『辞意』を表明して2日が経った。 巷では今日も色々な知識人とか、評論家とかが 水を得た魚のように息巻いていた。 あの「辞意表明」を初めてTVで観た時に思い出した。 そういえば、私にもこういう事があったなぁー・・・・・と。 それは、次女がまだ幼稚園に通っている時のことだから もう15〜6年くらい前になるのだろうか・・・・・。 ちょうど安部首相が辞任した時のように、 娘の通う幼稚園でも7名いる先生の内、5名が突然辞める、という事態が起きた。 どうゆこと!と皆が驚いたが、それぞれそれなりの理由があり 保護者があまり動揺しては、残された子供達が戸惑う、ということで 何事もなかったかのように一年が過ぎた。 ところが!である。翌年にもまた同じ事が起きた。 幼稚園からは紙切れ一枚の通知。 ○○先生 病気療養のため ○○先生 結婚のため ○○先生 介護のため ○○先生 姉妹園移動のため ○○先生 −−−−のため 以上ご報告申し上げます。 みたいなぁ〜(苦笑) 二年も続けて5名の先生が一度に辞めるなんて、由々しき事態でしょ!? もちろん私の周りでも、保護者の不安や不満が爆発した。 「経営者と園長の意見が合わないらしい」とか、 「給料の事で経営者と先生の間で話がつかなかった」とか いろんなウワサが飛び交った。 でも誰一人として、真実を知っている者はいないし、 その不安を解消すべき行動に出る者もいなかった。 皆、幼稚園の送り迎えに屯して、口々に噂し合うしかなかった。 娘の不安を考えたら、放っておくことも出来ず、 私はその輪の中で問題をなげかけた。 「こういう時にこそ、『保護者会』があるのでは?会長の意見は? 園に対して、保護者の代表として何のアピールもしないの?」 かえってきた回答は・・・ 「『保護者会』としては、み〜まさんのように悲観的(エッ?)な見方はしていない。 園のこれからの出方を見守ってゆく。個人でやる(抗議など)のなら勝手にどうぞ。」 ということだった。 それなら、勝手にやらせて頂きましょう!と私は決めた。 その頃、そばにいた友人達は「言ったれ!言うたれ!」 と口々に囃子立て「匿名で抗議のTELをした方が良い」とか 「み〜まさんが立つなら、援護してあげる!」とか。 (結局誰も動かないんじゃないの)と思っていたので、一番息巻いていた友人に 「匿名でしたら、ただの悪戯に思われるから。やるなら正々堂々真正面から 名乗って、ぶつかって行くから援護はいらないよ。自分の事は自分で責任取る。」 と言ってひとりで動く事にした。 翌日、園にTELして園長にアポを取った。 仕事の邪魔をする気はないから、向こうの都合に合わせて、正装して。 普段、近所で冗談を言う仲なのだが、この時だけはマジメに。 私が言いたかったのは「なんでこうした!こうなった!」の恨み節ではなく '''「こうなったことは仕方ない。でも二年も続けてでは保護者ばかりではなく、 子供達も動揺して不安になる。せめて同じ紙切れ一枚でも、例えば 『後任に経験ある先生方が決まっていますので、保護者の皆さまにおかれては どうぞご心配のないように、園の今後を暖かく見守っていただきたい。』と たった二行でも添えて頂けたら、皆の不安が軽くなるのでは?」''' ということ。 でも、事務長は経営者、園長は教育者。 経営方針は平行線のまま。そんな園長に言っても埒が明かない。 いつまで話しても「み〜まさん、私たちの苦労もわかってくださいヨ。。。(泣)」 そればかり。よっぽど私が園長を泣かしているみたいで、最後はイヤになって 「わかりました。(話が通じない事が)私は今まで通り、娘が楽しく通園できるよう 見守っていくだけです。お時間取らせて申し訳ありませんでした。」と撃沈。 その後は、園長も後任の先生方も私の視線にびくびくしていたのが感じられ あ〜ぁ、私の言いたいことがぜぇ〜んぜん伝わっていなかったんだなぁ〜、と再び撃沈! その後、『保護者会』の会長でさえ、友人に 「み〜まさん、園に行った?なんて話してた?怒ってた?」としつこく聞いていたそうな。 彼女には「知らない。み〜まさんに直接聞いて!」と言って、と頼んでおいた。 人はなぜ、わからないことを聞かないのだろう。 誰かが代わりに聞いてくれたら、と待っている。それも無責任に。 辞める理由は、本人にしたら色々あるだろう。 それまではとやかく言うつもりはない。 でも辞め方、というものがあるだろう。 皆に負担をかけるのだから、それなりのやり方が・・・・・ 一般常識ッ!! |
