週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

毎週教えられていることを隔週で紹介しています。

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悲しみで死ぬほどに

○○○ 悲しみで死ぬほどに ○○○
 妻が天に召されて2週間になります。朝、泣くことが少なくなりましたが、黄昏時に急に悲しくなります。その悲しみが苦しいのです。泣いてもすっきりしません。妻のことを思い出すと悲しくなるので、思い出さないようにすればいいのでしょうか。病気のことをどう思っていたのか、思うように体が動かなくなった時のことをどう感じていたのか、最後の時は何を考えていたのだろうか等を思い返すと辛くなります。妻のことばかりではなく、私自身が病院で泣いた時のこと、道ばたて、空港で、家で泣いた時のことを思い出すと、また泣けてきます。長男が医師から2年は続くと聞いて来ました。
 33年間、いつも共におり、1日のことを話し合い、何でも分かち合いました。喜びも苦しみも共にしました。その伴侶がいないのは辛いことです。夫婦であればいつかどちらかが味わうことですが。
 イエス様の言葉を思い出しました。ゲッセマネの祈りの時に、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」そして、ペテロとヤコブとヨハネの3人に「ここを離れないで、わたしと一緒に目をさましていなさい。」と言われました。
 イエス様の悲しみは十字架にかかるという苦しみを受ける悲しみと理解していました。イエス様の悲しみとはどんな悲しみだったのでしょうか。イエス様は父なる神と共にあり、親密な関係でした。その父なる神との交わりがここで断たれています。父なる神が愛するイエスを十字架にかけるというむごいことをされることで、愛の関係に父なる神は目をつぶったのです。
 その愛の関係の変化に悲しみが訪れ、それは死ぬほどに苦しいものだったのではないでしょうか。だから、近くに3人の弟子を置いたとも考えられます。しかし、彼らではもちろん間に合いませんでした。
 父なる神からイエス様が見放されるという悲しみ、それは死ぬほどの苦しいものでした。私の悲しみも今まで親密な関係から、それが無くなってしまったという喪失の悲しみです。
 しかし、イエス様は私達のために、さらに厳しい死ぬほどの悲しみを受けて下さいました。

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短くもきれいな死

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短くもきれいな死
 神が許された、神が決めたことという信仰に立たなければむなしい。
6月5日に乳がん中の1%の割合の進行性の炎症性乳がんと診断されました。転移して第4期で治療ができないと言われました。
 博子の希望は、最後は痛みがなく召されたい、効くか効かないかわからない抗がん剤で苦しみながら命を少し延ばすことは好まないという考えでした。そこで、乳腺科から緩和科に移りました。
 緩和科のドクターは親身になって毎週時間を取ってくれました。「がんになった意味を考えてみてください。」「10できることの6しかできなくなったら、4を嘆くのではなく6で何をしたいのかを考えなさい。」「残りの人生が短いとわかると今まで見えなかったものが見えるようになる、見えるといいですね」最後に、「これは神の領域なので神に祈りなさい」と言われた。まさにそうだと思いました。
 キリスト者として残された日々を有意義に過ごすことを第一に考えて生活しました。
 7月18日に子供達に話し、7月25日に子供英語スクールを閉じ、7月26日に岩手への最後の旅をして母に話し、7月27日大学生の時の親友、8月7日親しい牧師婦人の仲間、それぞれに会って最後の挨拶になるような真実な真剣な交わりとなりました。
 8月13日最後の礼拝、最後のオルガン奉仕。魂に響き渡るオルガンの音でした。
 8月15日療養のため暑い教会二階の牧師館から長男の近くの伏見のマンションに引っ越しました。17年住んでたくさんの物が溢れていました。これまでの英語スクールの教材、衣服等、処分しました。
 8月28日夜、長男が食事を用意し、シャワーを希望したので、健がシャワーとシャンプーをしました。朝、トイレに連れて行きそのまま休みました。そして、息が荒くなりそのまま召されました。体は痩せてしまったが、引っ越してからもきれいな顔で休んでいました。どんな気持ちと聞くと、「みんなに囲まれてしあわせ」と答えました。
 もし、病院に入院していたら、夜は一人になるし、さびしい最後でした。痛まず(しんどさがありましたが)家族に囲まれて、一度も入院せずに、長く苦しい闘病をせず、きれいなからだで、荷物を整理し、親しい人に挨拶をし、教会にも迷惑をかけず、奇麗な景色を楽しめる新しい家で召されたのは、今考えると最高の最後ではないかと思います。
 伏見に移って、伏見城の自然を歩き、伏見の町の水路を歩き、二人で楽しめたらよかったのにと思いますが、天の御国ではもっとすばらしい都があり、いのちの水が流れている。こっちのほうが比べ物にならないすばらしいところよ、と声が聞こえそうです。そのようなすばらしい天の御国に先に帰りました。
 悔いが残りますが、神が天の御国の方がいいところだから、早く博子を連れて行くと決められました、それを受け止めなければなりません。

