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静岡から甲府を結ぶ特急「ふじかわ」。 並行する高速道路が無いせいか、 平日でも割と乗客が乗っています。 そりゃ3両編成だからネ、 というツッコミはなしで。 その前身は急行「富士川」。 (富士川〜富士) 撮影した頃は2M3Tの5両編成ながら、 そこは165系。 身延線の勾配をグイグイと登っていたものでした。 これを撮った後に富士電車区を遠望すると、 同じ165系が留置されているのが見えました。 ハテ、富士区留置の165系とは珍しい… と近づいてみれば 事故編成でした。 身延線に沿った国道52号を我が物顔で走っていた、 ジャリトラにでも引っ掛けられたのでしょうか。 昔々、今から35年前のお話でした。 |
鉄道狂時代(昔のもの)
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まだ10代後半の頃に撮影していると、 オールドファンの方から 「自分の若い頃はここを茶色い『つばめ』が…」 と昔話を聞かされる事がありました。 羨ましい、と思う反面、 「そんな30年以上前の事を聞かされてもなぁ」 と思った事もまた事実。 今は通勤電車に揺られて田町駅を通るたびに、 「自分の若い頃はここをゴハチの牽く臨客が…」
と思い出す自分に気付き、 あの時のオールドファンのお気持ちが少しだけ、 わかるようになりました。 |
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EF65の76号機が牽く貨物列車が |
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典型的な「撮っただけ」の一枚ですが、 浜松区へ転じたものの暫くは原型小窓だった142号機です。 たぶん1979年頃の撮影かと。 たまたまネガを見ていたら小窓である事に気付き、 サルベージした次第です。 その後はHゴム改造され、
何の変哲もない浜松区の一両に。 小田原駅で試客の折り返しの時に撮ったようです。 |
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月曜朝から関西と中国地方へ挨拶回りに行き、 さきほど帰宅しました。 今回はエライ方も同行していたので、 朝練タイムも無し。 昨夜はホテルの窓から広島駅を眺めながら、 昭和55年12月の切ない出来事を思い出していました…。 …広島駅のベンチで寝袋にくるまって 凍える一夜を過ごした翌朝。 機関区を訪れて職員の方に案内していただいた場所、 新幹線の高架下の片隅にお目当ての電機が佇んでいました。 それは役目を終えて最期を待つ64号機。 かつては淡緑色に塗られ、 ゴハチ黄金時代を彩った機関車が、 69号機と連なって架線の無い留置線に眠っていました。 斜め前からのアップを。 ワイパーこそWP50ですが、 大窓ならではの優美なマスクです。 ナンバーと銘板も撮っていました。 昭和28年の製造なので、 27年で使命を終えた事になります。 ご案内頂いた職員さんにお礼を述べたものの、 振り向いて未練がましく64号機を眺めていたら、 「今日ナンバーを外すが一枚持ってくか?」 とのお言葉。 ! と思いはしたものの、、 銀箱・リュック・三脚のフル装備に加え、 重いナンバーを持って鎌倉まで帰れるワケもなく拝辞した、 という泣ける思い出があるのです。 ホテルの窓から見える夜の広島駅には、 銀色の電車や桃太郎が牽く貨物が行き交うものの、 旅客列車はもはや現れることもなく、 あの朝が遥か彼方に過ぎ去った事を思い知らされます。 あのナンバープレート、 どうなったんだろうなぁ。 全財産はたいて宅配便で送れなかったものか… 伯父の勤める首都圏の機関区に送ってもらえなかったのかなぁ… と、酔った頭で愚にもつかない事を ひとしきり思い返してから えい、ちくしょうめ。 と呟いて眠りについたのでした。
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