週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

生活の中でちょっと立ち止まって教えられたことを、2017年6月、妻が乳がんの宣告を受け、その後の歩みについて記しています。

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死を友とする

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○○○  死を友とする ○○○   (教会の愛餐会です)          
 4月と5月に納骨式の奉仕を致しました。墓前で遺骨を前にしてありし日の故人を忍ぶ時を持ちました。イエス様はラザロの墓の前で、冷静なお方であるのに、ラザロを生き返る奇跡の力をお持ちの方なのに、涙を流されました。それは、私たちも悲しんで泣いてもいいということを示し、神が私たちを心から同情してくださることを現しています。死を迎える時、どのような苦しみだったかが頭をよぎりましたが、故人は一番すばらしい場所、イエス様のおられるところに行かれたことに思いを向けました。そして、自分の最後はどうなるのだろうと出席した者は考えました。
 ヘンリ・ナウエンの本の中で、「死を友とする」という言葉に出会いました。
死は、一般的には恐ろしいもので、心の無意識の深みに沈み、夢の中に巨大な影として出てきます。人のバックグランドミュージックに死が流れています。 
 しかし、死を友とするなら、それらから自由になることができます。死を見知らぬ脅迫者ではなく親しいゲストにすることができれば、私たちの生き方が変わるのではないでしょうか。
 確かに、多くの殉教した人たちのことを考えると、自分には死を選ぶことができるだろうかと信仰の薄さ、覚悟のなさを思いますが、死が友であるなら、それに身を委ねようという心になるかもしれません。しかし、死の先にある確かなキリストの救い、父なる神の招き、聖霊による平安と喜びがなければ死を友とすることは難しいことのです。

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