週刊 生活の中の洞察 聖書から教え

毎週教えられていることを隔週で紹介しています。

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泣くということ

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○○○ 泣くということ ○○○(4月8日)(写真:カイザリアのローマ時代の水道)
 4月8日フリーランス牧師として最初の奉仕を京都福音自由教会でしました。
昨年8月29日病院の霊安室で、大泣きしました。さっそく葬儀の準備を進めなければなりません。京都の教会の山下牧師に電話しました。そのとき必死の思いで出た言葉は「山下先生、助けてくれよ!」でした。
 先生は、すぐに病院にかけつけてくださいました。その午後京都教会で受け入れていただきました。本当に助けられました。そのことのお礼を言う機会がなかったので、礼拝後の挨拶の時にお伝えすることができました。
 不覚にも言葉につまり泣いてしまいました・・・・。

泣くといっても、日本語ではいくつかの言葉があります。
・慟哭/どう こく (声をあげて激しく嘆き泣くこと。体を震わせて泣きじゃくる。)
・号泣/ごうきゅう(大声をあげて泣く)
・ 涕泣/ていきゅう(涙を流してなく)
・ 嗚咽/おえつ(むせび泣く、声をつまらせて泣く)
・ 欷歔(ききょ):すすりなく
私が泣き始めたのは、昨年の6月からです。博子姉の診断でがんの末期で治療ができないと医師から言われた日、病院の受付で会計を待つ時でした。人目をはばからず泣きました。嗚咽でした。帰りの道でも、店に入っても、夕食の後にも嗚咽しました。
 葬儀後、7週連続で説教の時に泣きました。賛美歌が歌えず、納骨式でも泣きました。
召天者記念礼拝後の集まりの場で、下を向いていると大きな涙が机の上に落ちました。大粒でした。涕泣でしょうか。
 人からは、泣くのを我慢しないで泣くといいと言われましたが、男が人前で泣くのは恥ずかしいものです。霊安室での祈りは号泣を超えた慟哭でした。
「わかってあげられなくてごめん」「理解してあげられなくてごめん」「代わってあげられなくてごめん」誰もいない部屋で叫びました。
 
 緩和科のドクターにこの話をすると、「あなたは人前で泣くことができた。それは人に見せたくないところを見せられるようになったのではないか」と言われました。そういえば、恐いものがなくなったような気がします。
 最近は泣かなくなりました。泣くととても疲れます。泣いてもすっきりなどしません。だから、泣かないようにしています。
 とにかく、山下牧師と京都教会には感謝しています。葬儀には特に連絡を控えたのですが、160人以上集まって下さいました。葬儀でも泣いて話をしました。黙示録21章4節には「神ご自身が彼らの目の涙をすっかりぬぐいさってくださる。」とありますが、今は自分でぬぐっています。

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私たちは神の神殿

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写真はカイザリアのローマ時代の劇場です。
  枚方で17年間奉仕をしてきました。足りない奉仕でした。4月から、新たな歩みに入ります。一応、8月までの日曜の奉仕は埋まっています。枚方教会には月1回、無牧の教会、そして、特別集会、セミナーの奉仕が月1回入っています。ウィークディは時間があります。また、9月から日曜も奉仕が可能です。お招きくださるところがありましたら、よろしくお願い致します。
 以下に、教会退任のこと、この1年に多くのことが起こったことなどを書きました。くずはだよりは今回で最終回になります、次回から「伏見城下町だより」と題して、コラムを書く予定です。
  ○○○私たちは神の神殿○○○
 本日が枚方教会の担当牧師として最後の奉仕になります。そのことを知って、埼玉よりTさん、名古屋から Nさんが来てくださいました、
 Tさんは私の高校時代のクラスメート。3年間ずっと一緒に過ごしました。過去を知られているので恥ずかしいのですが、教会にお誘いして来てくださり信仰を持ちました。ひどい私が信仰を持って変わったのを見て、ここに真実があるのではと感じられたのではないかと思います。30数年間仕事で教会を離れておられましたが数年前に戻って来られました。そして、私たちの教会を支援してくださいました。
 Nさんは、私が大学生の春休みに御茶ノ水でアルバイトをしたのですが、そこで働いていた方です。何気なく御茶ノ水キリスト教会館の伝道集会に誘うと来てくださいました。春休みになって集会がなくなったので、聖書の学びをしようと誘うと、同意して学びをしました。そして、教会に来られ信仰を持たれました。このお二人が私に会いに来てくださいました。
 キリストは「この神殿を壊してみなさい。私は三日でそれを建てよう」ヨハネ2:19と言われ、ご自分が十字架で贖いをされること、三日目に復活することを語られました。そして、パウロは、私たちのからだはキリストがご臨在される神の神殿だと解説しました。
 キリストはエルサレムの神殿におられるのではなく、私たちのうちにおられます。ユダヤ人のための救い主ではなく全世界の救い主です。我らのうちにキリストがおられるのなら、私たちが行くところが神の国となるように王であるキリストをお迎えするべきです。 
 教会で待っていても人は来ません。私たちが行くところにキリストがおられるのです。私たちが各地に遣わされてキリストを現して神のご臨在をあらわしていくのです。

