週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

生活の中でちょっと立ち止まって教えられたことを、2017年6月、妻が乳がんの宣告を受け、その後の歩みについて記しています。

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神のしもべとして

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○○○ 神のしもべとして ○○○             
 ソロモン王は祈りの中で自分をしもべと言って祈っています。新約聖書ではしもべということばが130回以上出てきます。神である主人に対して私たちがしもべであることを何度も語っています。
 しもべを英語にするとサーバントです。先日の開催された日本伝道会議ではグループに分かれて話し合いをするプログラムがありました。各テーブルにサーバントと呼ばれる導き役、まとめ役を立てたのですが、そのサーバントの奉仕をしました。
 最近、自分の思うようにできなかったことが続き気落ちしていました。そこでしもべであることを示されました。自分の奉仕はしもべとしての神の奉仕ではないか。神の奉仕をしたならばそれがしもべとしての務めであり、自分でうまくできたかどうかは関係がないのです。大切なのは神の奉仕を神が言われたようにしたかどうかです。
 私たちはどうしても人が気になります。主人である神がどう思われているかよりも、人の気に入られるように、自分で満足するような働きができるようにと考えてしまいがちなのです。
 神のしもべとしての祈りも整えられる必要を感じます。自分の事業がうまくいくように、家庭が繁栄するように、プロジェクトが成功するように祈ります。それがうまくいけば人々が注目し、そして、神の栄光が表されます。だから神のためと言って祈ります。
 しかし、どこか順番が間違っていないでしょうか。私たちは神のしもべです。まず神の栄光が表されるように祈るべきです。そして、その中に私たちの願いが含まれます。まず、自分たちの願いが最初であってはならないのではないでしょうか。
 主の祈りは、まず、主の御名があがめられるように祈っています。自分の願いを祈って、これらを通して、最後に神の御名があがめられますようにとは祈っていません。御名があがめられるように祈り、最後に自分の願いを祈っています。

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秘密の告白

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○○○ 秘密の告白 ○○○             
 クリスチャン心理学者ポール・トルニエが「秘密」について書いています。秘密を持てるのは人間形成で必要なことです。子供の親からの自立は親に話せない秘密を持つことから始まります。人を尊重することは、その人の秘密を尊重することにつながります。簡単にその人の秘密をあばいてはなりません。
 秘密を人に語ることは、人間形成の第2段階です。親しい夫婦の関係は、自分の秘密を相手に話すことによって作り上げられます。夫婦がただ、同じことに参加するのではなく、配偶者にわたしたちの魂の中を深く覗き込ませ、愛によって秘密の壁を取り去ることができます。ところで、カウンセリングとはカウンセラーに自分の秘密を話すことで、その時に心が楽になります。
 以上は人間関係の中での秘密を持つことについてです。しかし、神の前には人は秘密を持つことができません。そして、神がその人だけに秘密を語られることがあります。神から人が罪を示されたなら、人は神にその罪を告白しなければならなりません。そうしなければ心に平安が来ません。
 この種の人の持つ秘密は危険なものです。そのまま秘密にしておくことはふさわしくないものです。そのままにしておくと、ダビデのように人の妻を奪い、人を殺すことという大きな罪となって現れてきます。しかし、人が神の言葉を聞かなければそれに気がつかないし、気がついていても無視することができます。良心が痛んでもそのまま見過ごすこともできます。
 この秘密である罪を神に告白したときに、神のもとには赦しがあります。そして、神はそれを待っておられます。

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○○○ 手のわざを確かなものに ○○○             
 ヘブル語の時制は英語のように過去、現在、未来を表す形がありません。時制は二つで完了形と未完了形の二つです。例えば、教会に行った、完了したこと。教会に行く、これから行くので完了していないと表します。聖書の勧めは、主がすでになされたことを思い起こし、思い巡らし、感謝すること。そして、これから主がなされることについては、主に期待して待つ、そして小さな手のわざとして参加することです。
 詩篇90編には「私たちの手のわざを確かなものにしてください」との祈りがあります。私たちの手のわざは小さな手で行うことであり、それは限りがあります。たとえ大きな事業をしたとしても神の前にはちっぽけなことで、人からもすぐに忘れ去られるようなものです。
 大事なことは、それが主のわざであるかどうかです。「主よ、帰ってきてください」との祈りの言葉があります。私たちにとって必要なのは主の臨在。神がともにおられるということです。それなしには生きる意味がありません。イエス様が天に帰られる時の最後のことばは、「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」あなたがたと共にいますとの約束の言葉を残されました。主が共におられるのであれば無駄なことは一つもありません。
 先週、日本伝道会議が神戸で開催され2千人が集まりました。今回の会議の特徴は講演を聞いた後で、小グループで話し合うことでした。私はグループのお世話役でした。神学校の先生。400人の教会の牧師、四国の由緒ある寺院のある町の牧師、二つの教会を一つにして会堂を建て、アルバイトをして奮闘している牧師、ご主人の牧師が召され毎週説教をしている夫人。すばらしい働きのお話もあるし、苦労話しもありました。しかし、私たちはお互いに聞き合うことをしました。そこに主がおられることを認めているからです。