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小学校に入学した私の前に、ひとりの男の子がいた。 彼の名は「ツトム君」(仮名)。 いつも4〜5人の男子に囲まれて、からかわれていた。 ツトム君がそうされていたのは、彼が私達と違っていたからだ。 彼の片目は病気なのか、生まれた時からか、 白く濁ってまるで裏返ったような色をしていた。 そのせいかどうか、体の大きさは同じだけど、知力の発達が少し遅れていた。 皆はそれを気持ち悪がって、そこに目をつけた一部のいじめっ子らの カッコウの餌食にされたのだった。 彼らは「友達ヅラ」して彼に近づき、彼をまるで「見世物」のように女子にけしかけた。 気味悪がって「キャーキャー」逃げ惑う女子を面白がっていたのだ。 私も初め、「おぉ〜お〜」と奇声を発して近づいてくる彼を 怖がって逃げる内のひとりだった。 でもある時、 花壇で微笑みながら、静かに水やりをしている彼の姿を見て 小1なりにでも(彼は本当はあんなことなんて、したくないんだ)と思いました。
そしてある日、彼がいつものようにやって来た時のことです。
私は思わず叫んでしまった。 「やめて!ツトム君は本当はこんなことしたくないんでしょう!? だったら、しないで!!」と。 彼の動きが一瞬、『 ピタッ!! 』っと止まった。 心臓がドキドキしていたけど、決して彼は当時TVで見た怪物ではなく 花を慈しむやさしい子だと信じていた。 私が思うにその日を境に、彼の行動は変わった。 もう、けしかけられて、だれかれ構わず女子を追う事もなくなった。 しかし、代わりに私は彼のお気に入りになってしまった。 以前から、授業中も徘徊する彼から先生も目が離せなかったが 「お気に入り」のおかげで、彼の徘徊は一点に集中した。 授業中でもおかまいなしに席を発ち、私の席にやって来る。 何をするわけでもなく、にやにやと私の顔を覗いては先生に注意され 自分の席に戻り、またやって来るのくり返し。 私は人見知りが激しい、おとなしくて目立たない、なんのとりえもない女の子だった。 そんな私の何が良かったのか・・・・・物好きな・・・・・・。 二学期になって最初の日に席替えがあった。 皆が注目をしたのは「ツトム君」がどこにすわるか?だった。
席が埋まるに従って、皆から不満の声が上がり始めた。
誰もツトム君と一緒の席は嫌だ、と言うのだ。 私は迷いました。 このままでは誰もいないのは必須。 でも、ツトム君が授業中席を立ってやってくるのは決まって私のところだ。 どこに座っても必ず(二度ほど立証済み)やって来る。 なら、どこに座っても同じ。 ( 決めた!! ) 私は今までにどんな授業でも上げたことが無いくらいの勢いで挙手しました。 「はい、み〜まさん」先生に指されて 挙げた手の勢いとは裏腹に、蚊の泣くような声で 『私の隣りをツトム君にしてください』 本当はそう言うのがやっとでした。 何しろ当時の私は今と正反対、と言っても良い程150℃位違っていたのですから。 先生は気の毒そうな顔をして、しかしその顔には安堵の色が見てとれました。 先生の表情と対照的に、ツトム君の顔は笑顔でいっぱいだった。 そしてその日から、彼の徘徊は当然のように止まりました。
小1、2と私の生活はそんな具合で続いた。
小3の時、ツトム君は新しく出来た知的障害児の学校へ転校して、私の隣から消えた。 その日の席替えは今でも鮮明に覚えているくらい 小1の私にとって強烈な出来事だったのです。 他の女子達のように、ツトム君と一緒の私はなぜ虐められなかったのか? いまでもそれは謎のまま・・・・・・・・・ ある人曰く、「出る杭は打たれる」中途半端に出るから打たれるんだ。 ポォ〜ン!!っと、思いっきり出てしまえば、いくら打とうと思っても届かない。 どうせ出るなら手が届かないくらい、ずば抜けてしまえ!と。 こういう事だったのか!? |
