週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

2017年6月、妻が乳がんの宣告を受け、8月に自分の人生を完結して地上の生涯を終えました。その後の生活についてです。

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真の謙遜とは

○○○ 真の謙遜とは ○○○             
 ユダヤ教の教師ハロルド・クッシュナーは「謙遜とは、人生に起きた物事のすべてを自分のせいにしないということ」と定義しています。
 その意味は、まず、物事がうまくいったときに、自分の力でうまくいったと思わないこと。
次に、物事がうまく運ばなかったとき自分のせいだと思わないことです。
 モーセが人生における問題や挫折を乗り越えることができたのは、自分は神ではないこと、そして、単に神のしもべであることをしっかりと心に刻むことができたからです。
 私たちは物事の中心にいつも自分がいるという考えを持ちがちです。だから、物事がうまくいかなかったり、人から批判されると悩みます。それは幼児的な人生の見方に近いものです。2〜3ヶ月の幼児は世界の中心が自分だと思っています。そして、世界は自分の欲求を満たすように存在していると考えています。
 物事がうまくいかなくなり批判がでると謝ることによってその場を収めたいと思うことがあります。しかし、本当に自分は悪いとは思っていないのに謝るのはおかしいことです。
 謙遜の反対のことばを考えるとわかりやすいのですが、それは傲慢です。神を頼らずうまくいったと過信する傲慢、神の御心を考えずにうまくいかなかったと勝手に思う傲慢があります。
 モーセは真に謙遜でした。自分は神のしもべの一人と考えたので、望まれたすべてを果たすことができませんでしたが、失望しませんでした。
 カナンの地に人々を導くようにモーセは使命を与えられて40年間奉仕しました。そして、最後にモーセは約束の国に入れず、その直前で最後を迎えました。約束の国に入ることができなくても満足できました。それは神にすべてを任せることができたからです。

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民と共に苦しむ

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 先週の日曜は古川福音自由教会で奉仕をしました。礼拝前に門谷牧師から台風が近づいていて、東北に上陸すると観測史上初めてとなるとのことで心配されていました。私の携帯にも帰りのフェリーの欠航の知らせが入りました。どうして帰ろうかと困ってしまいました。しかし、門谷牧師の礼拝での祈祷を聞いて、そのような心配は吹っ飛んでしまいました。
 「牡蠣の養殖をされている方々が、東日本大震災で全てを失い、今回の台風の高波でせっかく養殖してここまで育ってきた牡蠣を失うことがないように」
切実に嘆願する祈りでした。
 自分が守られるように、自分がスムーズに帰れるようにという祈りが、なんと自己中心的な祈りかと感じました。自分のことはどうでもよくなりました。なんとか帰れればいいのです。それよりも被災地の方々のことが心配になり祈りました。
 大阪への帰りは陸路車で帰ることになりました。ちょうど台風が来る前に出ました。そして、台風は東北に上陸しました。
 ヘブル11章25節が思い出されました。「モーセはパロの娘の子と呼ばれることを拒み、神の民とともに苦しむことを選び取りました。」
 神の民とともに苦しむことをしないで、台風から逃げ出すようにして出てきた自分に後ろめたさがつきまとってきました。 
 失ったことで苦しんでおられる方々のために、そして、苦しんでおられる人々と共に苦しむことを選ばれた現地の奉仕者の方々のために、続いて祈ろうと思いました。

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お茶のもてなし

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○○○ お茶のもてなし ○○○             
 「おいしい!」「心が落ち着く!」この言葉を聞くために、今年も被災地に行って仮設住宅の集まりでお茶を点てます。私たち日本人はお茶を飲むとどういう訳か落ち着きます。
 お茶を飲むのは、親しい人と話をする時、休憩の一服するときでホッとする時なのでしょう。
 おいしいお茶を点てるために、宇治田原の茶師の谷口さんとの出会ったことが大きなことでした。茶道教室では作法が重視され、どのようにおいしいお茶を入れるかについては重視しない傾向にあります。そこで、お茶を作る専門家から、おいしいお茶をどのように点てるのかを教えてもらいました。
 これまで、被災された方々にお茶をお出しして喜んでもらいました。夏には、抹茶の冷たい冷茶はどの人にも好評です。
 忘れられないのは、漁師さん達がすべてを流された浜辺に集られたときに、どうぞと出した冷茶を、続いて3服飲まれたことです。また、宮古では被災前にお茶教室に行かれていた方が全てを失いました。久しぶりに抹茶を飲まれた時、昔を思い出すかのように遠慮しながら、ゆっくりと3服飲まれました。
 暑い日にイエス様は「わたしに水を飲ませてください。」とサマリヤの女に語りかけられました。それをきっかけに彼女に救いを伝えようとされました。おいしいお茶をもてなすことで、魂の渇きを潤すいのちの水を下さるイエス様をお伝えできるようにと願います。

