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			<title>美奈のプログ</title>
			<description>つれずれなるままに　ゲイ文学の事など書き込んでいます</description>
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			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>美奈のプログ</title>
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			<description>つれずれなるままに　ゲイ文学の事など書き込んでいます</description>
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			<title>大乱歩展</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/64/42001364/img_0?1255353974&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/64/42001364/img_1?1255353974&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　秋の夜長、皆様どの様にお過ごしの事ですか、秋といえば食欲の秋、芸術の秋など色々な楽しみも多い季節ですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　かく言う私は、昨日、県立神奈川近代文学館で開かれている、『大乱歩展』を観てきました。&lt;br /&gt;
お目当ては、村山塊多作『二少年図』と、乱歩の蔵書の関係ですが。実際どうかな～って感じで出かけて行ったのですけど、思いのほか、乱歩の世界に引き込まれる展示内容でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　もちろんお目当ての『二少年図』－これが思いの他に大きな作品で、確かに乱歩邸にかかがれていた時の写真を見ると大きいですものね、少年というイメージが作品を小さくしていた錯覚なのかな～と思いました；－　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　井原西鶴作『好色一代男』－1682年の荒砥屋孫兵衛版　初版本だそうです－や『男色大鑑』の他『若衆物語』など、ガラス越ではありますけど、身近で観れる事も出来て、堪能した時間を過ごす事が出来ました。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　乱歩に関しては色々な側面で楽しめるものもありますよね。少し前の世代であれば　明智小五郎と少年探偵団で、ワクワクドキドキした思いや、映画化され話題になったり、時代を超えて愛される作家の一人だと思います。今回、特につくずく感じたのは　江戸川乱歩の筆まめさが目に引きました（作家ですからそれが仕事ですけどねｗ。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　貼雑年譜であるとか、記録したり編纂するのも自身の楽しみであったように、書き残し、後世で私たちの目に触れる事が出来るものとも思いますね。自ら年譜を残しているのですものね、普通は日記帳とかですけど、初期作品の『二銭銅貨』などは　その日記に書き入れたものなのですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ともあれ、自分自身の中で新たに発見したものや、今まであまり関心の無い部分の乱歩の世界を心ゆくまで楽しめた、そんな展示でした。（興味のある方は　下の画像クリックして下さいね、別枠で、細かい情報が読めると思いますので）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/42001364.html</link>
			<pubDate>Mon, 12 Oct 2009 22:26:14 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>ゲイと経済。。。かな。。ｗ</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/95/37740195/img_0?1229690499&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
久しぶりの更新を致しました(^^)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 今年も、あとわずかになりましたが内外を取り巻く事情が色々大変な状況を迎え、苦悩の日々が続く人々も多くいられると思います。未だかつてないほどの世界的経済不況に陥り、多くの職場でリストラ初め、色々取り巻く状況は厳しさを受け、また、リストラされるまでも無くても、非常に過酷な勤務を強いられている処も多いかと思います。現況初め　今後の行方にも明るい将来が見えなく、ただただ耐えるしかないのかなとも思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　皆さんにとって今年一年はどんな年だったのでしょうか？と問いて、本題に入るのですが、取り巻く状況に厳しさが日に日に見えてくるなかで、新年は良い年になるように祈願すると共に、明るい未来が描けるように思う次第であります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ゲイ文学に関しては　今年も多く本に目を通し、またこのプログにて紹介もしたいものも多くありましたが、筆不精に陥り　更新を出来ずにおります；その中で印象に残った本のごく一部を紹介します。　