週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

毎週教えられていることを隔週で紹介しています。

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盃が溢れています

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○○○盃が溢れています○○○
 詩篇23篇には、羊飼いは私の杯を満たして溢れさせてくださるとあります。
 主人は客に葡萄酒を出します。杯が一杯になっていると歓迎されていることがわかりますが、空のまま置かれていると受け入れられていないと感じます。主人は、いつも杯に葡萄酒をなみなみにつぎます。杯が溢れてきます。それは、神が私達を喜んでくださっていることを示しています。
 この盃も神から与えられるもの、そして、自分の努力で盃を満たすことのできるものではなく、主人であり、羊飼いである神ご自身が満たすものです。
 伴侶が召されて1ヶ月頃がとても辛いと聞きました。静まりのリトリートの世話役をしているので責任から参加しました。夜に会場の修道院の暗い食堂で2時間、時の流れるままに座していました。主が恵みの中で妻を取られました。ならば、これから私にはそれに替わる恵みが用意されていないはずがない。最後にそこに落ち着きました。
 次の日に詩篇23篇を読みました。一行のことば、「私の盃は、あふれています。」この盃はイエス様の受けたものとは違います。イエス様には、十字架の苦しみである盃でした。「わが父よ。どうしても飲まずには済まされぬ杯でしたら、どうぞみこころのとおりをなさってください。」とイエス様はそれを受けられました。
 イエス様の十字架の御業のゆえに、私たちには祝福だけが用意されています。それを盃で表現されています。そこにはいつも一杯に祝福が溢れています。 
 しかし、それが満たされているのかどうかが、わからないのが羊である私たちの弱さでしょうか。待たなければならないものもあるのかもしれません。けれども、神は溢れる祝福を用意されているのは確かです。
 悲しみで辛くなると、この言葉にかえるようにしています。「神様、あなたが妻を取られたのでしょう。ならば、それに変わる祝福を用意されているのでしょうね。」半分焼けになっています。

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死について学ぶ

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○○○ 死について学ぶ ○○○  (4月の背割りの桜を背景に)
  伏見に移り、朝はデイリーブレッドを使って一緒に聖書を開き祈り、昼は、「ガンをかかえて生きるセラピー」を読み祈り、夜は、ヘンリーナウエンの「今日のパン、明日のパン」を読んで祈りました。
 ナウエンの日課は、丁度テーマが「死」のテーマが続いていました。
『死のとげを取り去る』「死とは家に帰ることです。このことを多くの人々から何度も聞いていますが、私たちが家に帰りたいと思うことはまずありません。今いるところにとどまっていたのです。それは死後何が得られるのかを知らないからです。私たちは生にしがみついています。けれでも、イエスは死のとげを取り去って、死を恐れる必要のないことを私たちに分からせてくださるために来られました。このことを本当に信じることは、簡単なことではありません。しかし、一つ一つの小さな信頼のかたちを表してゆくことで、私たちはこの真理へと近づけられます。」
 『私たちの旅をよく生きる』「死とは新しいいのちへの旅です。こういうと非常に美しく響きますが、私たちの内にこの旅をしたいと思う人はほとんどいません。これまでの旅の数々が、私たちの最後の旅の前置きとなっていると考えてみることは、死について考える時役に立つかもしれません。」
『愛と別離の苦悩 』
「愛する友が別の国へ旅立つ時や、亡くなる時、別離の悲しみは私たちを引き裂くほどつらいものです。けれども、人が去って行くことで受ける苦しみや悲しみを避けようとするなら、私たちが人を愛する喜びを味わうことは決してないでしょう。愛は恐れよりも強く、生は死よりも強く、希望は絶望よりも強いのです。私たちはこういう危険を犯してでも敢えて愛するということに、いつも価値があるのだということを信じなければなりません。」
『感謝に満ちた死』
「死について考える時、しばしば私たちは、死んだ後、どうなるかということについて考えます。けれども、後に残された人々がどうなるかについて考えることの方がもっと重要です。私たちがどのように死ぬかは、後に残って行き続ける人々に深い永続的な影響を残します。家族や友人たちに私たちが贈ることのできる最高の贈り物は、感謝の贈り物です。私たちが感謝の心で別れを告げるなら、私たちがいなくなった後も、後に残される人々が、つらい思いや罪責感なしに生きていくことができるように解放します。」
 これが。最後に読んだ日課です。死について向き合うことができるように導かれたのではないかと考えています。

