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南新桜
ええ祭りにしようやないかい。

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自分とこの祭り直前じゃというのに、何やら変なことが気がかりになって・・・。

それは香川県西部、中部の南、東部、徳島県 旧日和佐町などの太鼓台の呼び名「ちょうさ」について。

それも、香川県 旧豊浜町の『儒者 張子公の功績をたたえて、「張さん」と呼ぶようなのがはじまり』という例の説。

この説に関してマニアの間では、根拠がイマイチという点で、重要視されておらんようじゃけど、では、何故このような説が出来上がったのか?に関しての説明も不明。

あちきもこの説はほったらかしじゃったけど、「じゃぁ、張子公ってどんな人物じゃ?そもそも実在したのか?」と気になって検索してみた。

・・・引っかかるのは“ちょうさ語源説”ばっかし。

「公」というのが、信長公とか家康公とかと同じ使い方と考えて「儒学者 張子」で検索すると、
張子厚という人物が引っかかった。

張載(ちょう・さい)ともある。

広島県 鞆の浦などの太鼓台はチョウサイ。。。

北宋時代の儒学者ということであるんじゃけど、影響を受けた日本の儒学者に大塩中斎(大塩平八郎) 寛政5年(1793年)〜 天保8年(1837年)の名が。

大塩平八郎の乱は教科書でも習っておるが、時代として、太鼓台が現在確認されておる文献や絵図に初見として登場する時期と重ならんかいの?

で、リンク先のウィキペディアを読み進めるわけじゃが、武装蜂起するための味方になる兵力もしくは、豪商らへの物資の販路を絶つ目的を、瀬戸内沿岸を中心とした漁業従事者などに求めたんじゃなかろか?

その暗号がわりが、檄文の中でカモフラージュした、宋学の教えのなかの張子という名前の一部。

もしくは、内通離反者が出たことによってすぐ鎮圧されたものの、「大塩門弟」「大塩残党」などと称していた者が各地にあらわれておるようなので、それらの人間が大塩平八郎を偲んで、掛け声として使用したもの。

豊浜説の、高松の殿様が張子公をかくまったというのも、松平家、京極家がこの乱の決起に関与してた可能性?

これらのことが、太鼓台(ちょうさ)の始まりにはならんじゃろうけど、太鼓台だけでなく、御神輿にも使われるちょうさという呼び名の語源、掛け声の語源として考えれんこともないと思うんじゃ。

豊浜町の説を擁護するわけではないんじゃけど、こうした妄想は出来る。

まぁあくまで妄想じゃし、前に誰かどっかで書いてるかもしれんけど(笑)

では、おあとがよろしいようで。(よくない?)

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    以前、豊浜のちょうさ会館でミニチュアを買った時、
    その中に「ちょうさの語源」として張さんの事を書いた
    紙が入っておりました。

    いよいよ始まりますね^^がんばって下さい。
    今年は一歩引いた所からの見学です(涙)

    Satoshi

    2010/9/30(木) 午前 5:11

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    祭り前に・・・(笑)

    ええ祭りにしましょ〜!

    ハタボウ

    2010/9/30(木) 午前 7:17

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    Satoshiさん、豊浜町の説は、日和佐町町誌などにまで引用されてます。
    太鼓台を作らせて練り歩かせたら道が整備されたんだったら、香川県内陸部にもっと太鼓台が存在しててもいいはずです。小島など特に道が整備されたとは思えない地区にも太鼓台がある説明にもならないですし。

    南吉

    2010/9/30(木) 午後 0:02

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    ハタボウさん、雨降ってるよ〜・・・。
    今年のハタボウズは?

    南吉

    2010/9/30(木) 午後 0:03

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    もうひとつの説の「七重説」よりは、こちらの説のほうが正しいような気がしますが、功績をたたえるのであれば「○○さん」というのは?

    河内の高安でも「ちょーさじゃ・・・」の掛け声があるので、香川県や四国に限定されるようなことじゃないように思われます。

    今日から4日間通しですか?^^がんばってください!

    八栗新道

    2010/9/30(木) 午後 2:48

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    八栗新道さん、ちょうさとチョウサイの語源が一緒だとすれば、張載(ちょう・さい)から来てるのかもしれませんね。「ちょーさぃじゃ」が「ちょーさじゃ」になるのは不自然ではない気がします。

    また、似た掛け声は瀬戸内沿岸以外にも、東日本にもある可能性は否定できません。

    まぁ拙ブログ上でのお遊びと思ってくださいな。

    今日から4日間ですが、天気予報を見てるとテンションが・・・。

    南吉

    2010/9/30(木) 午後 3:10

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    「ちょうさじゃ」という掛け声は、歌舞伎や浄瑠璃の御神輿をかくシーンにも登場します。かなりポピュラーなものかと思われます。「わっしょい」の関西弁か?

    [ ]

    2010/9/30(木) 午後 9:49

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    六さん、なるほど。結構メジャーなシーンでも使用されるんですね。
    江戸と上方との境がどこかの地区であるのでしょうか?
    歌舞伎って間接的に太鼓台の類とよく関係してきますね。
    発祥、もしくは民に普及した時代もかぶるのかも^^

    南吉

    2010/9/30(木) 午後 10:24

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    ちなみに、手元の年表には、出雲・・阿国 歌舞伎創始1603年、
    人形浄瑠璃、京都に起こる1612年頃、市川団十郎、江戸に歌舞伎を開く1673年、坂田籐十郎、大坂に歌舞伎を確立1678年とありますが、御神輿をかくシーンの題材がポイントなんでしょうかね。

    南吉

    2010/9/30(木) 午後 10:48

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    ワシが直に聞いたのは、数年前にこんぴら歌舞伎で上演した「夏祭浪花鑑」の1シーン。この狂言は、調べてみると1745年が初演。少なくてもこの頃には、世間(関西圏内だけかどうかまでは知らん)では「ちょうさじゃ」って御神輿をかくのが一般的やったっていうことやろかな。

    [ ]

    2010/9/30(木) 午後 11:50

    返信する
  • 意外と「頂賽」だったりするかもですよ、、、というのは置いといて、今後は古文書などの資料にも調査の目を持っていく予定です。

    特に鞆のチョウサイが始まったとされる明治前半、もしくは江戸末期の資料などは変に色が付いていなく貴重な参考資料になるかもしれません。


    まぁあてにせず気長に待ってて下さい(笑)

    shimakaze2002

    2010/10/2(土) 午前 0:11

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    >ちょうさい
    中国、周王朝の官のトップが冢宰(ちょうさい)と言う官職だったりします。(目には見えねど)冢宰さまがお乗りになっている神輿じゃ、そこどけそこどけくらいのノリで使われはじめた・・・如何でしょう?
    >夏祭浪花鑑
    団七は玉島上成の庄屋牧家を出奔し大坂で鳴らした放蕩息子、牧宇左衛門がモデル。九段目の舞台は玉島(^^; 削除

    [ 千歳楽 ]

    2010/10/3(日) 午前 0:34

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    >道路整備説
    玉島の古い千歳楽の土台の幅は90センチ程度のものが多いんですよね。ちなみに昔の畦道の幅も同程度。鶏が先か卵が先かって言う話もあるんですが、この説個人的にはバッサリ切り捨てるのも気が引けてたりします。 削除

    [ 千歳楽 ]

    2010/10/3(日) 午前 0:51

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