週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

生活の中でちょっと立ち止まって教えられたことを、2017年6月、妻が乳がんの宣告を受け、その後の歩みについて記しています。

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その場限りの信仰

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○○○ その場限りの信仰 ○○○             
 旧三井家下鴨別邸が10月から公開になりました。そこに、ドラマ「あさが来た」の広岡浅子の達筆の手紙が展示されています。彼女の書いた「一週一信」を読んでいます。
 彼女は60才の時に、腫瘍が二つ分の拳になり手術をしました。手術が終わったとき「天はなお何をかせよと自分に命を貸したのであろう」と感じて、嬉しいというよりは非常に責任の重いことを悟りました。そして、大阪教会の宮川経輝から聖書の学びを受け入信しました。70才までの10年間はビジネスの第一線から退き、教会と伝道中心の生活を送りました。
 宮川牧師が浅子のために洗礼式で祈った祈りがあります。
「聖なる父よ。この中の一人の老婦は我が国維新の際、種々なる困難を一身ににない、家政のため、はた国家事業のため、苦心奮闘を続け、晩年にいたり、同性の向上発展を促さんため、非常に尽力を致しました。しかれどもこれ物質上のことにして、霊の生命の添い難きを悟り、齢60、多くの人はろくろくとして退隠なすべき時に当たり、老婦は憤然起って神の道を学び、残る生涯を神にささぐる決心をなし、即ち、今日ここにバプテスマを授け給いしことを誠にありがたく感謝したてまつる。どうぞ主よ、この老婦の前途過ちなく、世のため人のため尽くし得る力を与え給わんことを、尊きイエスキリストの御名によりてただひたすらこいねがい奉る。」
 病にならない人は誰もいません。人生の危機に出会わない人は誰もいません。そこから神の声を聞くことが大切なこと。ヒゼキヤは病は癒されましたが、その場限りの信仰でした。病を通して、何を学んだのか。何を学ぶべきなのか。ただ、危機を乗り越えるだけのために祈ったのか。私たちの信仰は実にヒゼキヤの信仰と同じようなその場限りのものではないでしょうか。危機を通して学ぶこと、病を通して学ぶことを大切にしなければなりません。

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彼らの見ていたものは

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○○○ 彼らの見ていたものは ○○○             
 11年ぶりに長崎に行きました。前回はみぞれ、今回は雨上がりの晴天。26聖人記念館に行き真っ青な空を背景に写真を撮りました。撮ってくれたのは日本人ではなく韓国からの観光客でした。26聖人は1597年1月4日に出発して、2月5日に長崎に移されて記念館のある西坂で処刑されました。 記念館前の記念碑の肖像を何度も振り返って彼らの顔を見るのですが、目が合いません。
 彼らの顔はどこに向いているのでしょうか。天を見ているのです。
 私を見て「お前は殉教しないのか」と問うているのではなく、「私たちは天を見ている。お前はどこを見ているのか」と語っていました。
 処刑された最年少は、トマス小崎14歳。年長者はディエゴ喜斎64才。
トマス小崎が母に書いた別れの手紙が紹介されています。
 「私と父ミゲルのことについてはご安心下さいますように。天国で近いうちにお会いできると思います。・・・現世ははかないものですから、パライソの永遠の幸せを失わぬように努めて下さいますように。人々からのどのような事に対しても忍耐し、大きな愛徳を持つようにしてください。」
 短い手紙で、天国、永遠の幸い、忍耐、愛、について400年後の私たちに大切な項目について教えています。
 これだけ多くの殉教者がでたのだから、日本には必ず信仰復興して多くの人がキリストを信じる日が来ると宣教師たちから聞かされてきました。それを信じているのですが、日本の現状は信徒減少中です。そのような私達に、いつまで経っても14歳のトマス小崎は、忍耐と愛を忘れないように今日も私たちに語っています。