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これを見てどう思われましたか? この絵は私の娘が中学三年生の時に描いたものです。 大好きな音楽CDのジャケット写真を見て描いたのです。 当時、体調不良でなかなか学校にいけない娘は、来る日も来る日も絵を描いていました。 私は病院代に消えるよりは、とあらゆる画材を財が許す限り買い与えました。 粗末な画材を使って、試行錯誤しながら過ごす娘を毎日見ていました。 そんな娘が中学三年生の秋のことです。 学校では文化祭のプログラムの表紙絵を毎年、生徒有志の中から選ぶことになっていました。 娘には絵の他にキーボードやピアノを弾く趣味がありました。 毎日、くり返しCDを聴いて、そこから音をひろって鍵盤に描くのです。 それまでは私が嫁いだ時に持ってきた一音鳴らないエレクトーンを毎晩、 眠れないとヘッドフォンをして何時間も弾いていました。 食事もせず一日中、弾いている時もありました。 殆ど学校へ行けないのですから、楽譜が読めるわけではありません。 きっと「絶対音感」があったのだと思います。 Birthdayには上級ランクのキーボードを奮発して買いました。 「誕生日+X'mas10年分ね(^o-)v」と言いながら。 塾へ行かせた、と思えば安いものです。 話は反れましたが、キーボードの腕も母親の私から見ても手前味噌ですが、なかなかのものです。 だから、私としては「表紙」よりむしろ、有志による「演奏」に 名乗りをあげて欲しかったのですが、娘は頑固にも「表紙」の方を取りました。 そして相談室登校をしていたので、なかなか担当の先生の空き時間がつかめず この絵を持って、何度も職員室に通ったそうです。 ある日、娘がいつも以上に疲れた青い顔をして学校から帰ってきました。 訳を聞くと娘の目から涙が零れ落ちました。 こうです。 何度訪ねても、審査をする担当の教師は「授業中」だったり 「出張中」だったり、でなかなか会えず締め切りの期限が一日過ぎていました。 そして、その日やっと出張帰りの先生に会うことが出来て、絵を見せたのです。 きっと、やっと会うことが出来てホッとしたのと、凄い勇気で挑んだのとで 期待と不安が胸いっぱいだったと思います。 でも絵を見た先生の次の言葉に娘は愕然としたのです。 「う〜ん、上手いけど『中学生らしくない』絵だね。今回はもう決まっているからねぇ。」 返された絵を持って、立ち去る先生の後ろ姿を見送る娘の 頭の中は真っ白で、脚がガクガク震えた、と泣きながら娘は言いました。 私は怒りに燃えました。 バカ親と思うかもしれませんが、ここで怒らなくてどこで怒るのか!と思いました。 学校へも教室へも行きたくてもなかなか行けない娘が 何日も通って、どんな思いでその絵をさし出したか、 教師なら、もっと接し方が他にもあったのではないだろうか? あまりにも情のない態度に腹がたったのと、仮にも美術担当の教師、あまりにも陳腐な寸評。 その指導力を疑った。 そして、選ばれたのは(失礼ですが)線描きされた小学生が書いたようなマンガ。 愕然、唖然でした。 教師の言う「中学生らしさ」とは何なのでしょう? その意味と、どうしてそんなことを言ったのか、納得も理解も出来なかった私は 娘の許可を得て、学校に出向きました。 校長が出る幕もない、との判断だったのか、はたまた本当に出張中だったのか・・・ 通された校長室に待っていたのは、担当教師ではなく、教頭と学年主任でした。 簡単に書きます。 私 : 今日はお願いに参りました。 教師: はい、どうぞ。(文化祭表紙絵の選考の件でと簡単に告げてます) 私 : 娘の絵が力不足でしたかもしれませんが、あの子が何日も先生を待って どんな思いで、あの絵を見せたか・・・少しでも理解して頂けたら もう少し配慮のある言葉をかけて頂けたのではないでしょうか? 教師: はい、おっしゃる通りです。 私 : 先生方は他の不登校児や相談室登校児にも同じ様な接し方をしているのでは? そこに私は愛情を感じないのですが。 教師: ご心配も無理がないです。その件に関しては私の指導不足ということで 深く反省してまして、さっそく教師全員の適切な指導をしていきたい、と思っております。 と、大雑把に書いて、こういうことでした。 どれだけ話しても「中学生らしさ」の意味もわからぬまま、「指導不足です」、 「指導していきます」の言葉しか聞けませんでした。 怒る気力も失せたばかりか、ひどい脱力感に襲われたのは きっと「暖簾に腕押し」だったからかもしれません。 毎回、学校側と交渉する度に体中のエネルギーを使っても成果が出ません。 期待する方がいけないのでしょうか? でも他でもない、自分の子供のことです。 一生懸命することが私の愛情表現です。 間違っているのかもしれませんが、これからもきっとこんな生き方しかできないでしょう。 「中学生らしく、もっと稚拙に描け」という事なのでしょうか? 「中学生らしく」どう表現すればよいのでしょう。 傷つきながら、一生懸命生きる娘もれっきとした中学生だったのです。
