週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

生活の中でちょっと立ち止まって教えられたことを、2017年6月、妻が乳がんの宣告を受け、その後の歩みについて記しています。

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喜びと楽しみ 

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緩和科のドクターより、   (博子の英語教室を閉じました。子供たちと父兄が集まってくれました。)
「ガンは時間がある。その間に真剣に考えてみると見えてくる大切なものがある。それを見出せたら・・・」と言われました。確かに、大切なことは何かを二人で考えています。そのように行動しています。何が見えてくるか、それが大きな次の課題です。

○○○ 喜びと楽しみ ○○○             
 「あなたのみ前には喜びが満ち、あなたの右には楽しみがとこしえにあります。」 詩篇16篇をよく開きます。果たして、この喜び、楽しみを私は感じているだろうか、本当に神の前には、喜びと楽しみがあるのだろうかと考えることがあります。
 福岡にいたときに、米国からギルバート宣教師が来られて日本語を勉強していました。日本語が難しく落ち込んでいました。しかし、日曜の礼拝での祈りの当番になって、この聖句を最初に読み祈られました。彼は思うようにいかない中、主の喜びと楽しみを感じていたのでしょう。今は被災地の女川で奉仕をされています。悲しみの中にいる人々に主にある喜びと楽しみを伝えています。
 先週の聖日の夜、次男がベトナムから一時帰国しました。飛行機の故障で、マカオで一泊してやっと日曜の夜に家に着きました。長男も来てくれました。子供たちがたくましくなって。親子を超え、大人としてお互いに気遣い、関心を払い、尊敬し、仕事について、食べることについて、いのちについて、分かち合うことができました。これは神がくださった喜びと楽しみだと感じました。
 先週、博子のお母さんと弟に会うために岩手に行きました。92才の母が信仰を持ち、夜、家庭礼拝をすることができました。主が高橋家に入って来られたのです。エンジョイは、喜びを入れるということばです。主が高橋家に喜びと楽しみを入れてくださいました。
 次の日には、博子の友人が訪ねて来てくれました。一人の友人はお母さんが認知症になって普通の会話になりません。その姉妹が言うには天の御国に行けば、また、会話ができるようになる、それを楽しみにしていると。
 喜びと楽しみを主はこの地上で用意されていますが、天の御国では豊かに用意されています。安息日は、天国の素晴らしさをちょっと味見するようなものです。

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いのちの水が溢れ出て

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祈ってくださっている方々へ ****  (写真は妻が12年間続けた子供英語教室の教え子たちです。最後の授業の後で集まってくれました。)
 妻の博子が、乳がんになりました。5月の中旬より、検査が続き、診断が下されました。
ドクターより、ー分でできることはするように、⊆分でできないことは人にたよるように、そして、これは神の領域なので神に祈りなさい。クリスチャンではないドクターからアドバイスです。また、がんになったことはどういう意味があるのかを考えるよい機会としなさいとアドバイスを受けました。難しい、宿題に取り組んでいます。

○○○いのちの水が溢れ出て○○○             
 エゼキエル書を学んでいます。エゼキエルの時代にイスラエルの国がバビロニアに滅ぼされ。神殿は破壊され、人々はバビロニアに奴隷として連れて行かれました。その地においてエゼキエルが将来回復されるエルサレムの神殿について民に預言しています。
 その様子を学んでいるのですが、それはイスラエルの民がこの地上でのエルサレム神殿を再建するのと違っているのです。天の御国のようすなのです。その神殿はイエス様ご自身を示しています。
 神殿のようすですが、敷居から水が溢れてきます。約500メートル行くごとに、流れの深さを測ると。足首、ひざ、腰、歩いて渡れない川にだんだんと深くなっていきます。川の両側には非常に大きな木が生え茂っています。あらゆる果樹が成長し葉も枯れず実が絶えません。新しい実が毎月実をつけ食べ物と薬になります。
 実際のエルサレムの東からヨルダン川、死海は岩地で、最後の死海は塩分が多くて生物も植物も育ちません、水も飲めません。それが良い水になり、多くの魚が群がっています。
 黙示録22章を見るとそれが天の御国であることがわかります。そこでは神とキリストの御座からいのちの川が流れ出ています。川の両岸にいのちの木があって、12種の実がなり、毎月実ができる。その木の葉は諸国の民を癒します。
 イエス様ご自身が、「わたしが与える水を飲むものは、泉が湧き出て永遠のいのちへの水が湧き出ます」と言われました。キリストのうちにいのちの水が流れていて、それが人々を癒します。将来私たちはいつか健康であることが損なわれる時がきます。この地上を去る時がきます。少々苦しみを通るかもしれません。しかし、天の御国で完全な癒しが待っています。

