週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

62にしても迷っています。生活の中でちょっと立ち止まって教えられた

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意志力の衰弱 

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○○○ 意志力の衰弱 ○○○             
 スタンドード大の心理学者ケリー・マクゴニガルが私たちの意志の弱さを紹介しています。
.織丱海傍されている健康についての警告表示があります。吸いすぎると健康を害するという警告は効果がありません。医療従事者が発見したことは、欲求を抑えるかどころか、かえって逆効果で人を不安にさせ、その不安を落ち着かせるためにタバコを吸うことになるというのです。さらに猛烈に吸いたくなってしまうというのです。
◆嵌酲の従業員に雇用主が差別待遇をする」という記事を読んで、人はどうするでしょうか。対象になる人たちは、減量しようと思わないで、さらにカロリーを多くとってしまったというのです。人は恥をかくと自己破壊的な行動に走ってしまうのです。
自分が道徳的によいことを行ったと感じている人は、次に悪いことをしてしまう可能性が高くなります。過去によいことをしたので、次は自分にゆるくしようとするのです。全米の上位企業の社長の行動を分析すると、過去、企業の社会的責任が認められた業績のある社長は、特に不祥事を起こして告発される確率が高かったというのです。人はよいことをすると、次は少々悪いことをしてもいいと考えてしまうのです。
 最初の人アダムは、警告を受けていましたが、かえってそれを破りました。破ると死ぬと言われていましたが、自己破壊的な行動に走ってしまいました。今まで従順に行きてきたので、これくらいはいいだろうと甘くなってしまったのです。
 聖書の罪という言葉には、的外れ、道を外すという言葉があります。私たちは意志において罪を犯してしまう弱い者です。
 「罪の増し加わるところには、恵も満ちあふれました。」これが救いです。キリストの義のわざにしか罪の解決がありません。

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絶望がない人生

○○○ 絶望がない人生 ○○○             
信徒の友に載っていた宝田あいの証しです。
 「宝田あいのお嬢さんが山本書店の山本七平の奥さん。山本七平は結婚した当時貧しくて自分の家の四畳半1間を山本書店として地味な本を出版していた。10年位してようやく1軒の家を借りて今まで預けていた本を収納することができた。ところが、その3日後に漏電による火災でいっさいの物が焼けてしまった。そのとき、奥さんのお母さんである宝田あいさんが来て娘を抱いて『神様は愛なりよ』と言った。その時はとてもそうは思えなかったが、何か記念になるものがないかと灰の中を探したら1枚の絵が奇跡的に出てきた。それは「希望」と題するジョージ・フレドリック・ウオットの絵だった。一人の女性がたて琴を取って地球の上に腰掛けている。彼女は目かくしてされており、一つに星が輝いているがそれを見ることができない。この絵を見たときに彼女はやはり神は愛だ、希望を持たねばならない、1本の糸でも残っていればそれを弾いてみようと思った。私たちには絶望がない。神は絶望するようなことも益としてくださると教えられた。」
 私たちが苦しみにあったときに、先が見えないことが一番の悩みです。目隠しされている状況です。しかし、霊の目を持つと少し希望が見えてきます。一本の弦に気がつくのです。じつは、この苦しみを通して私たちはきよめられるのです。
 苦しみを通して今まで重要だったことが重要でなくなります。これまで誇っていたもの、知恵、強さ、富、行い。苦しみを通してそれらの価値がなくなってくるのです。その先に神の栄光があります。