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　アメリカ文学の作家　ｴﾄﾞﾏﾝﾄﾞ・ﾎﾜｲﾄの本の中で　ゲイを取り巻く『エイズ禍後の未来』という言葉が印象に強く残りました。それは今の世界的規模の大不況下後の世界は、と言う気持ちが重なるのですが、今の現状を生き抜く事で精一杯という方も多いでしょうが、あえて未来も思考してみようかとも思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今回の経済危機で打撃を受けた国の一つ、イギリスは、ロンドン五輪の規模縮小の検討始め　一時期悩める老大国が、経済面でも復活を果たし、順調であった復活した経済も、アメリカの金融不況が直撃して経済であえいているのは他の諸国と変わらない処でありますが、復活した経済を支えた要因の一部として、ゲイを取り巻く経済の流れであります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　このプログでも以前紹介しましたように、ある一時期には同性愛行為を死刑ともする法律があったほどゲイバッシングの強い国でしたが　前ブレア政権下で、方向を１８０度転換し　国会議員初め多くの要職に付く人にも、ゲイであることをカミングアウトする程、以前の様なゲイに対して偏見さが無くなった国になりました。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　その結果　新たなニーズが生まれ　それはゲイが一般の人と法律上でも同じようになり、新たな産業やビジネスチャンスが生まれ、その結果　イギリスの経済成長に対して大きな貢献を成していったのであります。それはそうでしょうね、今まで抑圧され差別されていたものに対して　まさに未開拓市場です、新たなビジネスチャンスが生まれると言うのは結果的にみれば当然のようにも思いますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　内容に興味ある方は、新書ｙ『ゲイ・マネーが英国経済を支える！？』入江敦彦著（洋泉社刊）を読んで見てください、目に鱗のゲイと経済に関わる本です（ｗ）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　さてイギリス経済にまつわる話は、人間の多様な性嗜好を認める事により　それが経済の成長にも結びつくという事ですが、経済ばかり発展していても、マネーゲームとなり　いわゆるバブルの崩壊のような結果を招く事は経済の自明の理論です、生き過ぎた成長はいつかは崩れると言う事でありますね。やはりキチンと根を貼る様な　着実な成長をする事も大事なのかとも思います。ただ従来の様に　一国の問題では収まりきらないのが、グローバル経済でもあります。わたしは経済学者でも無いので専門外の事ではありますがね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最後になりましたが、天皇陛下の御体調に関するニュースが流れ憂慮しております。我々国民の多くが、この経済状況の中で苦しむのと同じ様に、苦悩の日々を御過ごされてる事に大変　御痛ましさをも感じる処もあります。一刻も早く、御体調を戻され御公務等にお元気にお過ごされる事を切に願う処でもあります。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/37740195.html</link>
			<pubDate>Fri, 19 Dec 2008 21:41:39 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>ピアフ♪　　シャンソン♪</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/32/26249632/img_0?1192103767&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/32/26249632/img_1?1192103767&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/32/26249632/img_2?1192103767&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/32/26249632/img_3?1192103767&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　皆さんおひさしぶりです（^^）秋の夜長の今日この頃お元気でお過ごしですか？今回はゲイ文学というジャンルから少し外れますが・・・・。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　ＤＶＤで済ます事の多い今日この頃、芸術の秋という事もあり、久々に映画館で映画を鑑賞して来ました。映画の名前は『　LＡ　ＶＩＥ　ＥＮ　ＲＯＳＥ　エディット・ピアフ　愛の讃歌』です。　ふと、この題名を見て不思議に思いました。何故、LＡ　ＶＩＥ　ＥＮ　ＲＯＳＥ　（薔薇色の人生）が元題なのに、『愛の讃歌』と『薔薇色の人生』か・・・・そうですね　愛の讃歌の方が日本人には知れ渡っておりますものね、タイトルを着ける上で日本での興業上（邦題）は、そちらの方が良いのかな～なんて思っています。私個人的には唄としては『薔薇色の人生』が好きなのですが（微笑）。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　さて。映画のについてはプログの方でも色々な記事が掲載されていて、私のチャット仲間でも、その感想なりを展開しておりますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　エディット・ピアフについては、蘆原英了が『シャンソンの手帖』（新宿書房刊）次のような　記事を残しております。