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教会退任について

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○○○教会退任について○○○
愛する人を亡くすというのは、二つの見方があります。一つは心の傷、それは癒されれば治ってしまうという考え。もう一つは、事故で手足を失ってしまったようなもの。治るのではなく、再適応していくことだという考えです。私の場合は後者で自分のうちの何かが失われてしまった状況です。
 二人で一人前という考えを持って33年間夫婦で奉仕してきました。開拓教会では説教を私がして、奏楽を博子姉がする、二人いればなんとかなりました。なんでも二人で話して、二人で助け合って、休みは二人で出かけました。
 その半分が無くなったので、飛行機で言えば片肺飛行になったようなものです。このまま飛行を続けられないので、どこかに着陸して修理をしなければなりません。それが枚方チャペルも退任する理由です。
  旧約聖書最後のマラキ書の終わりに「あなたがたにはその翼には、癒しがある。」と書かれています。イスラエルの民には「エジプトからわしの翼に乗せてわたしのところに連れてきた」と神の翼による導きがあると語られ、イザヤ書では「主を待ち望むものには新しい力を得、わしのように翼を広げて上ることができる。」と神から翼が癒され、新しい翼が与えられ飛べるようにしたいと思います。
 今、日本の教会は停滞している状況です。無牧師の教会が増えています。私ができることは、そのような教会を少しでも助けられたらと思っています。また、人がしていない結婚、終活での奉仕をしたいと思っています。一つに教会の牧師をしているとなかなか外部での奉仕ができないので、これからは求めに応じられたらと思います。
 伴侶を無くした男性の4割が早死にすると言われています。そのことがよくわかります。そうならないように毎日歩いています。以前は祈りながら歩くことをしたのですが、祈れなくなってしまいました。最近少しづつ、祈りが出てくるようになってきました。このような者を送り出していただければ感謝。

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キリストへの愛から

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○○○キリストへの愛から○○○
 年に2回、3月と9月に宇治カルメル修道会というカトリックの黙想の施設を借りてリトリートをしています。世話人の奉仕をしているので、休まないで出席する恵みを受けています。そこでは半年ごとの振り返りをします。前回の9月は葬儀の1ヶ月後で辛い時でした。半年の間に、博子姉の発病、毎週の検査、末期癌の告知、余命の宣告、看護、引っ越し、親しい人との別れ、看取り、葬儀、1人の生活。振り返る力もなく、ただただ1人ずっと座っていました。
 先週、半年が経ち自分が変わってきていることがわかりました。半年前なら泣いていたことが泣かなくてもよくなっていました。少しづつ回復していることを感じました。今1人の生活に慣れるのが目標です。慣れるとは、1人の生活を受け入れることですが、それがなかなか難しいのです。そこに喜びを見いだすことができるようになったら上出来。
 修道院にはカトリッック教会があり、毎朝ミサがあります。興味があるので毎回出席します。ミサでは短いお話があります。その日は「今日の1日が愛による出会いと日となるように」という勧めでした。
  それは、愛によって行動することによって、神が様々な人と出会えるようにしてくださる、という意味なのか、今日出会う一人一人に愛を与える1日となるようにとも取ることができます。
 教会のカレンダーには、「人生の最後に問われるのは、愛があったかということです。」という言葉もありました。
 自分の生き方には、キリストへ愛があるだろうか。私の奉仕にはキリストへの愛があるだろうか。
 マルコ10章では人に仕えることに喜びを見いだすことを学びました。今日の箇所は人への愛ではなく、キリストへの愛があるかどうかを問うています。
 私たちの奉仕がキリストへの愛から出ていなければ、むなしいものになります。人を愛するゆえに奉仕するならそれば世のボランティアと同じになってしまい、いつか息切れが起こります。
 コロサイ3:23、24「何をするにも、人に対してではなく主に対してするように、心からしなさい。」「あなたがたは主キリストに仕えているのです。」キリストへの愛があるかどうかが問われています。

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不正な管理人に習う

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○○○不正な管理人に習う○○○(ガリラヤ湖)
 小さい教会なので、時間がありました。本を書いたり、カウンセリングをしたり、セミナーで奉仕をしたり、茶道教室もしました。
 近放伝では諸教会の青年のクリスチャンの婚活の奉仕をしています。他に手伝う人がいません。他の教会の青年のことなど考えている余裕がないのです。奉仕には何の見返りもありません。
 1人で釣書70人分を管理しています。お見合いが決まると、それぞれの教会の牧師に任せますが、特別なケースの時には同席します。
 最初は、気の乗らない奉仕でした。人の人生に深く関わることには責任が持てないので避けたいという気持ちでした。しかし、決まると嬉しいのです。決まった方々が喜んでいる姿をみるとよかったと心から思います。しかし、実際は、うまく進まないことが多いのが現実です。
 なんでこんなことをしているのかと思う時があります。その時に、与えられたのがルカ16章の不正な管理人のみ言葉です。借金をしている人のところに行って証文を書き換えたのです、恵みの奉仕です。友を作りなさい、彼らは永遠の住まいに迎えてくれるというのです。
 4月から枚方チャペルを退任します。仕事をやめて生きていくにはどうしたらいいかを考えました。この管理人と同じで土を掘るには力がないし、物乞いをするのは恥ずかしい。還暦をすぎて、これから新しい仕事をするのに、肉体労働はもう力がないし、支援会と作って頭を下げてサポートを求めるのも恥ずかしいのです。
 そこで、新しい奉仕をしようと願っています。無牧師の教会を助け、結婚、終活で必要なところでセミナーをすることです。
 これから、様々なところに行って、証文を書き換えるのです。書き換えるだけならそんなに難しい仕事ではありません。
 私はこれまでの神から与えられた賜物、経験を通していろんなところに奉仕をして、そうして、友となって下さる神より、天の住まいに迎えてもらうように、真の主である主人にほめられるようにと願っています。皆さまより送り出して頂けると感謝です。

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