★のんの★の悪性リンパ腫(ホジキン病)体験記

2006年に発症し、ABVD療法6クール+放射線治療50グレイで寛解。2017年に再発し、2018年7月から治療開始。

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2006年6月

今思い返すと、以前から感じていた手足の痒みがこの時期から更にひどくなり、
体全体に広がりました。
血が出る程掻いたり、お風呂の後や布団の中等体が温まると痒みが増し、
なかなか寝付けないこともありました。

しかし、私は乾燥肌がひどくなっただけだと思い、痒くて困るなぁと思うだけで
特に気にしませんでした。

この月に妊娠していることが判明しました。
出産予定日は2007年2月17日でした。

2006年4月に1度流産を経験していたので、今度のお腹の中の子どもは
無事に生んであげるんだ、なんとか安定期まで頑張ろうと思いました。

今4歳になる娘の時もそうだったのですが、私は悪阻がひどく、7月に入る前から
段々吐き気を覚えるようになりました。

嗅覚が普段の100倍になったかと思う程匂いに敏感になり、
自分の布団の匂いや人の体臭、香水、電車やバスの中の匂い、店内の匂い、
排気ガス、とにかく家の中にいても外へ出掛けても駄目で、
特に水周りの匂いは最悪でした。

湯気でも吐いていたので、梅雨の時期の部屋干しの洗濯物の匂いは
拷問のようでした。
ドアが閉まっているのに、その部屋に近づいただけで吐けました(笑)

食事も食べられず、唯一食べられたのは梨だけでした。
おかげで、5キロ痩せてしまいました。
このひどい悪阻は、8月中旬まで続きました。



2006年8月14日

時々吐くもののようやく悪阻が少し軽くなってきたので、この日から1ヶ月近く
休んでいた仕事に復帰することにしました。

久しぶりに出勤すると、お腹が大きくなってきていて制服のスカートが
きつかったので、総務課へ行ってマタニティ用の制服をもらい、着用しました。

これから悪阻も段々軽くなってくるだろうし、無事に安定期に入ったしで、
この先は楽しいマタニティライフが始まるんだと、浮き浮きしていました。

この頃3歳だった娘も「赤ちゃんが生まれたら、一緒に遊んであげるの!」と言って、
赤ちゃんが生まれるのを、とても楽しみにしていました。

まさか出勤して1週間も経たない内にこんな事になるとは、
この時は思いもしませんでした・・・。



2006年8月20日

朝起きると、突然首の付け根が腫れていて、激しく痛みました。
余りの痛さに、顔を動かせません。
腫れた部分を触わると、飛び上がる程の痛みです。

鎖骨付近が、左右に一つずつ腫れています。
腫れた部分は、柔らかくてぷよぷよしていました。

この時も、きっとバイ菌か何かでリンパ線が腫れたのだろうと
深刻に考えませんでした。

心配性の夫も
「堅いしこりだったら癌かもしれないけど、腫れが柔らかいんだったら
きっと大したことないよ。」
と安心していました。

この日は日曜日で病院はお休みだったので、明後日、お腹の子どもの
定期検診に行くついでに、病院で診察してもらおうと思いました。



2006年8月21日

朝起きると、腫れた部分の痛みが前日よりは幾分和らいでいました。

出勤し、職場でリンパ線が腫れたことを話すと、職場の人達から
「妊婦なんだから、心配事はすぐに病院で診てもらった方がいい。」と言われ、
取り敢えず通っている産婦人科病院に電話で尋ねると、同じ建物内にある
内科をすぐに受診した方がいいという返事でした。

すぐに早退して、病院へ行きました。

内科で診てもらうと、先生からバセドウ病や甲状腺腫という病名が
出てきましたが、取り敢えず採血して1週間後に結果をみることになりました。

その後、明日行く予定だったお腹の子どもの定期検診をしてもらおうと、
その足で同じ建物内の産婦人科へ行きました。

そこの病院では、4D(立体映像の動画)の超音波画像が撮れるので、
今回初めて、お腹の子どもの画像を、ビデオに収めてもらうことにしました。
お腹の中の子どもは、小さいけどちゃんと手も足もあって、しきりに手を
動かしていて、感動したのを覚えています。
「帰ったら、このビデオを夫に見せなくちゃ。」
そう思いました。

