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車内を見学中に荷物列車がやって来たので撮った、
というだけのスナップです。 しかしサハ45の車内から宮原ゴハチを撮るなんて、 今にして思えば贅沢でした。 |
旧形国電
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問わず語りに どうでもいい自慢をする人が居ます。 出社するなり、 「今朝はグリーン車で来ました。」 とか、 「今度ナノクリスタルコートのレンズ買ったんです。」 (撮り鉄ならぬ、撮り艦船) とか誰も訊いていない事を自慢する、と。 余りにしつこいので たとえマンガ片手であってもグリーン車で出社したり、 たとえ水平線が傾いている写真ばっかり撮っても、 君が金持ちなのはわかった。 しかし、 心の貧しさは底辺だねえ。 と言ったら私の所には来なくなりました。 枕が長くなりましたが、 今夜ご紹介するのはこの一枚。 32形の元サロ45だったサハ45です。 高松宮をはじめとする皇族や貴顕、 鎌倉文士など数多の名士が利用したであろう名残が漂う、 ゆったりした座席。 問わず語りの自慢をする下衆なぞが乗れる車ではない、
という敷居の高さを感じます。 |
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富士電車区は東海道本線に隣接していたので、 |
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富士電車区の片隅にポツンと佇むクハ68107。 (1981.6) 身延線名物だった相方のクモハユニ44に目を奪われがちですが、 このクハ68107はなかなか興味深い経歴をもっていました。 製造は1934年。 関西急電として名を馳せた42形一族の サロハ46101として誕生しました。 その後スカ線用の32形のサロハ46と連番にするべく、 サロハ46015に改番。 更に先頭車化されてクロハ59023になったと思うや、 1943年に3扉&ロングシート化されてクハ55107となりました。 そして戦後復興が進んだ1954年〜55年にセミクロスとなって、 クハ68107に。 控えめに車庫に佇むその姿からは、 時代の波に翻弄されて改造・形式変更を繰り返した経歴を 想像するのは困難でした。 同じく42形一族、元クハ58のクハ47100と。 関西急電として活躍した 昔話に花を咲かせているのでしょうか。 数奇な運命を辿ったクハ68107は1981年に廃車され、 変転続きだった47年の活躍に終止符を打ちました。 当時十代半ばだった私も既に知命を超え、
そういった観点でこの車の経歴を改めて調べてみると、 人も車両も似通ったもんだなぁと感じます。 |
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大糸線で撮影した元優等車をば。 まずはサハ57402です。 (1981.6 北松本駅) 元々は現京浜東北線の2等3等合造車として昭和8年に登場、 中央のドアから手前が2等客室でした。 昭和18年にサハ改造され、 昭和56年に廃車となりました。 余談ですが仕事で毎日京浜東北線に乗ります。 ショルダーバッグが人に当たりまくっているのに スマホに夢中の女性客や、 (スーツ姿でショルダー持ってる男も居ますが) 混んでいるのにリュック背負って平気で乗ってる男性客に出くわすたびに、 京浜東北線にもグリーン車入れてくれ、と思います。 もうひとつはご存じの方も多いサハ45。 長距離(当時としては)電車の嚆矢、 32形の2等車サロ45としてスカ線に登場し、 戦後に他線区へ転出する際にサハ45になりました。 ちなみに私が大糸線で初めて乗った旧国が、このサハ45。 政財界や海軍の要人をはじめ鎌倉文士、 はては皇族まで乗られたという車に乗れて感無量でした。 余談ですが(またかよ) 上の写真を撮影した時にサハ45の隣に連なっていたのが クモハ43810…。 何で先頭に立ってくれないんだ、
と己の徳の積み方が足りないのを痛感したのでした。 |