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人生の危機の時の祈り

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○○○ 人生の危機の時の祈り ○○○             
 旧約聖書には失敗の話がたくさん紹介されています。それは、私たちが失敗をする弱い存在であることを教えています。アッシリヤが攻めてきた時、絶体絶命の危機の時にヒゼキヤは神に祈り信仰によって乗り切ることができました。それから百数十年後にこんどは、バビロンが攻めてきました。
 ヒゼキヤの模範があり、主に信頼すれば助けられたのに、王たちはそれをしませんでした。今度は、私たちの番だと言っているようです。ヒゼキヤのように信仰によって危機を乗り越えるのか、最後の王たちのように信仰を忘れて国を失うのか。両方を私たちに見せて、どちらかを選ぶように教えています。危機の時こそ主に祈り、主の出番を待つことが大切です。
 榎本保郎は次のように語っています。
 「ヒゼキヤは神によって『今日は悩みと懲らしめとはずかしめの日』を栄光と勝利と賛美の日に変えることができたのである。彼の信仰が神による恵みを受け止めることをえさせたのである。
 私たちもときどき『悩みと懲らしめとはずかしめの』を味わうことがある。誤解された手紙、耐えられないほどの中傷、そうしたことに出会い、夜も眠られるときがある。しかし、友よ、そこであのヒゼキヤに学べ。彼はそこでたたずんで嘆いていたのではなかった。神に目を向け、神による解決をまったのである。彼は悩みの日を栄光の日と変えていただくことができたのである。だから、友よ、あなたが今どのような日を生きているか、それは問題ではない。あなたがその日を神のみ前に過ごしているかどうかが問題なのである。」   
 悩みの時に神の前に出て祈りましょう。

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○○人生の深みを身につけるには ○○○             
 堺での1日静まりのセミナーに出席しました。指導は大阪府立大学名誉教授で、KGKで長らく奉仕をされた唄野隆先生、今年85才になられます。助け手を求めてお話があり、まずは出席することになりました。
 1日のセミナーでしたが、よく準備をされ自分の人生を振り返るご指導をしてくださいました。イザヤ書46章から、「胎内にいる時からになわれており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。・・・」
 私たちは生まれる前から愛され、これまでの人生を守られ、今後も主が導いてくださることがよく感じられました。
 その後、先生ご夫妻がご自宅に招いていくださいました。先生の家は古い家ですが、集会ができる広間があり、来客とお茶を飲めるリビングがありました。突然の訪問にもかかわらず、抹茶の用意がありました。
 ご高齢になっている先生から助けを求められましたが、このセミナーに出てはっきりわかったことがあります。それは、私のうちにはまだ深みが備わっていないということです。
 こんな記事を読みました。89才の神父さんの話しです。
 「礼拝のときに、聖書の『貧しい者は幸いです。』の箇所からの説教がありました。彼は『これは、なかなか難しい箇所だな、でも貧しいからこそ幸せというのは、確かにあるんじゃないかなあ』と短く話し説教が終わったというのです。しかし、みな深く感動しました。それは彼の生活からにじみ出ていた言葉だったからです。質素な生活の中でいつも穏やかな笑みを絶やさない神父は、神様が目に見えない恵みを豊かに注いでくださっていることを感じさせているのです。彼の生活自体が『貧しい者は幸いである』とのイエスの教えを証しているのです。」
 この人生の深みを得るにはどうしたらいいでしょうか。

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神のしもべとして

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○○○ 神のしもべとして ○○○             
 ソロモン王は祈りの中で自分をしもべと言って祈っています。新約聖書ではしもべということばが130回以上出てきます。神である主人に対して私たちがしもべであることを何度も語っています。
 しもべを英語にするとサーバントです。先日の開催された日本伝道会議ではグループに分かれて話し合いをするプログラムがありました。各テーブルにサーバントと呼ばれる導き役、まとめ役を立てたのですが、そのサーバントの奉仕をしました。
 最近、自分の思うようにできなかったことが続き気落ちしていました。そこでしもべであることを示されました。自分の奉仕はしもべとしての神の奉仕ではないか。神の奉仕をしたならばそれがしもべとしての務めであり、自分でうまくできたかどうかは関係がないのです。大切なのは神の奉仕を神が言われたようにしたかどうかです。
 私たちはどうしても人が気になります。主人である神がどう思われているかよりも、人の気に入られるように、自分で満足するような働きができるようにと考えてしまいがちなのです。
 神のしもべとしての祈りも整えられる必要を感じます。自分の事業がうまくいくように、家庭が繁栄するように、プロジェクトが成功するように祈ります。それがうまくいけば人々が注目し、そして、神の栄光が表されます。だから神のためと言って祈ります。
 しかし、どこか順番が間違っていないでしょうか。私たちは神のしもべです。まず神の栄光が表されるように祈るべきです。そして、その中に私たちの願いが含まれます。まず、自分たちの願いが最初であってはならないのではないでしょうか。
 主の祈りは、まず、主の御名があがめられるように祈っています。自分の願いを祈って、これらを通して、最後に神の御名があがめられますようにとは祈っていません。御名があがめられるように祈り、最後に自分の願いを祈っています。

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