長い記事ですが、その一部を&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～私が彼女の歌を聞いたのは、もちろん終戦後、コロンビアのレコ～ドを通じてであった。『ルノ～ブル氏』『パリの恋人たち』『雨が降る』『薔薇色の人生』等々。パリの新しいシャンソンがどういうふうになっているのか、ことにピアフの名声に、それがどんな歌であるのか知りたがっていた私は、それらを始めて聴く時、心が震える思いであった。歌声がスピ～カ～から洩れる時、私は息もつまる思いであった。何という素晴らしい歌！それはもの凄い迫力のある歌であるが、その裏にある哀愁の何と深いこと！何というやるせなさだ。私は圧倒されて、物もいえない気持ちであった。パリの香りが胸一杯にふくらんで、私の心は初恋の少年のようにときめいた。私は自分がいつの間にか四十歳をこしているのに悲観していたが、まだこんな昂奮を味わえることを知って安心した。しかし、それにもましてピアフの魅力の凄まじい事に感謝したい気持ちであった。～中略～　私は誰にでもピアフだけは聞いてもらいたいと思っている。これは喜びをわかちあいたいからだ。ピアフは映画にも出てくるから、早くその映画でも見られるようになってくれると有り難いのである（１９５２年）～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また以前紹介したしました、歌人の塚本邦雄もその著書『薔薇色のゴリラ』（人文書院刊）で、エディット・ピアフを地獄の薔薇と評し、ピアフは終日終夜夜雨降り続く地獄の底に今もすくっと立上り、腐った薔薇を掲げて、盡さぬうらみつらみを歌ひやまぬ。コクト～は遥かな一等席もしくは天井桟敷から意地の悪い笑みを湛へて拍手喝采しているだろう。と締めくくっている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　数十年前　シャンソンのレコ～ドを始めて聴き　すぐにピアフの歌声に魂を衝かれ、その後、パリを始めとしてフランスの地を数度となく回りました、ピアフの生活したｱパ～トとか、当時フランス語も殆ど判らず戸惑いながら、、また、本場フランスでシャンソンを聴く機会も得る事が出来ましたが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　蘆原英了の記事は、私の拙い表現力より、その文章の方が代弁していると考えて掲載したものです。残念ながら蘆原英了・塚本邦雄の両氏も今は亡き人々ですが、当時の熱を映し出したものでは無いかとも感じています。塚本邦雄はシャンソンを愛する一人であり、他にも著作を残していますが、私が好きな本を掲載しました。戦後、NHK紅白歌合戦でも多くのシャンソンが日本語の歌詞を付けて歌われています。当時は多くの国民に愛されていたのですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また、以前にも記した通り、本場フランスでも古典となりつつあるシャンソンのまさに女王でもあるピアフの母国フランスは、ユ～ロ圏の発展により、益々その国の姿が変わりつつある中、映画の中で、少女のピアフが唄った、La Marseillaise（ラ・マルセイエーズ）が印象的でありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そして最後に、ピアフの生涯を描いた　『愛の讃歌　エディット・ピアフの生涯』シモ～ヌ・ベルト著　三輪秀彦訳　（新潮社刊）。更に、ピアフの唄った　Le　Ｄｒｏｉｔ　D&amp;#039;aimer　（愛する権利）を、以前紹介致しました『別冊宝島EX　ゲイの学園天国！』（宝島社刊）の画像で掲載いたしました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/26249632.html</link>
			<pubDate>Thu, 11 Oct 2007 20:56:07 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>変態の時代より・・・言葉の持つ意味についての散文</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/35/23788135/img_0?1186749281&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
残暑お見舞い申し上げます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　毎日うだるような暑さの中、皆様には御健勝にお過ごしの事かと思います。本プログも長い休みを戴き、その中もコメントを頂く中、ご返事も書けず失礼をしておりますが、その中でも　チャットなどを通し、色々な会話を通じて、気になる言葉がありました、それは『変態』という言葉で、悪意は無いとは思いますが、いたずら半分で使われてる事が多く気になる所です。『変態』とは、何か、また　その言葉の歴史など知りたく思ったのが、きっかけではありますが、今回は散文的な内容ではありますが、掲載いたします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　何故なら、江戸時代以前には無い言葉と思われたからです。性にまつわる言葉は多くあり、衆道などの言葉に代表される様に、ホモセクシュアルについては、現在以上に、寛大であり、時の政治を司る人々も町民も、衆道に勤しんでいた事実もあります。その点を考えると、明治維新後に　西洋から入って来た、文化や価値観の中から、変態という言葉が生まれたと考えられます。