週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

2017年6月、妻が乳がんの宣告を受け、8月に自分の人生を完結して地上の生涯を終えました。その後の生活についてです。

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○○○ 宣教師の顔の復元をして ○○○             
 2014年の7月に、茗荷谷駅近くの切支丹屋敷跡から3基の墓と人骨が出土しました。DNA分析や人類学的分析、新井白石の「西洋紀聞」などの文献をもとに、一基の人骨は、最後の潜伏宣教師と言われる、ジョヴァンニ・パッティスタ・シドッチであると確定されました。その両側の墓から出土した人骨は、彼が洗礼を授けた長助、ハル夫妻のものであると思われます、
 シドッチは、日本で厳しい禁教の中で捕えられれば処刑されることを知っていながら日本宣教を志願し、禁教下1708年、屋久島に上陸しました。しかし、言葉が通じないので、すぐに捕えられ長崎奉行所を経由して江戸に送られました。切支丹屋敷に入れられ新井白石の尋問を受けました。白石は、シドッチの人格と学識に感銘を受け、敬意を持って接しました。
 屋敷でシドッチの監視役で世話係であったのは長助・はるという老夫婦。ある日、木の十字架をつけていることを役人により発見され、シドッチより洗礼を受けたと告白しました。そのためシドッチはこの2名とともに屋敷内の地下牢に移され、その10ヶ月後の1714年(正徳4年)46歳で衰弱死しました。
国立科学博物館では発掘された遺骨をもとにシドッティの頭部の復元像を制作し、2016年11月に公開しまし。なんとシドッチの顔が再現されたのです。
 いったい日本人は暗い地下牢に餓死させた人の顔を復元して何を考えるのでしょうか。彼が命がけで語ったことを聞かないのでしょうか、彼が今栄光の中に入れられていることを知ろうとしないのでしょうか。我らキリスト者も感心するだけでいいのでしょうか。餓死させて殺した先祖、勝手に再現した現代人。 
 科学が再現したのは外側の人間の顔。彼が何を語ったのか、今何を語ろうとしているのかを聞くこと、今彼がどこにいるのかを知ることが大切なことではないでしょうか。

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感謝の祈りで始める

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○○○ 感謝の祈りで始める ○○○             
 私たちは非常に否定的ですぐに感謝を忘れてしまう弱い存在です。
 難しいことがあると一生懸命祈ります。しかし、困難に目が奪われてその困難がさらに大きなり、それに支配されてしまいます。その問題をすでに支配している神様よりも、その困難を自分のほうで大きくしてしまっています。
 これまで神が祈りをお聞きになり御業をされたことよりも、まだ、祈りが実現していない、聞かれていないことに焦点を合わせてしまいます。いつの間にか、神から忘れられ、見捨てられたような気持ちになってしまいます。
 まず、神に感謝することから始めて、神に心を向けることです。
ジョン・ホワイトが感謝の祈りで始めよと勧めています。
 「感謝の祈りで始めると、あることが起こります。自分の影の暗闇から祈ることがなくなります。自分の暗黒の影に縛られている限り祈りの中に自由を持つことができません。あなたの前の壁にゆらめく巨大な影はあなたが祈りにはふさわしくないことや力の無さや不信仰を指摘して脅かします。そして、あなたが小さく縮むと、影はよりおおきくより黒々としてくるのです。ですから感謝を献げましょう。影は影に過ぎないのです。」
 感謝が影の暗闇から私たちを解放します。神の現実に私たちを引き戻して下さいます。神は祈りを聞かれる方、神は実際におられることを示すために、この地上にイエス様を送られました。最後は、愛の最大の表現である十字架で救いを完成されました。人々の前で神の愛をお見せになられたのです。そして、今や御霊が与えられ祈りを支える方が遣わされています。感謝の祈りから始めましょう。

