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1981年の正月、 藤沢〜大船をゆく上り銀河を。 この時は銀河52号を牽くロクイチ狙いでした。 昨日一辺倒のPF後期型と美しい20系の取り合わせはイマイチ、 いや、イマヒャクくらいで全くそそられなかったのですが、 早く現像したいので写したようです。 それから20年以上経った2004年の春。 銀河を撮った陸橋の反対側で下り貨物のPFを撮っていました。 この時は185系の普通電車521M狙いだったのですが、 やっぱり消化カットとして撮っていました。 時代は違えど同じ場所で同じ考えで撮った写真。 PF後期型に対する自分の気持ちがよく出てるなぁ、
と思いつつ眺めています。 |
鉄道狂時代(昔のもの)
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四季島とかいう芋虫列車が運行を開始したとの事。 上野駅では13番線が専用の番線となり、 乗客とその関係者以外は立ち入り禁止だそうで。 昔は乗客が何時間も前から新聞紙広げて酒盛りしつつ急行を待って、 列車が去るとホームじゅうゴミだらけだったトオサンバンがなぁ。 へっ、着飾ったトコでお里が知れてらあ。 と、庶民のホームだったトオサンバンをこよなく愛したおっさんは ひとりとごちるのでした。 〜 もひとつ独り言 〜 この不動産事業と金融事業をメインとする芋虫列車の運行会社。 列車を「地域をつなぐ懸け橋に」として、 駅や沿線で旗や横断幕を振って、 乗客のお出迎え・お見送りをするよう地域の人たちに呼びかけたそうです。 何様のつもりなんだか、この会社。
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大宮に残っていたEF15と、 そしてEF80が解体中だと聞きました。 わざわざ特急機塗装にしたEF60510や、 青大将色で残っていたEF5893に続いて。 大井のクモニ13や大船のクモハ11248もそうですが、 ある程度の年月にわたり保存されていた産業遺産に相応しい 車両がアッサリ解体されてしまうのは残念だと思います。 東日本の資力なら残しておいてもよかろうに、と。 マンネリの水上エスエルだけではなく、 復興の一助としてハチマルを復活させ、 高碕の旧客牽かせて上野〜いわき間なんぞを 週末に走らせてもよいのに、と。 それだけ鉄道に思い入れの無い人達が 経営陣の中核に居るという事なのでしょうね。 画像は1981年頃の上野駅。 華の無いハチマルが似合う上野駅、 この光景が好きでした。 (もちろんハチマルも上野駅も好きですよ)
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今まで走らせてくれた方々に感謝の思いを込めて。
二つ星よ、永遠なれ。 |
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下り新幹線に乗るといつも豊橋の風景を見てしまいます。 クラが健在なのは嬉しいもんです。 外壁は変わりまくっているのでしょうけれども。 そのクラの端っこ辺りでは かつてはこんな感じで撮れました。 (1981.2) おおらかな時代、という事で。はい。 たぶん明日の朝もクラを眺めることでしょう。
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