何故なら、当時の西洋諸国は、同性愛者にとっては暗黒時代でもあり、先にプログで紹介しました通りに、死刑さえ法律上制定されておりましたから、かなり厳しい状況の下であったと考えられます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　明治維新後の日本は、西洋列強と肩を並べる為に、色々な諸策を施しました。例えば歌舞伎では、性的な色合いが強い演目を上演演目から外したり、性について強くタブ～視し始めました。性は隠すものであり、性は抑圧するものと考え、我が国が野蛮な国では無いと西洋へのアピールの意味も兼ねて、当時の欧米諸国の事例を習い、明治憲法下で制定された刑法には猥褻罪の条文が入り、今日まで、西洋諸国の殆んどが、その条文を削除する中、その条文は　現刑法下にも生きている事はご存知の通りであると思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　少し横道に逸れましたが、今回紹介させて頂く本は、講談社現代新書『〈変態〉の時代』菅野聡美　著（講談社刊）であります。『変態』と言う言葉をキーワードに置き、近代を読みかえたものではありますが、その言葉に関わる歴史等を書かれています。内容については、深く述べる事は行いませんが、その帯書きにもありますが、『変態』と言う言葉には性的な意味は無かったのです。その言葉と、当時の時代世相も含み、言葉の意味を、本来の意味（下記〇仮函飽奮阿吠儔修気擦討い辰燭里任后その言葉は一種の流行語にもなり、現在に到るまで、本来の違う意味を持つ言葉として続いているのです。変態と言う言葉を広辞苑（岩波書店刊）では以上の様に書かれています。，わった形態。正常ではない状態形態を変える事（化生）　とあり、イ砲蓮∧兮崟欲の略　等々とあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　同著を読む内にこの言葉を考えると、変態という言葉自体に、変態的歴史があるのでは無いかと思うのは、言葉の持つ不思議な符号であるかと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　最後になりますが、時代と共に言葉の持つ意味が変化するのは世の常なれど、言葉の持つ力は大きなものがあり、ゲイが世間に認知されつつあり、従来以上に立場は変化しておりますが、相手に与える影響など考え、使い分ける事も必要かとも思います、人が人を愛する行為ですものね、呪い、闘いを繰り広げる事ではありませんものね（笑）。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/23788135.html</link>
			<pubDate>Fri, 10 Aug 2007 21:34:41 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>禁色</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539392/20/17452320/img_0?1175775099&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539392/20/17452320/img_3?1175775099&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539392/20/17452320/img_4?1175775099&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　しばらくプログの更新も休止してる間、早４月、その間にも、年賀のご挨拶等頂き、ありがとうございます。ただ、現在も中々更新できず、現在に至っています。今回は散文の様な形で掲載しました。多くのファンを持つ作家の小説ですので、今更なのですが・・・&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　セピア色の漂う本を読み返してみた。奥付を見ると、昭和２６年１１月１０日となっている。まだ、戦後の落ち着かない中、朝鮮戦争のさなか、この小説は生まれ、雑誌『群像』に連載された。作者にとっては、同性愛について真っ正面から捉えた小説としては最後の本（三島由紀夫名では）にもなった。しかし、この本と、彼の出世作とも言える作品『仮面の告白』等により、日本におけるゲイ文学の代表的な人物ともなったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　作品の評価などは、色々評論も出ているので、あえてここでは詳しくは語るつもりは無く、興味があれば、作品を読み、各評論でも読んで頂き、各自の感性にて捉えていただきたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今でもあらゆる形で話題性を持ち、世界にもファン層が広がりがある、特に保守化現象が進む中、彼が残した文学並び、その行動は確実にファンを捉えている。以前紹介した、ドイツの詩人ゲオルゲと似通う所も多く、ただ、三島由紀夫は行動を実践した人物である。東京の自衛隊市ヶ谷駐屯地の今は無き建物内で、楯の会　森田必勝と共に、自決して最後を迎えた事は、昭和史の一大事件として社会面を飾った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　三島由紀夫の残した、『禁色』は、正式には、『禁色』第一部・禁色第二部『秘楽』（昭和２８年９月３０日発行、共に新潮社刊）と別れている、今出ている新潮文庫版『禁色』などは、これらを合本したものである。十六章と十七章が境であるが、一部と二部では物語のトーンが変わっている・・・・・そのまま読むと違いは判りにくいが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　なにか今読み返してみても、かなりセレﾌﾞな世界観である。