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主は弱い者の味方

○○○  主は弱い者の味方 ○○○             
 先週も途方に暮れることにぶつかりました。関電病院から紹介状をもらい、近くの京都医療センターの緩和科に移ることになりました。なんとか診察の予約を入れてもらいました。
 若いドクターで最初に緩和科について説明があり、現在120名が入院で待っているので、入院は難しいというのです。緩和科では薬は出しますが、緊急の時には緩和科には入れません。一般病棟にも紹介状がないと入れません。あなたはどのように話し合って来たんですかと言われました。どうしていいかわからないので、こちらに来たのですが。とにかく、入院は難しい薬は出しますが、それ以上は期待しないように、という話でした。
 車椅子にいて疲れ切っている妻を見て途方に暮れました。ロビーに出て友人の西野さんが「一つの扉が閉ざされたら次の扉が開かれますよ」と言われました。人間に信頼するのではなく神に信頼しなければならない、信仰しかないと妻と語り合いました。
 憔悴しきって役所に手続きに行き商店街を歩いていると、「水野先生ですか」と声をかけられました。向島教会の牧先生の奥様でした。事情を話し、緩和科には入院できない、地域の病院になんとか入院できるように考えていますと話しました。彼女は教会にO病院の理事長夫人がおられるから、そちらにしたらどうかというお話しです。そして、早々その連絡を取っていただき、緊急の時には入院が可能になりました。
 私は入院するところが見つかったという感謝以上に、主が私たちのことをご存知で、憔悴しきったそのすぐ後に、主の奇跡の導きをくださったことが感謝でした。主は弱いものの味方、主は苦しむときそこにある助け。「一つの扉が閉ざされたら次の扉が開かれる」経験をした。博子はその夜、母に奇跡が起こったのよと喜んで話をしていました。

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途方に暮れる

 途方に暮れているときに、埼玉から妻の親友のNさんが来てくださり、13日間妻と寄り添い、食事作り、介護をしてくださいました。真の友の姿を見せてくださいました。皆様の祈りに支えられています。ありがとうございます。
  ○○○  途方に暮れる ○○○             
 6月より一言で言うと「途方に暮れる」ことに何度もぶつかりました。
 妻がガンの宣告を受けた時、どうしたものか、途方にくれました。地域のクリスチャンのUさんが次の日に突然来てくださいました。同じ乳がんから生還した人です。食事療法、自然療法、考え方を変えること等、教えてくださり力が出てきました。
 妻の療養のため暑い牧師館から長男の近くに引越しを決意しました。17年住んでたくさんの物が溢れていました。妻が動けない中。引越しをどうしたらいいのだろうか、部屋を見渡して途方に暮れました。長男夫婦が丁度夏休みで時間が取れ、家探しから、荷物のパッキングまでしてくれました。
 引越してから、荷物の整理、食事作り、妻の介護、くたくたになってしまいました。そこに、妻の親友のNさんが埼玉から泊まり込みで来てくださいました。本当に助かりました。
 夜妻が寝られない時に起きて体をさすっている時、聖書のガリラヤ湖の嵐の時のことを考えました。弟子たちは夕方に舟に乗ったので、もう夜中になっていました。暗闇の中でどうすることもできない中で戸惑っていました。そこに嵐が起こったのです。そこにイエス様がおられたのに弟子たちはパニックになりました。
 夜中、隣の部屋に気遣ってくれる人が、一人いるだけで安心です。舟にはなんとイエス様がおられましたが、弟子たちはイエス様の力を知らなかったのです。 
 そして、イエス様はこの時に、主に任せることを教えようとされたのです。私もここまで導かれたイエス様に任せるように言われている気がしました。イエス様の言葉、「どうして、そんなにこわがるのです。信仰がないのはどうしたことです。」パウロの言葉「途方にくれていますが、行きづまることはありません。」

***** P.S. 祈ってくださっている方々へ ****
 8月15日に長男の家の近くのマンションに引越しをしました。見晴らしがよく、エアコンを入れると涼しく、きれいなところです。丹波橋から8分です。病院は関西電力病院から、近くの京都医療センターに転院しました。様々な場面で神様の助けを感じています。また、皆様の背後の祈りを感謝しております。

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人生の棚卸し

 まさに人生の棚卸しをしています。現在の教会の二階では暑く、また、人の出入りがあるので、ゆっくりできません。長男のいる伏見のマンションに引っ越すことになりました。マンションは景色がよく、空調もききよい環境です。ただ、負担を負った妻には負担が大きかったようです。静かに静養中です。

○○○ 人生の棚卸し ○○○
17年間住み続けた教会の2階から、伏見の2LDKのマンションに引っ越すことになりました。すべての物を運べないし、入れられないので、整理をしています。
 17年間、一度も使ったことのないもの、いつか使うだろうと置いてある物、高価だったので捨てられないものが存在します。もし、このまま死んだらゴミの中で死ぬようなものだと思いました。引越しを通して、何が大切なものかを選ぶ時、必要でなくなった物を整理する時が与えられました。
 人生の棚卸しでしょうか。たくさんの本、昔聞いた説教ノート、神学校時代のノート、年間スケジュールの手帳、神学辞典、いつか使えるかと思うセミナーノート・・・。何箱も捨てて、売れるものは売りました。振り返って見ると、果たして自分は実を結ぶ人生を送ってきたのだろうか。そして、これからの人生で何をめざしたらいいのかを問われています。
 聖書のみ言葉が手掛かりです。実を結ぶのは、自分の力ではなくキリストによって実を結ぶことができます。神の言葉に従う時に、キリストが私たちのうちで実を結んでくださると語られています。はたして、私たちはそれを認識することができるでしょうか。
 博子の母が信仰を持ち、家で祈りが始まり、教会に行くようになりました。博子の病気のことを伝えても、「あなたは神のためにしてきた、だから神様がご存知」「あなたには神様の使命があるんだから大丈夫」と励ましてくださいました。母のうちに信仰が生きていることがわかります。試練の時にそれがわかるのでしょうか。

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