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遺骨のゆくえ

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○○○ 遺骨のゆくえ ○○○             
 親鸞は、「それがし開眼せば鴨川に流していろくずに与えよ。」自分が死んだら、鴨川に捨てて魚のえさにでもするようにと言いました。鴨長明は方丈記で、仁和寺の僧侶が1条から9条まで1ケ月の間、死体を数えると4万2千3百あったと記しています。藤原定家は明月記で、自宅の近くの寺には死骸が数多くあり、毎日死骸が増え死臭が邸内にも漂っていると記しています。
 その時代には、死者を遺棄する、放置するという習慣でした。そのうちに、共同墓地として、鴨川から東の鳥辺野、蓮台野などに風葬されるようになりました。だから、鴨川より東は人が住みませんでした。
 そのような時代に、キリシタンの宣教師が来日しました。彼らは、死者を丁寧に埋葬しました。
 『異教徒はわが死者を葬る方法を見て大いに感激せり、我らが初めて死者を葬りし時、3千人余これを見んと来会せり。ただし、その盛大なるがためにあらず、・・・キリシタンが最も貧窮なる者に対しても、富者にたいすると同一の敬意を表するを見て、その博愛と友情とを認め』イエズス会の日本通信誌1555年9月20日。
 日本人は遺骨、墓を大切にするといいますが、少なくとも中世の時代はそうではありませんでした。現在はどうでしょう。
 2010年NHKの調査で、引き取り手のない遺体が全国で3万1千体ありました。では、引き取ったけれども墓がない、墓に入れたくないという遺骨はどうなっているでしょうか。遺骨を預かるサービス、寺院に宅配で送る送骨もあります。家にそのまま保管している人も何万体とあります。
 キリスト教は埋葬することを大切にします。そのことが当時の日本の社会に大きな影書を与えました。キリシタンが語る天国の教え、博愛の教えの裏づけとなりました。だから、先日召された身寄りのない田中喜久子さんの葬儀と納骨を私たちはきちんとします。

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秘密を話すこと

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○○○ 秘密を話すこと ○○○             
 クリスチャン心理学者のパウロ・トルニエ著作集13巻のうち1巻だけが見つからずにいたのですが、ついに見つけました。タイトルは「秘密」です。
 秘密を持てるのは子供にとって成長の過程です。人間誰しも人には言わない秘密を持っています。その人を尊重するとは、その人の秘密をあばくことをしないことです。
 子供が秘密を話すことができるのは、人間形成の次の段階です。自分の親から次に両親以外の人に秘密を話すことは、人と友情を築くことために必要なことです。秘密を話すことは自分の自我を相手に与えることを意味します。
 夫婦の親密さは、お互いに自分の秘密を相手に話すことによって築き上げられます。
 さて、カウンセリングとは、自分の秘密をカウンセラーに話すことになります。語ることによって心が解放されていきます。ところで、神に自分の罪を告白するのは、まさに自分の秘密を神に語ることになります。人には話せないことを私たちは神に語ることができます。そして、赦しを受け取ることによって心の解放を得ることができます。
 石巻の大川小学校を見学しました。全校108名中、74名の児童と10名の教員が流されました。その校舎を残すか壊すかが難しい議論になっています。そこにはお子さんを亡くされた父兄がおられ、小冊子を配っておられました。少しお話をお聞きすることができました。やるせない思い、どこにも持っていくことができない怒りを感じました。
 5つの集会でお手伝いをしましたが、最後の会で初めてこられた婦人とお話をしました。津波でご主人と娘夫婦を失い、二人のお孫さんと仮設で生活をされているとのことでした。聞く者が辛いのですから、ご本人の辛さはいくほどでしょうか。でも、ようやく初対面の者に話せるようになったのかと思いました。
 このような秘密を自由に語ることができる神に出会うことができたらと思いました。

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