祐一（ゆうちゃん）は、作品の中でも紹介されてるように、かなりの完成された形の美と明晰さを持つ青年でもある、ギリシャ彫刻のそれと近い。この作品を上梓した当時の三島由紀夫の体つきは、晩年にかけボディビルなどで鍛えた体（写真集『薔薇刑』細江英公撮影　参照）と違い、まだまだ貧弱ともいえる体付きでもあり、鍛えぬいた体に対して憧れに近いものがあったのかと思う。そして、この物語の結末は悲劇なんだろうか？・・・多くのゲイを捉えた作品の様に・・・&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　この作品が映画化等されていないのは残念でありますが、もし、この作品が映画化されれば、現在誰がその役柄にしたら良いか、想像するのも楽しみの一つではあります。三島由紀夫の作品の多くは、まるで舞台を見るような構成になっており、舞台化されてもおかしくは無かったと思いますが、現在の状況とは違い、極端に同性愛を変態視していた、この時代等を考えると、無理からぬ事とは思いますが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また、先ごろ、完結した、『決定版三島由紀夫全集』（新潮社版）は、今まで未発掘の作品も含め、彼が別名で書いたと言われる作品『愛の処刑』まで掲載されていて、彼の出演した映画並び、音声類についても網羅されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（尚、画像には、禁色・秘楽の初版本、並び、フランス語版を掲載しました）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/17452320.html</link>
			<pubDate>Thu, 05 Apr 2007 21:11:39 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>室町から江戸へ・・・ゲイ史の断面</title>
			<description>　　しばらく、プログの更新を停止しています。その間にも冬の訪れと、なんとなく気ぜわしい１２月となり、今年もあと僅かですね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　早速ですが。日本に於いて、表立って同性愛が最も盛んに行われた時代は、室町時代から、江戸中期頃と考えられます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　当初その多くが寺院内で密かに行われていたものでしたが、鎌倉・室町時代を通じ、経済の発達と共に、（この時代に入り始めて、商人の名前が歴史舞台に出てきますね）文化芸術面の発達を通して、次第に民衆へと広まっていたものと考えられますが、武士階級の新たな台頭がその一躍を担っているものでもあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　特に武士階級になると、主従関係であるとか、戦場に赴く際の固い絆が必要な必要とされた時代であり、特に親子・兄弟の間でも骨肉の争いが起き、その中で、真に信用する関係を構築することはある種必定の事だったのかもしれません。太閤記の草履取りの場面など、冬の雪が降る寒い夜に草履を懐に入れ暖め、主君を待つなどと言う事は、なにかゲイ的な要素が含まれていると思いたくなるほどです。戦国時代と言うと、織田信長と森蘭丸の関係などが有名ですが、明日をも知れぬ戦いに明け暮れていた中ではありましたが、真に男達が輝いた時代なのかも知れません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　江戸時代になると、その風習は初期には強く残りますが、３代将軍徳川家光の死去と共に、御触として、若衆歌舞伎の禁止や男色の禁止を打ち出しますが、家という存在が大きく関わって来た時代でもあります。藩単位では、取り潰しが続き、所謂、浪人者も多く生み出していましたが、比較的世情は安定しだし、攻めから守りの姿勢へと時代が変化して行った時代でもあります。ご存知の方も多いと思いますが、家光自身、同性愛者であった事が、お世継ぎ問題において御家の一大事となり、家光死去の後、幕府は諸策を打ち出しています。若衆歌舞伎の内実は、少年達の売春行為する際の顔見世みたいなものでしたので、芸については、二の次であり、容姿や振る舞いが重要視されていました。大都市には人が溢れ出し、男の売春行為も日常化しだします。元禄時代を中心にして、江戸中期以降は男色も衰退するのですが、これには再度の幕府による男色禁止令や、倹約令や色街などの取り潰し政策の諸策などもあり、表だった動きは、じょじょに衰退していきます（経済の行き詰まりと共に、性関連業について規制する事は、江戸時代と現在も変わらないような気もしますが）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　～今日は時代を駆け足で、駆け抜けましたが、また本プログで、その中で現れた、ゲイ文学などを中心に書き連ねていきたいと思っています。又、この時代の文献は多く残り、日本の古典の一翼を占めています～</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/8080350.html</link>