※ 有志として飾っても良いと学校側から、渋々(?)の承諾を得て文化祭前夜、
娘と私は夜なべして出品作品のレイアウトをしました。体育館2Fへの階段に
張り出された娘の絵が多くの人々の目を引き,足を止めて頂いたのが せめてもの救いでした。 |

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世の中には自分ひとりでは、どうにもならない事が山ほどある。 頑張って、頑張って、更に頑張ったことでも その方向が間違っていたら、結果は思わぬ方向に大きくズレてゆく。 長女が精神的ストレスから、自律神経を患って「不登校児」になった時のこと。 (そのきっかけは、まだ差障りがあるので、今ここで触れないが) 昼間学校へ行けず、閉じこもった生活を心配して 嫌がる娘に極力、外の風に当てようと夕方一緒に外でバトミントンをしたり、 バレーボールをしたりと悪戦苦闘をしている最中、近所の奥様方は 「学校にも行かさず、遊ばせている」と風に乗せて噂話に花を咲かせている。 私が夕食のお鍋の火を気にして、ちょっと家に入った隙に、娘を摑まえて質問の猛攻撃。 「どうして学校へ行かないの?」 「学校でいじめられてるの?」 「先生は知ってるの?先生は何も言ってくれないの?」 最後は「誰が悪いの?誰のせい?」と犯人探し。 うんざりする娘。 何が原因か娘も私もわかっている。 でも事実を言ったら、差障りがあるので困った娘が「おかあさん・・・」と私を指名。 すると「やっぱりねぇ〜」ですって!@□@-☆ それで相手は納得して、翌日それは広まっていく。 逃げるように家に駆け込む娘は泣きながら「どうしてあそこまで言われないかんの」 「悔しかったけど面倒やったから『お母さんのせい』って言ったよ。お母さん大丈夫?」 『大丈夫。それでいいよ。』 田舎は偏見に満ちてる。いや、ここが特別なのかもしれない。 私のように都会から来たものは、いつも好奇な目に晒される。 23年住んでいても未だにそうだ。 よくて「当たり前」、ちょっと何かあると「やっぱりねぇ〜」 何が「やっぱり」なのかわからないが、勝手に違う方向に結論付けてしまう。 あちら側からしたら、娘がおバカな母親の「被害者」で 私は愚かな「加害者」に位置づけられるのだが、こちらにしてみれば 迷惑極まりない話で、今なら『人権侵害』『児童虐待』で訴えたい心境だ。 見る人、立場によって「被害者」と「加害者」の位置がこんなにも大きく変わる。 そう言えば10年ほど前に近所で火災があった時、 留守中の持ち主の素行の件で、警察が聞き込みに回っていたことがあった。 噂では「愛人問題でもめていた」とか、「多額の火災保険に加入していた」とか 真実否かは別として、まるで本人から聞いたようなかなり細かい情報だった。 私は自分の耳で聞き、目で見たものしか信じない。 警察に聞かれた時も「特に何も聞いてません」と答えた。 しかし、一緒にいた友人は・・・まるで街頭インタビューで突然マイクを向けられた 通行人のように顔を上気させながら、真実を知っているかのように饒舌に語り出した。 その姿を見て、(もしも何か事件があって、私が疑われた時この人は 「彼女に限ってそんなことはしません」ではなく! 「いつか、彼女はこんなことを言ってました」「こう、らしいですよ」とか 「あぁ、こんなことになるなら、一言相談していてくれたら・・・」とか もうすでに私が犯人と断定したように語るのだろうな、と思い)恐ろしくなった。 人ひとりの言葉が社会的にどういう影響があって、どんな重みがあるのか もっともっと考えてみて欲しい。 先日の香川での「おばあさんと子供二人殺し」の事件でも 最初、報道の矢面に立った「父親」に世間の疑いの目が向けられた。 彼がどんなに苦しい立場だったか、『針の筵(むしろ)』と言う彼の言葉で解るだろう。 散々疑われた挙句、犯人が検挙されたら今度は一転悲劇の主人公扱い。 家族の安否を気遣うのに精一杯の筈なのに、実に気の毒なことだ。 『疑わしきは罰せず』と云うように、真実がわかるまでは 憶測や推測などで如何なる人も批判・非難・中傷すべきではないと思う。 逆の立場で、自分がそこに立たされたらどうだろう。 そういう人達はその想像力もないから、「思いやり」の心も持てないんだ。 あの父親にしてもTVでいろいろな事件を見ていただろう。 でもまさか自分がその被害者の立場に立たされるなんて思ってもいなかっただろう。 またその逆の立場も然り。皆同じなんだ。 明日はわが身と思って姿勢を正すべきだと思う。 |





