週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

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心の目が開かれて

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『心の目が開かれて』(友人の写真です)
 私たちの目が遮られて神がともにいることがわかりません。エマオの途上でイエス様が共に歩いてくださっているのに弟子たちはわかりませんでした。弟子たちは自分たちの成功を夢見ていました。
 私たちは、見えるものに捕らわれています。起こった出来事の苦しみ、悲しみ、辛さを嘆きます。しかし、その中に何が隠されているのか、その後に何が祝福として待っているのか。その意味についてなかなか考えません。
成功することと実りをえることについてナウエンは次のように語っています。
「成功しているということと、実りが多いということとの間には、大きな違いがあります。成功は、強さ、管理、世間体などによってもたらされます。成功は多くの報酬をもたらし、しばしば名声ももたらします。しかし、実りは弱さと傷つきやすさによってもたらされます。また、実りはユニークなものです。子供は傷つきやすさの中でみごもられた果実であり、人と人との交わりは傷を分かち合ってできる果実であり、親しさは互いの傷に触れることを通してできる果実です。私たちに真の喜びをもたらすものは、成功ではなく、実り豊かなさにあることを思い起こしましょう。」
 そのような目が遮られている弟子たちに、イエス様は聖書全体から説き明かしをされました。そして、宿ではパンを取って祝福して渡されました。その時、弟子たちの目が開かれました。目が開かれるとイエス様が見えなくなりました。聖書と神との交わりが心の目が開かれるために大切です。
 マタイの福音書は、イエス様がインマヌエルと呼ばれ、マタイの最後の言葉は「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」です。マタイの主張は、「神は我らと共におられる」ということです。心の目が開かれて共におられるイエス様とこの年も歩めますように。

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圧倒的な勝利者に

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○○○ 『圧倒的な勝利者に』○○○
 何が辛いかというと、召された人のことをいつもビデオの同じところを繰り返し見ている感じです。いつも考えてしまいます。引きずられているのです。だから、故人の写真は飾りたくないのです。
 嫌なことは、「水野さんは奥様をガンでなくした」と紹介されること。敗北者の家族のように見られるのです。
 神が召して、神が一番よいことをされて、今勝利者となって天に導かれました。私はそれを送ることができたのです。しかし、この世の見方は妻がガンに負けて死んで、夫が寂しくこの世に残されている。決してガンで死んだのではなく、神が召したのですが。
 いつも繰り返されるビデオには二つの質問がいつもついてきます。彼女はしあわせだったのか。今どうなっているのか。
 福岡の方がこんなお手紙をくださいました。
 「博子さんは幸せだったのだろうかと自分に問うておられますが、博子さんの『夫より先に召されたい』という希望がその問いへのお答えだと思います。この言葉は夫に愛されて大切に尊重されて満ち足りた幸せな結婚生活を送っている妻だけが言えることばだからです。そして、心から夫を愛して信頼して、いつも夫と一緒にいたいと願っている妻の、日々夫に感謝して、夫がいない人生なんて考えられないと思っている妻だけが言える言葉なのですよ。」
 彼女の友人が召される1ヶ月前にこんな話をしたという
「ガンを宣告されて、主人から人には神から与えられている寿命というものがあると言われた。それが慰めになった。今、平安があるのよ。」その前の電話で「私は結婚してとっても幸せなのよ」と話していたという。
 二人の言葉でとても慰められました。すでに答えが出ているのですが、その過程を解いているのが今の生活です。答えに至る解は様々なのです。
 もう一つの問い、今彼女はどうしているのか。
「キリスト教における葬儀」の中で、天国とはどんなところでしょうかという質問に、デーケン神父は「この世の中でいちばん幸せだった時のことを思い出してください。天国はそれ以上の幸せをあなたに与えるところです。」この言葉でも慰めを得ました。
 ローマ8:37圧倒的な勝利者となる、v69キリストにある神の愛から私たちを引き離すことはできない。地上で幸せだったなら、それ以上の幸せの中にある。なんという慰めではないでしょうか。