			<pubDate>Mon, 04 Dec 2006 15:07:57 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>五山文学と禅宗の中で</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539389/32/3971632/img_0?1161429686&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　　鎌倉時代から室町時代の中世史において、『五山文学』と言われる,文芸が隆盛しました、あまり聴きなれない名称であるが、岩波広辞苑によると、、「五山文学・・・鎌倉末・南北朝時代を中心に行われた、鎌倉及び京都の五山禅僧の漢詩文・日記・語録・漢文・漢詩があり、虎関師錬・義堂周信ら多数の作家が出、江戸時代の儒学勃興の基をなした」とありますが、「なんだ～これは～？」って思われる方も多いと思います。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　１１９１年（良い国作ろう、鎌倉時代は１１９２年よりですね）栄西の帰国以降、禅院生活の中から次第に発達していき漢詩文が作られる。禅宗は鎌倉幕府・室町幕府の武家の宗教として繁栄していった、旧来の宗派の力を抑える意味でも禅宗を庇護したのである。中国で行われていた制度を踏襲し、五山十刹制度（臨済宗で最高の寺格を示すもので、京都・・・天竜寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺。鎌倉・・・建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺の各寺院で、十刹とは五山につぐ十の大きな寺として定められあわせて五山十刹とういのである）を設けたのであるが、要するに官寺化したのである。幕府により手厚い保護がされ、隆盛を極めていく中で、かかる禅寺に属する禅僧の漢詩文の作成熱を助長し、詩文壇の形成を促し、この漢詩文を五山派の文学として、「五山文学」と呼称する端緒なして行くのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　五山文学の中には、男色礼讃の詩集もあれば、恋文を一巻と巻く僧もいた｡女犯を禁じていた山（寺院）内では、男色が盛んに行われたのは、今さら書く事ではないが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　『狂雲集』も、五山文学の流れをなすものである。作者は、頓智（トンチ）で有名な一休さんである。１９３４年１００代目天皇「後小松帝」と子として産まれるが、出家の為、６歳の時に、臨済禅寺の安国寺に入山する。そこから一休は、僧の道を歩んでいく事になるのであるが、伝記等については、前出の理由により、このプログでは詳しく語らないが、大変興味深く読める本として、水上勉著『一休』（中央公論新社刊）があります。水上勉自身　作家としてなす前の、子供時代の一時代を、五山の一つ天竜寺で寺院生活を送っており、興味深い記述が続いている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　叡山における稚児が、五山では童行、喝食であり、五山文学にもその男色の対象として登場する。童行は、結髪していない稚児姿であり、入山したてでもある、喝食・沙彌という順で進んでいくが。その中でも、美形の喝食が男色の対象と狙われるのは、時代は変わっても、イケメンがもてはやされる事となんら変わりの無いものと言えますね。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　禅林の中の生活は、俗世での、身分に関わらず、また、年齢にも関らず、その修行の年数の年数による事を重視している。年少で入山したものは、同輩や先輩から、性を仕込まれるのである。未発育の者と、発育盛りの者とが同居する集団では、とりわけて、この「性」の宴は活発化する、厳しい規矩による呪縛の戒律生活をうたえばうたうほど、破戒の醍醐味は学べるのである。人間は冷えてばかりいては生きられぬ。どんな冷たい環境の子でも、夜はちぢかんだ陰茎を撫でつつ孤独に眠る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　最後に『狂雲集』より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　～　少年十五月出づるが如し&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　一笑の紅顔花開くに似たり&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　木石無心なる世上に多し&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　嗚呼此れ玉に瑕なる哉～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（今回の記事についてその他、以下の参考図書を使用いたしました。　新日本古典文学大系４８『五山文学集』（岩波書店刊）・水上勉原案.佐々木守脚色.小島剛夕画『一休伝』（平凡社刊））</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/3971632.html</link>
			<pubDate>Sat, 21 Oct 2006 20:21:26 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>村山槐多・・・・二少年図の芸術家</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539392/75/3712575/img_0?1161170539&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　 ～　血の小姓　～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　虐殺せられし貴人の&lt;br /&gt;
