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新幹線のデッキから得意先へ電話をかけ、 来週の打合せについて日時を約束して席に戻りました。 日よけを少し上げて景色を眺めると、 午後の日差しでシルエットになった善光寺平の向こうに、 母方の伯父が眠る山並みが見えました。 若かりし頃は海軍航空隊に居た伯父が亡くなって9年。 物知りだった伯父から色々な話を聞きましたが、 戦についての話は四国沖でグラマンに遭遇し、 顔に傷をつけられた話だけしか聞けませんでした。 多くの友人や自分を慕って海軍に入った弟を亡くし、 本人いわく「生き残ってしまった」伯父。 終戦後の荒んだ時代を過ごした後に起業し、 社会的には成功したものの、 「先に逝った仲間の分も頑張らねば」という 負わずともよい十字架を背負う原点となった記憶は、 誰にも語りたくなかったのでしょう。 存命中、「今の世の中をどう思いますか?」 という私の問いに、 「先の約束が出来る世の中は幸せだよ」 とだけ答えた伯父。 その言葉を思い出しながら影絵のごとき信州の山々を眺め、 「伯父が乗っていたのと同じ飛行機、見に行くかな」
と思いつつ日よけをおろしました。 約束が出来る日々の幸せをかみしめながら。 |
色々諸々
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二週間前に行った京都で、 いちばん行きたかった場所がここでした。 高名な神社仏閣ではなく、 住宅街の一角にある地元に溶け込んだお寺。 外から境内を見たところ。 GDP世界第二位を誇らしげに喧伝しつつ、 立場が変わると開発途上国を声高に叫ぶ、 不思議な国の傍若無人な観光客軍団の姿もなく、 落ち着いた雰囲気です。 境内の裏手に回ると 住宅が迫る普通の墓地に少し囲われた一角が。 目的地に到着です。 塔婆に書かれた「総見院殿大相国一品泰巌大居士」 でピンと来た方はかなりの歴史好き。 ここは阿弥陀寺さんといい、 織田信長・信忠父子のお墓があるお寺です。 信長公の廟所は随所にありますが、 このお墓は信長公と懇意にしていた清玉上人が、 本能寺の変直後に信長父子の遺骨を葬ったお墓。 信長公の一周忌に秀吉が大徳寺の総見院を創建した際、 清玉上人に遺骨を差し出すよう命じたものの、 遺骨が政治利用される事を見抜いた上人はこれを拒否。 …せやさけ、シンチョウコウはん父子はここで眠ってはりますのや。 とは、訪れた私達親子に由来を説明してくれたお寺の方の言葉です。 後世に語り継がれる英雄が眠る場所にしては質素とも感じられますが、 むしろこの静けさが相応しいな、 と蝉しぐれの中で思いました。 〜 おまけ 〜
美しき都の、夏模様。 |
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雪も止んで日差しが戻った、 |
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雪原を思わせる海原に浮かぶ濃淡の島影。 |