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勝利の光栄に酔う生涯

○○○ 勝利の光栄に酔う生涯 ○○○             
 内村鑑三の「ロマ書の研究」5章の解説より
 『喜びをなせりは原語のカウカオマイである。これは英語のrejoice(喜ぶ)、boast(誇る)glory(栄とする)などを意味する語であって、勝ち得てあまりあるところのその勝利を喜ぶという意味である。1節より4節までを反復熟読せよ。信仰生活の特徴は遺憾なくこの数語の中に示されているではないか。これを霊的領得の上より見れば、神と和らぎ恩恵に入り妙なる希望を与えられて勝ち喜ぶ心境であり、これを実際生活の上より見れば、患難にありても、その生むところが忍耐、練達、希望なるがゆえに、勝利の光栄に酔う生涯である。』
 『神を喜べりは神にありて勝ち誇れりの意味である。単に怒りより救いださるるにとどまらず、救われて勝ち誇るに至る。かろうじて救われたのではない。優に救われて、罪と死に勝ち得て余りあるのである。5章の1節〜11節は歓喜と勝利の連続である。』
 内村鑑三のローマ書講演は、大正10年、内村が61歳の時のこと。毎回600人が集いその中には仏教の僧侶もいたといいます。
 彼はしっかりと原語を調べて語っています。日本語訳の「神の栄光を望んで大いに喜んでいます」新改訳、「神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。」口語訳、「神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」新共同訳だけでは伝わりません。内村の解説は、『勝ち得てあまりあるところのその勝利を喜ぶ』『勝ち誇れりの意味である。』患難さえも喜んでいるは『患難にありても、その生むところが忍耐、練達、希望なるがゆえに、勝利の光栄に酔う生涯である』
 私たちの人生は、神を勝ち誇る人生、勝利の光栄に酔う生涯であることを喜びたいと思います。

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赦しと監獄 

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○○○ 赦しと監獄 ○○○   (高槻で行われたニューイヤーフェスティバルでの茶席の奉仕者です      聖書に赦しと監獄の話があります。
 マタイの福音書 18 章で王がしもべと精算をすることになりました。何万年分の労賃の借りのあるしもべが連れてこらえました。王はかわいそうに思って赦しました。ところが、赦されたしもべはたった100デナリを貸していた人を赦さずに、借金を返すまで牢に投げ入れました。それを聞いた王は怒って今度はしもべを牢に入れました。期限は借金を返すまで。返せないしもべは永遠に牢に入れられることになりました。兄弟を赦さない者にはこのようにされるとイエスは言われました。
 人を赦さないものは、心が監獄に入れられているようなものだといわれます。心が閉じ込められていて体が自由なのに、心が自由になれないのです。忘れられない過去の記憶と傷の監獄のなかに閉じ込められているのです。赦しによって心の監獄から自由になることができます
 人を赦さないとは、心に囚人を見張っている看守のようだともいわれます。囚人がいる限り、看守は自由になれません。いつも監獄の中の囚人を見張っていなければならないのです。そして、赦すことで囚人は解放され、自由になれるのです。
 27年間監獄にいた南アフリカのネルソン・マンデラは大統領になり、その就任式の演壇に自分が入っていた監獄の看守を招きました。彼は「この国は正義よりも癒しを必要としている」「ゆるしこそ恐れを取り除く最強の武器だ」と語り赦しを伝えました。彼を何年も見張っていた看守に、マンデラは毎日従わなければなりませんでした。彼が自由になっても、看守はまだ存在します。看守との和解がマンデラを自由にしたのです。

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 混乱の中での平安 

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○○ 混乱の中での平安 ○○    (高槻で行われたニューイヤーフェスティバルでの茶席の奉仕者です   
 私たち家族は父が友人の借金の保証人となり、それが払えず金沢から中学2年のときに夜逃げして関東にきました。父は社長からサラリーマンになりました。中途採用なので給料は安く。4畳半一間と台所、共同トイレ、風呂無しのアパートで再スタートでした。
 父は職人で母は寺で育って19才で結婚したので、大学に行くという考えがなく私は工業高校に行きました。
 荒れていた高校で、勉強をしていると後ろからたたかれ、校内では盗みが横行していました。学校のハイキングは県内の工場見学。卒業するとこのラインで働くのかと暗くなりました。夢も希望も持てませんでした。
 その学校にクリスチャンがいて、教会に誘ってくれました。17歳の時です。思い切ってイエス様を信じる祈りをしました。その決心した時、心になんともいえない、説明ができない平安が訪れました。平安がくると将来の希望を持つことができるのです。
 クラスの友人に神を信じると心に平安がくるということを語り始めました。クラスメールが教会に来てくれました。その中で3名の人が洗礼を受けました。
 その平安を説明するために、エレミヤ29章を引用しました.「主の御告げ、それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
 しかし、このエレミヤ書が書かれたのは、イスラエルの危機の時です。国が滅ぼされて民がバビロンに引かれる中で、神は希望がある、将来があると語っているのです。
 人生の危機のときこそ、主が語られます。主の平安は普通の時に語られたのではなく、不安の真っ只中で、困難の真っ只中で、混乱の真っ只中で語られます。

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