　　　　　　　美しい小姓よ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　汝の主の赤に金に赤に金に&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　ぎらぎらとだらだらと滴たる血に&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　じっと見入る小姓よ&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　夜が来たぞ&lt;br /&gt;
　　　　　　　人もない、この無慈悲なゆうべ&lt;br /&gt;
　　　　　　　　誰かが泣き出した&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　狂した血の小姓よ汝も&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　泣け血に愛されて&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　今日は、事前の通知通り、村山槐多です。上の詩は、稲垣足穂著「少年愛の美学」にも記載のある詩ですが、先日これに先立ち、「二少年図」をプログに掲載しました。江戸川乱歩が、こよなく愛した絵であり、乱歩自身も『槐多「二少年図』と言う、文章を残しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　村山槐多には、「火だるま塊多」と言う愛称がありますが、彼は、その短い生涯を、美への情熱に身を焦がす紅蓮の焔と化して駆け抜け、その中で油彩画始め多数の作品を残した事から付いた名前ですが、古代ギリシャの物語を熱愛し、プラトンやギリシャ彫刻を通して、彼の同性愛への感情が美化され高揚され、勇気ずけられ、それが作品を通じて現れているのです（これらの事は、古代ギリシャの愛の物語やギリシャ彫刻が与えた影響は、明治中旬頃には、日本の同性に愛情を寄せる者に対して与えていた事なのでしょうね）。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　村山槐多自身は、１６歳の頃、一級年下の美少年に恋し、彼に捧げる詩や、絵を作り、中学校時代には、「光の王子」の絵の製作や、１８歳の時製作された、「二少年図」などがあります。また彼は、20歳の時にモデルとなった、中年女性にも熱恋してますが。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　短編小説『美少年サライノの首』の極一部ですが掲載します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　～「汝よ。亜細亜の一人。村山槐多。サライノと汝の恋は火の如く強きか。さらばいま汝よ。&lt;br /&gt;
　　　　　吾れ汝に与えん。美しいサライノを。・・・・・」～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　村山槐多（むらやまかいた）の略歴ですが、１８９６年（明治２９年）に教師を親に持つ、横浜市に生まれ、父の転勤に伴い、京都府立第一中学校を卒業し、上京後、日本美術院研究生となり「湖水と女」をはじめとする油彩画で、院展に連続入選し、注目される。また小説や詩作に於いても、特異な才能を発揮したが、１９１９年（大正８年）に、結核の為、22歳６ヶ月で、夭折しました。代表作には、「槐多の歌へる」・「槐多の歌へる其後」（アルス社刊）がありますが、現在比較的手に入れやすい本は、『村山槐多全集』（彌生書房刊）や『伝奇の匣４　村山槐多耽美怪奇全集』（学習研究社刊）だと思います、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（本記事は、主に学習研究社版（東雅男編）と、前出の江戸川乱歩の槐多「二少年図」を参考にいたしました）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/3712575.html</link>
			<pubDate>Wed, 18 Oct 2006 20:22:19 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>女人讃歌―甲斐庄楠音の生涯</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539392/70/3546970/img_0?1160998918&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539392/70/3546970/img_1?1160998918&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
今回は、二人の画家についてみたいと思います（本プログでは、あまり深く内容について描きませんが、興味があれば、その世界に触れてみて下さい。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 　今日は、甲斐庄楠音で、次回は村山塊多を予定しています。甲斐庄楠音は昭和６０年代に、芸術新潮での特集や、栗田勇『女人讃歌―甲斐庄楠音の生涯』（新潮社刊）の出版もあり、一躍脚光を浴びましたので、ご存知の方もいられると思います（今回は主にこちらの本から引用致しました）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