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誕生のお祝い 

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○○○ 誕生のお祝い ○○○ (伏見の散歩コースです)
 先月寂しい誕生日を迎えました。夜、帰りの遅い次男の帰りをローソクの火を灯し時を過ごしました。悲しみのセラピーには「記念日や祝日や誕生日。ただただ喜びとお祝いであった時間・・・。それが今では、非常につらい日々となりうるのです。痛みを和らげることができるように心を配って、ささやかに祝いましょう。」とあるので、一人ささやかに祝いました。
 振り返ると、その日の昼は、埼玉の友人が来てくれてランチをしました。子供達のメール、教会の役員会でケーキをご馳走になり、次の週、牧師夫人の集まりで祝って頂きました。きわめつけは、ある方から30センチ以上のでっかい誕生日カードが届きました。神が祝っていることを叫んでいるかのようです。
 みな、牧師と信徒の関係を超えて、友として接してくれています。改めて友の存在は大切だと感じます。ある週、関東の友と、カリフォルニアの友と1時間ラインで電話しました。博子姉の友と1時間話しました。彼女は自分の教会の聖餐式の時に、博子姉のことを覚えて受けたといいます。みなこちらが終えなければずっと続く会話でした。大切な1日のうちの1時間、時間をとって下さいました。
箴言 17:17 友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。
 キリストが友となって下さいました。私たちのそばに来てくださり、寄り添い、導いて下さる最も近くにいる方です。そのキリストはクリスマスに赤ちゃんとなって来て下さいました。人が片手でその命をどうにでもできる形で差し出されました。友以上のものとなってくださったのです。
 クリスマスに何を祝うのでしょうか。私たちは誕生日をお祝いします。その人の存在を喜び祝福します。しかし、イエス様の場合は私たちと違います。キリストの誕生は、キリストにとって苦しみの始まりです。キリストは神であってすでに存在された方。そのお方が人としてきてくださいました。だから、キリストが生まれたことを「おめでとう」とはお祝いできません。私たちのために生まれてきてくださったことをただ感謝するだけです。

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あの世について

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○○○ あの世について ○○○
 瀬戸内寂聴さん95才がテレビのインタビュー番組で
 「あの世はないのではないかと思う。死んだら先に死んだ人に会えると教えるが会えないのではないかと思う。」と語っていました。
 天の御国に入るにはどうしたらいいか。まさにイエス様が語っていることです。
聖書の通読で黙示録にきました。黙示録7:17「なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」イエス様についていくとは、羊飼いであるイエス様についていくこと。 
 このコラムを読んで下さっている方が、ガンの仲間にも送られました。その友人は近くの大学の「生と死を考える会」で講演をされました。
 最初に乳がんになったのは21年前、手術、放射線、抗がん剤。15年過ぎて、転移して再発、強い抗がん剤治療。昨年6月から違う場所にも転移。もう抗がん剤は辞めることにします。命の長さよりも質を取ろうと決心をして緩和ケアーにされました。死について最後に話されました。
 「死は人間の力ではどうすることもできません。死にたいと思ってもし死ねないように、どんなに生きたいと思ってもどうにもならない。がん友のNさんの友人は牧師夫人ですが、炎症性乳がんで告知から3ヶ月で亡くなられました。死の2週間前までオルガンを弾き、前日はシャワーを浴びて、亡くなる直前にはトイレに行かれた。がんの人で最期まで自力でトイレに行った人をはじめて聞きました。神様の委ね、神様に愛されたクリスチャンの最期とうらやましいです。人の生死は神様の領域、果たすべきことがあれば生かされ、もういいよと言われればそれが死ぬ時だろうと思うと平安になります。」
 加えてお伝えしたいのは、最後の数分前に痛みではなく、「聖霊で一杯になっている」と次男に語り、私には「幻が見えた」の言葉が最後でした。もし、天の御国がなければ永遠のいのちがなければなんとむなしいことでしょうか。神様の特別な配慮があったことと思います。
 クリスマスにイエス様は天の御国から私たちを導くために来て下さいました。天の御国に行くには、いつか捨てなければならない、この世のもの、変なプライド、根深い欲、限りない自己中心を捨てて、羊飼いイエス様について行くことです。

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○○○ 報いとしての永遠のいのち ○○○(たくさんいただいた手紙です)
 12月3日博子姉の納骨式を京都市内が一望できる鳴滝霊園で行い、福音自由教会の共同墓地に納骨しました。説教は午前中の礼拝であったので、午後には、自分たちのやり方ですることにしました。
 葬儀の後に、たくさんの人たちからお手紙を届きました。60件のメール、手紙が50通以上になるかと思います。それは、彼女がよく手紙を書いていたからです。その中で彼女の印象的なことが書かれていることを読み、偲ぶ時を持ちました。
 墓には彼女が好きだったバラを飾りました。数本残して持ち帰って家に飾りました。自分たちの自分たちのための納骨式にしました。
 メールの中で、ある方が言葉が出てこないので、み言葉を送りますと。
マルコ10:29を送ってくださいました。
 「イエスは言われた。まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。」
 この御言葉が深く心に入りました。手紙では、彼女の言葉、彼女の行為、彼女の態度が多くの人たちによい影響を与えていたことがわかりました。地上で百倍と言われているのですから、天においてもっとすばらしい報いがあることを思いました。
 また、福音のために奉仕した者には、来るべき世では永遠のいのちを受けるのです。これは付属で加えられているのではなく、一番すばらしいものとして、この地上のものの百倍以上の比べることができないものとして永遠のいのちが説明されています。 
 彼女は、今永遠のいのちの豊かさの中にいることで慰められました。

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