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一人のために

○○○ 一人のために ○○○             
 教会に行くようになったのは、クリスチャンの高校生に教会の高校生の集まりに誘われたからです。振り返ると、その前に神の導きがありました。 
 住んでいた団地の掲示板に英会話教えますというちらしが貼ってありました。英語でも学んでみようと思い、そこに行きました。申し込んだのは私一人だったようです。若い婦人が丁寧に教えてくださいました。
 その家にデュプリーという宣教師の先生が月一回聖書を教えに来ておられました。婦人はその方の秘書を仙台でしていました。残念ながら御主人は教会には行っておられず、その御主人のためにわざわざ来られていたようです。
 その婦人は聖書に興味がありますかと何度か私に質問をしました。私はそれまでの人生で聖書に触れたことがなかったので興味がないと答えました。
 何か月がして今度は質問を変えて、英語で聖書を学ぶバイブル・クラスがありますが出てみませんか、と質問されました。英語で勉強できるならと思い、ハイと答えました。そこで、人生で最初に聖書を開いたのがマルコの1章でした。せっかくイエス様は奇跡をされて病人を癒したのに、多くの人が集まってきたので、その後寂しいところに退いたという箇所でした。
 その後、急に目をつぶり始めました。どうやら祈りが始まったようだとわかりました。どうしていいかわからずにいました。その婦人は私のために祈ってくださいました。そのことが大変うれしかったです。

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○○○神が面倒をみてくださる○○○             
 大学4年になって就職活動をしなければならない時がきました。私は教師になって神のために働きたいと思いましたが、牧師になる導きを感じていました。教育実習に行った時。校長があなたを推薦しようかと言われました。私は牧師になって社会に貢献したいと伝えました。校長は、それはいいことだ、私も戦後何も教えることがないときに、聖書から教えたと答えられました。
 次に、両親に話さなければなりません。ある日、母に卒業後どうするのかと問い詰められました。牧師になるために神学校に行きたいと言うと、母は「やっぱり」と言いました。その夜、父を加えて3人の家族会議になりました。
 父は『食べていけるのか』と心配しました。結婚はできるのかとも心配しました。二人はがっかりした声で『せっかく大学まで出たのに』と言いました。母はもう心を決めていたのか「私はあなたが決めたことに反対しない、あなたをこれまで育てさせてもらって感謝している」と言いました。
 その時に申し訳ない気持で一杯になりました。親不孝をしているのではとも感じました。しかし、その時に思いました。将来この両親が信仰を持ってこのことを感謝する日が必ず来るように祈ろう。そして毎日祈りました。
 そして、祈りが答えられ、母が救われ父も救われました。神様が報いてくださることがわかりました。
 父も母も私が牧師になったことにより、信仰を持つことができて幸いな生活をしました。二人で祈る生活になりました。父は教会で礼拝の司会をするようになりました、母は人の悩みを聞く人となりました。もし、信仰を持っていなければ、毎日、晩酌をして酔って寝て、惰性のむなしい生活しかありませんでした。祈りと感謝が出る人生、奉仕ができる人生になったのです。神に従う時に、神が面倒をみてくださいます。

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天のお父様と呼ぼう

○○○ 天のお父様と呼ぼう ○○○             
 父の日が近づいていますが、「お父さん」と呼べる人が地上でいないのが寂しいことです。子供達が普通に「お父さん」と呼んでくれるのが嬉しく感じます。結婚した長男のお嫁さんも「お父さん」と呼んでくれるのが不思議な感じを受けます。
 主を信じるとは、単純に神を「天のお父様」と呼ぶことです。それは、聖霊が導くことです。とにかく神がわからなくても、天の父よと呼ぶことです。私たち父親は子供の小さい時のことを知っています。しかし、子供たちは親がどんな者かをよく知りません。知る必要を感じていません。その愛の関係に満足しているからです。呼ぶ時にただ「お父さん」でいいのです。私たちも神のことを充分知りません。ただ、信頼できるお方と信頼しているだけなのです。自分をただ愛してくれている者だということを知っているだけなのです。
 人間の親もそうですが子供が願った時には、すぐには与えない場合がよくあります。待つことの大切さを教えるためです。
 加藤常昭師がポーランドの司祭の詩を紹介しています。詩集の書名は「あなたが祈る時、神はあなたの中で息をする」です。その中の詩です。
 「祈るなら、ちょっと待たねばなりません。すべてのものには時があります。預言者はそれを見抜いています。絶えずおねだりばかりしているような人は、望みに生きることを止めています。驚くべきことが熟して実りをもたらすのは、なお将来のこと、まだ成就していないこと、それは必ず出来事となります。主はそのすべてをご存じです。夜のただなかにあっても、忙しがり屋は、あんなにせわしくどこへ行くのでしょう。愛は信じ、友情は理解します。待つこともできないのなら、祈らないでください。」
 天のお父様と祈りましょう。

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