  　甲斐庄楠音（かいのしょうただおと）明治27年（1894年）12月23日 - 昭和53年（1978年）6月16日）は大正時代の日本画家、昭和20年代～30年代の風俗考証家。兄に高砂香料工業創業者である甲斐庄楠香がいる。以上が簡単な略歴です。簡単過ぎますね（笑）.生家は、南北朝時代に活躍した楠正成の末裔として、京都に生まれ、京都市立絵画専門学校にて絵画を学び、第1回国展にて、作品『横櫛』が入選するという華々しいﾃﾞﾋﾞｭｰを飾ったもの、その後、第5回展で事件は起きる、それは、彼の描いた『女と風船』という作品が、穢い絵として土田麦僊に酷評されたのである、既に国画会会員となっていた彼にとっては屈辱的扱いであった、しかも『絵描きに絵を裁かれる画壇が厭でした』と晩年に答えているが、彼の生涯の傷として残ったのである。他には風俗考証家の面もある、面もあるというか、アカミ～賞のノミネ～トまでされているのである。映画監督溝口健二との出会いである。溝口監督の下で、衣装考証家として活躍したのである。溝口作品の中には、市川右衛門の『旗本退屈男』や、イタリアベニス映画祭銀獅子賞受賞の『雨月物語』などがあり、昭和の大監督としてその名前と作品名は古い人達にとっては忘れられない名作でもあります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
  昭和５２年（８２歳）にて、甲斐庄楠音の最後の展覧会が日本橋三越で開かれましたが、その時の序文を当時の徳川美術館の館長の熊沢五六氏が次の様に書いています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　～甲斐庄さんは比類なき『女』の画家である。日本美術史上でも稀に見るという存在というべきであろ　　う。甲斐庄さんはルノアールの様に女の肉体の弾力、豊麗さ、柔軟性、どっしりとした重さを極めて　　高い程度に表現した。しかし、ルノアールの如く生の愉悦、匂い出るような輝きに満ちた女の礼賛で　　はない～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　生涯をたどっていくと、その伴侶として現れる女性はいません。榊原始更を始めとする、青年達であり、作者の栗田勇氏の言葉によると、彼の青春時代の榊原始更との出会いついて、次のように書いています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
～彼らは、ｵｽｶｰﾜｲﾙﾄﾞの如く、またｱﾝﾄﾞﾚｼﾞｯﾄﾞや、ｼﾞｬﾝ・ｺｸﾄｰとｼﾞｬﾝ･マレーのように、互いの感性と肉体を賛美しあったようである。時に優れた精神性と感受性を同時に求める芸術家は、女性の肉体には、知性感性を見出しことが出来ないので、知性と官能との一致を同じに求める事が多かったのも、この時代の世界的風潮であった。～&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　また作画の際は、～舞妓を写生するときは、気に入った妓がいると、描かないでじっと見つめていたのである、だが、彼は欲望の対象として見ていない。その身の内に入り込み、女の内側から生理的に共感し、楽しんでいるのである。女が女を誉めているのである～</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/3546970.html</link>
			<pubDate>Mon, 16 Oct 2006 20:41:58 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>男色と近代の法</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/16/3285116/img_2?1160738778&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-e4-6d/minakata904taruho/folder/539419/16/3285116/img_3?1160738778&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
　昨夜、コメントの中で、『異性愛者は同性愛の経験を持てば変わる層を多く含んでいる様な気もします。仕事帰り、男同士の一杯は無意識な同性愛の世界、派閥なんかも無意識の同性愛・・・。要は意識していないだけと想います』というコメント頂きました、意義あるコメント頂き感謝してる次第であります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　が、近代史に於いて一番厳しいと言われた、イギリスに於いて、男色行為が法律で禁止されてた時代に、公衆トイレで、見知らぬ男に微笑みをしたら、逮捕されたという事がありました。また、バーで、たまたま会った男と話してる間、意気投合し、どこか別に場所を変えて飲みなおそうと声を掛けられて、バーを出たところ待ち構えていた警官に逮捕された（実は囮捜査でしたが）という様な事件が相次いで起こりました（見せしめも含めてでしたが）。男色処罰法は1967年（今から40年前）までは、この様な行為そのものもが処罰（最高　無期懲役）の対象となったのであります。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　そういえば、公共交通機関（電車内等）で、痴漢行為の犯罪にも冤罪があるという事ですが（もちろん確信犯に付いては断固たる処置は必要です、また、痴漢行為は許されるものではありません）、この事は各自の意識云々という前に、些細な行動で、人生の転落に掛かる事があるものですから恐ろしいものでありますね。今日は男色に関する法律も含め、多少脱線した話で記載しましたが（尚、画像は花房四郎著『男色考』（前出の通り）に記載してある、昭和初期の主要国の男色行為他に於ける処罰を一覧化したものです。参考までに）。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/minakata904taruho/3285116.html</link>
			<pubDate>Fri, 13 Oct 2006 20:26:18 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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