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言い争わすに

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○○○ 言い争わすに ○○○             
  テモテに宛てたパウロの手紙の、「男は怒ったり、言い争ったりすることなく」の『言い争う』という言葉は、審議する、問題にするという意味があります。
 前東京都知事の問題が大きな話題でした。
 〈毎週、週末に、どこに行っていたのか。 
 災害があったときも別荘に行っていたの
 か。私的なことに公用車を使ったか。家
 族旅行で公費を使ったのか。その家族旅
 行で会議をしたとなると誰としたか〉
 あの審議は都知事を辞めさせるための追求でしかありませんでした。
 さて、私達にその矛先を向けられたらどうでしょうか。誰も太刀打ちできるようなものではありません。
 〈牧師としていつ祈っていたか。何を
 祈っていたか。休みの時はどこにいたの
 か。給与を何に使ったのか。牧師として
 ふさわしい行動をしたのか〉
 これは私だけの問題ではありません。皆さんにも、〈キリスト者として、どれだけ祈っているのか。ふさわしい行動をしているか。お金を貧しい人のために献金をしたか。自分の楽しみだけに使っていないか。時間を有効に使ったか。無駄な時間を浪費していないか。嘘をつかなかったか。意図的な嘘はつかないかもしれないが、間違って言ってしまったことはないか〉
 正しい人は誰もいません。だから、人を追求すると、審議すると、問題にすると答えることができません。政治のこととは別に、私たちの生活の中では、そのようなことは避けるべきことです。その前にむしろ自分が神の前にきよいかどうかをまず反省すべきです。
 イエス様の宣教の中心はなんだったでしょうか。それはイエスの十字架による罪の赦しです。イスラム国は憎しみから始まっています。憎しみからは何もよいものが出てきません。私たちにはキリストの罪の赦しがあります。それは人と人との和解に進むことを可能にします。

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○○○ Tサイト(天国の場所)○○○             
 韓国料理を楽しむ会に、佐野文子さんが出席されました。彼女の料理店に学生達を招いてくれました。佐野さんとツタヤの社長は親しい仲で、社長さんは枚方に来た時には、いつも彼女のお店に来られます。先日、彼女はTBSにも出演されました。
 ツタヤの第一号店が枚方でスタートしたときに、佐野さんがアドバイスをしました。「ただお客様が喜んで満足して下さるように、いつもお客様に自分を合わせるように。」
 そのツタヤが駅前にTサイトを作りました。夜に行くと5階までが本棚が並ぶガラス張りのステキな空間になっています。そこで、コーヒーを飲みながら過ごせるのです。
 佐野さんのビジネスの成功の秘訣は、与えることです。与えれば返ってくるという霊的な法則を持っています。私たち学生たちのチームも招待してくださり、おいしいごちそうを頂きましたが、確かに私たちは佐野さんのために祈りました。そのように、祈られる場所は祝福される訳です。
 さて、学生たちとTサイトを見学した後、危篤になられた田中さんを訪問しました。次の日から三日間、多くの時間を田中さんの病室で過ごしました。人生の終わりに誰か近くにいてくれる人がいないというのは寂しいことですから。
 Tサイトで多くの若者とスタバのコーヒーを飲んでいる時に、とてもいい気分になりました。ここで過ごしたいと思いました。田中さんの病室で買って来たコンビニのコーヒーを飲みながら、ここはステキな場所ではありませんが、とても大切な場所だと感じました。
 どちらも現実ですが、神に近い場所は病室でした。Tサイトにはサービスがありましたが、病室には人々の愛がありました。この田中さんは28日召され、30日親族が誰もいない中、数人の教会員で葬儀をしました。彼女は今、本当のT(天国)サイト(場所)におられます。

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