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御言葉たのみて

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○○○ 御言葉たのみて ○○○(皆さんからたくさんのお花をいただき、家が開店祝いのようです。まだ、開店はしませんが、お茶教室を再開することにしました。セミナーも受け付けることができます。日常に戻りリハビリしたいと思います。よろしくお願いいたします。)

 博子の静養中、元気なうちに、もしもの時の準備をすべきではないかと話しました。私が各地で終活のセミナーをしているのに、彼女はエンディングノートに何も書いていませんでした。召される2週間前には字が書けなくなってしまいました。ホスピスに入って落ち着いてから私が代筆しようと話していました。
 しかし、彼女は突然召されて葬儀の準備になりました。賛美歌はどうしたらいいか聞いていません。葬儀ではいつも二人で賛美していた文香さんに特別賛美をお願いすることにしました。何を賛美するかで話し合っていると、彼女は文香さんと賛美歌303番をよく歌っていたと教えてくれました。歌詞を見て思わず涙しました。
 ・恵みのみ誓い、確かなれば、主よ、我が心に恐れあらじ、思わぬ嵐の、おそい来とも、み言葉たのみて、我はいこわん。
・ 光のもとなる、主ませば、我が世の旅路に、迷いあらじ。行く手はけわしく、はるけくとも、目当てに向かいて、ひたすら行かん。
・ 牧場はみどりに、空は青く、雲霧きえゆき、足も軽し、夢路に浮かぶは、父の御国、み跡をたどらば、やがて着きなん。
 彼女は、み言葉によって思わぬ嵐の中にも強められていたのです。御国に行くことを迷っていなかったのです。
 乳腺科のドクターが、「上から2番目に強い抗がん剤をうてば1年は生きられる、ただ、効く可能性は60%」と言ったとき。私の心には迷いが起きました。しかし、彼女はそれを拒否しました。ドクターは「あなたにはしたいことがないのか」と聞いた時に、彼女は、「私は1日1日の単位で生きています。1日1日で満足しています。」この賛美歌の通りの歩みをしていたのがわかりました。父なる神のみもとにまっすぐに行くことに迷いはなかったのです。
 彼女の物を整理しているとカード集が出てきました。み言葉が各ページに書いてあります。御言葉をたよりに生きてきたんだ。父の御国を目ざしていたんだとわかりました。
 イエス様の弟子達が思わぬ嵐に襲われた時に、イエス様は「しっかりしなさい、私だ。恐れることはない。」と言われました。私達も御言葉に信頼するように語られています。

