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簡潔に申し上げれば、埼玉代表に5本2本の31対10なら、長野県代表として十分すぎる成績を収めたと言っていいと思います。ラグビーマガジンの別冊付録を見ると、埼玉県大会の出場校は52校!!!!。その埼玉県大会を勝ち抜き、しかも県大会決勝戦では正智深谷(旧埼工大深谷)を36対7で退けた深谷相手に31対10。この飯田高校のスコアは素晴らしいと思います。
深谷は3回戦でAシードの国学院栃木に敗れましたが、スコアは31対26。正智深谷との試合、国学院栃木との試合と見比べても、飯田高校の成績は遜色ないどころか、実は既に全国級。たいしたものです。
人口たかだか16万人程度の飯田下伊那地域。しかも県もブロック(北信越)も全国から見ればレベルは「高くない方」にあって、埼玉代表の深谷相手に31対10。しかも前半最後のトライも試合最後のトライも飯田高校。強く大きな印象を残した試合になりました。たぶんそれは、人口は16万しかいなくても、面積自体は大阪府に匹敵する!!!飯田下伊那地域の意地と誇りだと思いいます(嘘)。でも、面積を比較すると大阪府と飯田市を含む下伊那地域ってほぼ同じなんですよね。
1949年創部の飯田高校ラグビー班ですが、今回で花園は7回目。このチームの前までは、6回出場して1回戦突破は1回だけ。1998年の和歌山工業戦の60対3が史上唯一の花園勝利でした。その98年組は、2回戦は第3グラウンドで大工大(現常翔学園)と対戦して80対3。1PGのみで花園に散りました。つまり、60有余年の歴史の中で、2回戦に進出したのはそれまでたった1回だけ。それを2011年組は2回戦で埼玉代表から2本のトライを奪い、見事二桁得点をゲットしたのです。
キャプテン8番A賀君のトライは、2011年12月30日午前10時43分。前人未到の「花園2回戦で相手インゴールにボールをグラウンディング!」をついに成し遂げたのです。60年間、何百人もの先輩が誰ひとり到達したことのなかった花園2回戦での相手インゴール。その多くの屍を乗り越え踏み付け(!?)、キャプテンA賀君が左にねじ込みました。
このトライ一つでも、このチームが全国で十分通用した証になります。夢ではなく現実に花園2回戦で強豪校からトライを奪うことができる。それをキャプテン自ら証明して見せました。相手に強弱はあるし、その時点のチームカラーや戦術の違いもあるので、一概には比較できませんが、1998年以降の4回の花園出場チーム(1998年、2008年、2009年、2011年)で、今回のチームが最強と言っていいと思います。
それには異論も反論もあるでしょうが、「人間もチームも常に必ず進化しなくてはいけない」との「性善説的進化論(?)」に立てば、過去より現在、昔より今を認めてやる度量が必要だと思います。オルフェーブルよりシンボリルドルフの方が絶対強いと私は思いたいですが、やはり「進化」を考えれば、25年以上前の馬よりも今の馬の方が強いと認めるべきだと思います。
A賀主将を中心にまとまった飯田高校ラグビー班2011年組は、「県大会決勝戦を完封で勝ち、花園1回戦で九州代表に逆転勝ちし、2回戦で埼玉代表から2トライ10点を奪取した」んですから、実力は全国16強にも相当する創部史上最強チームと讃えるべきだと思います。1998年組の戦士たちも、きっと文句は言わないと思いますから。
98年のチームは佳麗なバックス展開力で全国に名を挙げたチームでしたが、2011年組はフォワードで試合を作れるチームでした。2回戦の後半の後半。20点も差が開いている時に飯田高校は自陣5メートルのマイボールの局面で、フォワードによる執拗なサイド攻撃を連続して仕掛けました。私は深谷側の遠くから双眼鏡で見ていましたが、何度も何度も自陣からサイドを突きラックを重ねる飯田高校を見て、「飯田のフォワード、フォワードの飯田の面目躍如、真骨頂」と思いましたし、「この局面で自らのスタイルを最後まで貫くとは、大したもの」と思って見ていました。
遠くからですが深谷側から見ているので、飯田のフォワードがサイドを突いて倒れる時、必ずこちらに背中が見えます。こちらに胸や腹を見せて倒れれば、相手にボールを捕られちゃいますからね。双眼鏡越しに、8番、また8番、今度も8番、次に16番と・・・これでもかこれでもかと自陣5メートルのマイボールでサイドを突いて突いて突きまくっていました。
正に愚直。ボールをキープできても自陣5メートルからの一進一退では、時間は空費するし陣地は進めないし点差も詰まりません。でも飯田高校は、またサイドを突きラックを作り、また次にサイドを突いていました。キャプテン8番A賀を中心に、組織化され統一されたフォワード戦を果敢に格上相手に挑み続け、何としてもフォワードで局面を打開したかったのでしょう。そのスタイルを、ぶれずに最後まで貫きとおしていました。
深谷のフォワードもやりにくかったと思います。20点も負けてる方が自陣からサイド攻撃を何次にもわたり継続するのですから。飯田のフォワードは深谷相手に真っ向からフォワード勝負を挑み、仕掛け、相手フォワードを次第に疲弊させポイントに集めさせ、ついに空いた大外に一気に展開かキックをイメージしていたのではないでしょうか?飯田のバックスもラインを整備し、いつでも走り切れるように準備していましたから。
この後半の後半の自陣マイボールでのラックの連取・・・。これも部史に残る戦術、戦法になったと思います。本当に見応えも見どころも多く、素晴らしい攻防でした。「20点も離れてるのに、なんで自陣ゴール前でフォワード戦を続けるんだ!?」なんて、試合後誰も言ってませんでした。
2008年2009年と花園に出場したU村君と試合後に偶然会いました。彼は現A賀君の2代前のキャプテン。そのU村君が私に言いました。「あの後半のフォワード戦は本当に素晴らしかった」と。そのU村君の誇らしい笑顔、その笑顔も本当に素晴らしく、いつまでも敗者を讃える人垣が引かない第3グラウンド出入口付近でした。
以上、2回戦の戦評は、こんな感じでよろしいでしょうか?
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