週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

生活の中でちょっと立ち止まって教えられたことを、2017年6月、妻が乳がんの宣告を受け、その後の歩みについて記しています。

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 混乱の中での平安 

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○○ 混乱の中での平安 ○○    (高槻で行われたニューイヤーフェスティバルでの茶席の奉仕者です   
 私たち家族は父が友人の借金の保証人となり、それが払えず金沢から中学2年のときに夜逃げして関東にきました。父は社長からサラリーマンになりました。中途採用なので給料は安く。4畳半一間と台所、共同トイレ、風呂無しのアパートで再スタートでした。
 父は職人で母は寺で育って19才で結婚したので、大学に行くという考えがなく私は工業高校に行きました。
 荒れていた高校で、勉強をしていると後ろからたたかれ、校内では盗みが横行していました。学校のハイキングは県内の工場見学。卒業するとこのラインで働くのかと暗くなりました。夢も希望も持てませんでした。
 その学校にクリスチャンがいて、教会に誘ってくれました。17歳の時です。思い切ってイエス様を信じる祈りをしました。その決心した時、心になんともいえない、説明ができない平安が訪れました。平安がくると将来の希望を持つことができるのです。
 クラスの友人に神を信じると心に平安がくるということを語り始めました。クラスメールが教会に来てくれました。その中で3名の人が洗礼を受けました。
 その平安を説明するために、エレミヤ29章を引用しました.「主の御告げ、それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
 しかし、このエレミヤ書が書かれたのは、イスラエルの危機の時です。国が滅ぼされて民がバビロンに引かれる中で、神は希望がある、将来があると語っているのです。
 人生の危機のときこそ、主が語られます。主の平安は普通の時に語られたのではなく、不安の真っ只中で、困難の真っ只中で、混乱の真っ只中で語られます。

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十字架の栄光

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○○○ 十字架の栄光 ○○○             
 長崎で一番心に残っているところは、26聖人記念館です。
 24人のキリシタンは1597年秀吉の命令により、京都で耳をそがれて京の町を引きずり回され長崎に送られ処刑されました。途中で二人加えられて26人になっています。その処刑された場所に祈念碑があります。何度も来ているのに心に響くところなのです。
 彼らは、信仰を捨てると言えば解放されました。役人も最年少のわずか12歳の少年ルドビコ茨木がいるのを見て哀れに思い、「キリシタンの教えを棄てればお前の命を助けてやる」とルドビコに持ちかけました。しかし、彼は「(この世の)つかの間の命と(天国の)永遠の命を取り替えることはできない」と答えました。
 彼らの記念碑を見て、誰もが「ああ処刑されてかわいそうに」とは思いません」「うらやましい」とも思わないでしょう。しかし、誰もが見事だと思うでしょう。見事とは、「見るべき価値のある」という意味です。外側の輝きではなく、神の御心にかなって生きているかが問われます。
 キリストはヨハネ17章の祈りの中で、栄光を現してください、栄光で輝かせて下さいと祈られました。この栄光とは十字架のことを意味しています。
 キリストは本来王の着物を着るべきなのに裸にされ、犯罪人としてむち打たれ、十字架で殺されました。それが栄光だというのです。 
 十字架それは神のご計画、贖い、神のなさる最上のこと、最大の愛の現われなのです。イエス様は遣わされた者として、その使命を十分に果たすことが栄光を現すことだと言われたのです。十字架の上に神の栄光が輝いているのです。私たちは世に遣わされた者としてどのように生きたらいいのでしょう。