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異国に遣わされて

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○○○ 異国に遣わされて ○○○             
 イスラエルの王には成功と失敗がありました。光と影です。王という権力を持つ者の危険性がありました。しかし、捕囚にされて異国にいるダニエル、ネヘミヤにはそれがありません。ダニエル、ネヘミヤは王に仕えるものとしての忠実、忍耐があります。さらにきよさが見られます。
 エズラはペルシャ王のクロスの時代。ネヘミヤはアルタシャスタ王の時代。エステルはアハシュエロス王の時代。アハシュエロス王の時代には、ペルシャ国はインドからエチオピアまで127州を収めていました。
 このような権力にたいして立ち向かい力を得ることがイスラエルの使命ではありませんでした。主なる神を伝えることがイスラエルの使命です。神はイスラエル人でありながら、国の高官、側近になり、主なる神を伝えるように導かれました。
 それまでのイスラエルの王がいた時代には、腐敗、不信仰が蔓延していました。列王記はダビデ王の失態から始まり最後の王の不信仰で終わっています。しかし、捕囚となり異国に移され、異国の王の元で暮らすイスラエル人は信仰がきよめられ、強められています。これまでの人間臭い王の歴史ではなく、祈りがその人たちの中心となっています。神がどのように異国の異教の中で祈りを聞いてくださっているかを記している。私たちの信仰も、試練の中で整えられるのではないでしょうか。
 イエス様は王となって権力を地上で用いるということをせず、しもべとして仕えるという方法で神の国を伝えていきました。私たちも王となって権力を用いるのではなく、しもべとして世に仕えるということを求められています。

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その場限りの信仰

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○○○ その場限りの信仰 ○○○             
 旧三井家下鴨別邸が10月から公開になりました。そこに、ドラマ「あさが来た」の広岡浅子の達筆の手紙が展示されています。彼女の書いた「一週一信」を読んでいます。
 彼女は60才の時に、腫瘍が二つ分の拳になり手術をしました。手術が終わったとき「天はなお何をかせよと自分に命を貸したのであろう」と感じて、嬉しいというよりは非常に責任の重いことを悟りました。そして、大阪教会の宮川経輝から聖書の学びを受け入信しました。70才までの10年間はビジネスの第一線から退き、教会と伝道中心の生活を送りました。
 宮川牧師が浅子のために洗礼式で祈った祈りがあります。
「聖なる父よ。この中の一人の老婦は我が国維新の際、種々なる困難を一身ににない、家政のため、はた国家事業のため、苦心奮闘を続け、晩年にいたり、同性の向上発展を促さんため、非常に尽力を致しました。しかれどもこれ物質上のことにして、霊の生命の添い難きを悟り、齢60、多くの人はろくろくとして退隠なすべき時に当たり、老婦は憤然起って神の道を学び、残る生涯を神にささぐる決心をなし、即ち、今日ここにバプテスマを授け給いしことを誠にありがたく感謝したてまつる。どうぞ主よ、この老婦の前途過ちなく、世のため人のため尽くし得る力を与え給わんことを、尊きイエスキリストの御名によりてただひたすらこいねがい奉る。」
 病にならない人は誰もいません。人生の危機に出会わない人は誰もいません。そこから神の声を聞くことが大切なこと。ヒゼキヤは病は癒されましたが、その場限りの信仰でした。病を通して、何を学んだのか。何を学ぶべきなのか。ただ、危機を乗り越えるだけのために祈ったのか。私たちの信仰は実にヒゼキヤの信仰と同じようなその場限りのものではないでしょうか。危機を通して学ぶこと、病を通して学ぶことを大切にしなければなりません。

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彼らの見ていたものは

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○○○ 彼らの見ていたものは ○○○             
 11年ぶりに長崎に行きました。前回はみぞれ、今回は雨上がりの晴天。26聖人記念館に行き真っ青な空を背景に写真を撮りました。撮ってくれたのは日本人ではなく韓国からの観光客でした。26聖人は1597年1月4日に出発して、2月5日に長崎に移されて記念館のある西坂で処刑されました。 記念館前の記念碑の肖像を何度も振り返って彼らの顔を見るのですが、目が合いません。
 彼らの顔はどこに向いているのでしょうか。天を見ているのです。
 私を見て「お前は殉教しないのか」と問うているのではなく、「私たちは天を見ている。お前はどこを見ているのか」と語っていました。
 処刑された最年少は、トマス小崎14歳。年長者はディエゴ喜斎64才。
トマス小崎が母に書いた別れの手紙が紹介されています。
 「私と父ミゲルのことについてはご安心下さいますように。天国で近いうちにお会いできると思います。・・・現世ははかないものですから、パライソの永遠の幸せを失わぬように努めて下さいますように。人々からのどのような事に対しても忍耐し、大きな愛徳を持つようにしてください。」
 短い手紙で、天国、永遠の幸い、忍耐、愛、について400年後の私たちに大切な項目について教えています。
 これだけ多くの殉教者がでたのだから、日本には必ず信仰復興して多くの人がキリストを信じる日が来ると宣教師たちから聞かされてきました。それを信じているのですが、日本の現状は信徒減少中です。そのような私達に、いつまで経っても14歳のトマス小崎は、忍耐と愛を忘れないように今日も私たちに語っています。

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