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悲しみで死ぬほどに

○○○ 悲しみで死ぬほどに ○○○
 妻が天に召されて2週間になります。朝、泣くことが少なくなりましたが、黄昏時に急に悲しくなります。その悲しみが苦しいのです。泣いてもすっきりしません。妻のことを思い出すと悲しくなるので、思い出さないようにすればいいのでしょうか。病気のことをどう思っていたのか、思うように体が動かなくなった時のことをどう感じていたのか、最後の時は何を考えていたのだろうか等を思い返すと辛くなります。妻のことばかりではなく、私自身が病院で泣いた時のこと、道ばたて、空港で、家で泣いた時のことを思い出すと、また泣けてきます。長男が医師から2年は続くと聞いて来ました。
 33年間、いつも共におり、1日のことを話し合い、何でも分かち合いました。喜びも苦しみも共にしました。その伴侶がいないのは辛いことです。夫婦であればいつかどちらかが味わうことですが。
 イエス様の言葉を思い出しました。ゲッセマネの祈りの時に、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。」そして、ペテロとヤコブとヨハネの3人に「ここを離れないで、わたしと一緒に目をさましていなさい。」と言われました。
 イエス様の悲しみは十字架にかかるという苦しみを受ける悲しみと理解していました。イエス様の悲しみとはどんな悲しみだったのでしょうか。イエス様は父なる神と共にあり、親密な関係でした。その父なる神との交わりがここで断たれています。父なる神が愛するイエスを十字架にかけるというむごいことをされることで、愛の関係に父なる神は目をつぶったのです。
 その愛の関係の変化に悲しみが訪れ、それは死ぬほどに苦しいものだったのではないでしょうか。だから、近くに3人の弟子を置いたとも考えられます。しかし、彼らではもちろん間に合いませんでした。
 父なる神からイエス様が見放されるという悲しみ、それは死ぬほどの苦しいものでした。私の悲しみも今まで親密な関係から、それが無くなってしまったという喪失の悲しみです。
 しかし、イエス様は私達のために、さらに厳しい死ぬほどの悲しみを受けて下さいました。

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短くもきれいな死

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短くもきれいな死
 神が許された、神が決めたことという信仰に立たなければむなしい。
6月5日に乳がん中の1%の割合の進行性の炎症性乳がんと診断されました。転移して第4期で治療ができないと言われました。
 博子の希望は、最後は痛みがなく召されたい、効くか効かないかわからない抗がん剤で苦しみながら命を少し延ばすことは好まないという考えでした。そこで、乳腺科から緩和科に移りました。
 緩和科のドクターは親身になって毎週時間を取ってくれました。「がんになった意味を考えてみてください。」「10できることの6しかできなくなったら、4を嘆くのではなく6で何をしたいのかを考えなさい。」「残りの人生が短いとわかると今まで見えなかったものが見えるようになる、見えるといいですね」最後に、「これは神の領域なので神に祈りなさい」と言われた。まさにそうだと思いました。
 キリスト者として残された日々を有意義に過ごすことを第一に考えて生活しました。
 7月18日に子供達に話し、7月25日に子供英語スクールを閉じ、7月26日に岩手への最後の旅をして母に話し、7月27日大学生の時の親友、8月7日親しい牧師婦人の仲間、それぞれに会って最後の挨拶になるような真実な真剣な交わりとなりました。
 8月13日最後の礼拝、最後のオルガン奉仕。魂に響き渡るオルガンの音でした。
 8月15日療養のため暑い教会二階の牧師館から長男の近くの伏見のマンションに引っ越しました。17年住んでたくさんの物が溢れていました。これまでの英語スクールの教材、衣服等、処分しました。
 8月28日夜、長男が食事を用意し、シャワーを希望したので、健がシャワーとシャンプーをしました。朝、トイレに連れて行きそのまま休みました。そして、息が荒くなりそのまま召されました。体は痩せてしまったが、引っ越してからもきれいな顔で休んでいました。どんな気持ちと聞くと、「みんなに囲まれてしあわせ」と答えました。
 もし、病院に入院していたら、夜は一人になるし、さびしい最後でした。痛まず(しんどさがありましたが)家族に囲まれて、一度も入院せずに、長く苦しい闘病をせず、きれいなからだで、荷物を整理し、親しい人に挨拶をし、教会にも迷惑をかけず、奇麗な景色を楽しめる新しい家で召されたのは、今考えると最高の最後ではないかと思います。
 伏見に移って、伏見城の自然を歩き、伏見の町の水路を歩き、二人で楽しめたらよかったのにと思いますが、天の御国ではもっとすばらしい都があり、いのちの水が流れている。こっちのほうが比べ物にならないすばらしいところよ、と声が聞こえそうです。そのようなすばらしい天の御国に先に帰りました。
 悔いが残りますが、神が天の御国の方がいいところだから、早く博子を連れて行くと決められました、それを受け止めなければなりません。

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