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○○○ 宣教師の顔の復元をして ○○○             
 2014年の7月に、茗荷谷駅近くの切支丹屋敷跡から3基の墓と人骨が出土しました。DNA分析や人類学的分析、新井白石の「西洋紀聞」などの文献をもとに、一基の人骨は、最後の潜伏宣教師と言われる、ジョヴァンニ・パッティスタ・シドッチであると確定されました。その両側の墓から出土した人骨は、彼が洗礼を授けた長助、ハル夫妻のものであると思われます、
 シドッチは、日本で厳しい禁教の中で捕えられれば処刑されることを知っていながら日本宣教を志願し、禁教下1708年、屋久島に上陸しました。しかし、言葉が通じないので、すぐに捕えられ長崎奉行所を経由して江戸に送られました。切支丹屋敷に入れられ新井白石の尋問を受けました。白石は、シドッチの人格と学識に感銘を受け、敬意を持って接しました。
 屋敷でシドッチの監視役で世話係であったのは長助・はるという老夫婦。ある日、木の十字架をつけていることを役人により発見され、シドッチより洗礼を受けたと告白しました。そのためシドッチはこの2名とともに屋敷内の地下牢に移され、その10ヶ月後の1714年(正徳4年)46歳で衰弱死しました。
国立科学博物館では発掘された遺骨をもとにシドッティの頭部の復元像を制作し、2016年11月に公開しまし。なんとシドッチの顔が再現されたのです。
 いったい日本人は暗い地下牢に餓死させた人の顔を復元して何を考えるのでしょうか。彼が命がけで語ったことを聞かないのでしょうか、彼が今栄光の中に入れられていることを知ろうとしないのでしょうか。我らキリスト者も感心するだけでいいのでしょうか。餓死させて殺した先祖、勝手に再現した現代人。 
 科学が再現したのは外側の人間の顔。彼が何を語ったのか、今何を語ろうとしているのかを聞くこと、今彼がどこにいるのかを知ることが大切なことではないでしょうか。

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感謝の祈りで始める

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○○○ 感謝の祈りで始める ○○○             
 私たちは非常に否定的ですぐに感謝を忘れてしまう弱い存在です。
 難しいことがあると一生懸命祈ります。しかし、困難に目が奪われてその困難がさらに大きなり、それに支配されてしまいます。その問題をすでに支配している神様よりも、その困難を自分のほうで大きくしてしまっています。
 これまで神が祈りをお聞きになり御業をされたことよりも、まだ、祈りが実現していない、聞かれていないことに焦点を合わせてしまいます。いつの間にか、神から忘れられ、見捨てられたような気持ちになってしまいます。
 まず、神に感謝することから始めて、神に心を向けることです。
ジョン・ホワイトが感謝の祈りで始めよと勧めています。
 「感謝の祈りで始めると、あることが起こります。自分の影の暗闇から祈ることがなくなります。自分の暗黒の影に縛られている限り祈りの中に自由を持つことができません。あなたの前の壁にゆらめく巨大な影はあなたが祈りにはふさわしくないことや力の無さや不信仰を指摘して脅かします。そして、あなたが小さく縮むと、影はよりおおきくより黒々としてくるのです。ですから感謝を献げましょう。影は影に過ぎないのです。」
 感謝が影の暗闇から私たちを解放します。神の現実に私たちを引き戻して下さいます。神は祈りを聞かれる方、神は実際におられることを示すために、この地上にイエス様を送られました。最後は、愛の最大の表現である十字架で救いを完成されました。人々の前で神の愛をお見せになられたのです。そして、今や御霊が与えられ祈りを支える方が遣わされています。感謝の祈りから始めましょう。

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異国に遣わされて

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○○○ 異国に遣わされて ○○○             
 イスラエルの王には成功と失敗がありました。光と影です。王という権力を持つ者の危険性がありました。しかし、捕囚にされて異国にいるダニエル、ネヘミヤにはそれがありません。ダニエル、ネヘミヤは王に仕えるものとしての忠実、忍耐があります。さらにきよさが見られます。
 エズラはペルシャ王のクロスの時代。ネヘミヤはアルタシャスタ王の時代。エステルはアハシュエロス王の時代。アハシュエロス王の時代には、ペルシャ国はインドからエチオピアまで127州を収めていました。
 このような権力にたいして立ち向かい力を得ることがイスラエルの使命ではありませんでした。主なる神を伝えることがイスラエルの使命です。神はイスラエル人でありながら、国の高官、側近になり、主なる神を伝えるように導かれました。
 それまでのイスラエルの王がいた時代には、腐敗、不信仰が蔓延していました。列王記はダビデ王の失態から始まり最後の王の不信仰で終わっています。しかし、捕囚となり異国に移され、異国の王の元で暮らすイスラエル人は信仰がきよめられ、強められています。これまでの人間臭い王の歴史ではなく、祈りがその人たちの中心となっています。神がどのように異国の異教の中で祈りを聞いてくださっているかを記している。私たちの信仰も、試練の中で整えられるのではないでしょうか。
 イエス様は王となって権力を地上で用いるということをせず、しもべとして仕えるという方法で神の国を伝えていきました。私たちも王となって権力を用いるのではなく、しもべとして世に仕えるということを求められています。

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