診察が終わり、帰ろうとした時に、今朝私の電話を取り次いだ看護師さんが
「そう言えば、首の付け根が腫れたことを、先生に聞きましたか?」
と言いました。
それを聞いた先生が「何処?何処が腫れたの?」と言いながら、
私の首の付け根を見ました。

「すごく腫れているね。エコー(超音波検査)で見てみよう。」
それまで穏やかだった先生の表情が、堅くなりました。

先生は堅い表情のまま、腫れた部分をエコーで何枚か画像を撮り、紹介状を
書くから大きい病院へ行くようにと言いました。
「甲状腺がこんなに腫れちゃっているから、とにかく大きな病院で診てもらった方が
いいですよ。」

そんなに深刻な状態なのかと、私は驚きました。

「内科で甲状腺腫という話が出ましたが、もし悪性だったら、お腹の子どもは
どうなるんですか?ちゃんと産めるのでしょうか。」

「今は、自分の体のことを一番に考えた方がいいですよ。」

先生にそう言われて、
「もしかして、子どもが産めないのでは」
とショックでした。

再度内科へ行き、産婦人科で言われたことを内科の先生に話しました。
内科の先生は
「血液検査の結果を見てから判断しようと思っていましたが、甲状腺腫の
可能性はあります。
でも、甲状腺腫は殆どが良性だし、良性はのんのさんのように急激に
腫れが大きくなるケースが非常に多いです。」
と言いました。

この日は仕事を早退したので翌日は出勤したかったのですが、自分の体と
お腹の子どもの命に係わることだからと思い、翌日も仕事を休み、早速
近所の総合病院へ行くことにしました。

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初めにお読み下さい

このブログを訪問していただき、有難うございます。

このブログは、2006年8月に悪性リンパ腫の告知を受けた私こと
「のんの」の闘病記録です。
治療は2007年4月に終了し、同年6月に寛解しました。
(その後2017年に再発し、2018年現在は治療中です。)

悪性リンパ腫の告知を受けた時、私は妊娠4ヶ月でした。

告知を受けて子どものことで悩んでいた時、
もしかしたら自分と同じような状況の方がいるのではないかと、
ネットで必死に探したのを覚えています。
(当時は、結局探すことができませんでしたが・・・)
私の体験が、同じような状況の方の何かの参考になるかもしれないと思い、
このブログを書くことにしました。

また、私の治療や副作用、後遺症等の記録が、患者さんご本人やご家族、
ご友人の方々にとって、役立つことができたら幸いです。

一見明るく振る舞っている患者が、心の中ではどのような事を感じたり
考えたりしているのかを、患者さんのご家族やご友人の立場の方に
何かの参考にしていただきたいという思いから、敢えて暗い感情も書くようにしています。

最初は別のブログで書き始めたのですが、当時は文章を書くだけで数ヶ月前の人工死産を
思い出してしまい、泣きながら文章を書いては、辛くて何度も中断しました。

治療中、巨大腫瘤を持つ自分が
果たして寛解するのかと不安に思ったこともありました。

お腹の子どもを人工死産してしまったことについては
賛否両論あるかと思いますが、
私達夫婦なりに悩み抜いた決断でした。

もしこれからABVD療法を受けながら妊娠継続される方がいらっしゃったら、
どうか私達夫婦の決断に惑わされることなく、
ご自分の決断に自信を持っていただきたいと思います。


それでは、どうぞ宜しくお願いします。



「2006年8月 ”袖い涼候と妊娠」へはこちらhttp://blogs.yahoo.co.jp/mimi_nonno98/383755.htmlをクリック願います。

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