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2007年09月12日(水曜日) 原爆落下中心地から約500メートルの小高い丘の上。そこには子どもたちが通う国民学校がありました。1945年8月9日、そこにいたたくさんの子どもたち、先生たちの運命はどうなったのでしょう。何人が亡くなり、そして生き残った子どもたちは何を思い日々を送ったのでしょう。かつて「アトミック・フィールド」とよばれた地を横切り、城山の丘をのぼって現存する被爆校舎を訪れるこのコースでは、原爆と子どもたちについて考え、歩き、思いをはせます。ふと足を止め、そっと耳をすませば、何かが聞こえてきませんか? 原爆落下中心地碑→簗橋と駒場町→防空壕跡→永井坂→被爆校舎(城山小学校平和祈念館)→少年平和像→原爆殉難者の碑→嘉代子桜→荒川平和桜 12日、久々の通さるくです。 平日、水曜日、会社を休んでしまいました。 昨晩の五つぼの宴会の影響では有りませんよ、まったく二日酔いとか無く元気です。 このコースは平日にしか、開催されていないので、仕事を休んで参加しないと いけないコースですね。 同じ考えの方が他にも2名程、何度かお会いした顔と ご対面でした。 ◆ 平和の母子像 この像は非常にインパクトが有りますね、崩れる、地球を大またを広げ、子ども達を 救おうとする母の姿です。 戦地に行った父親達、残された女、子どもも大変だったのです。 ◆ 長崎誓いの火 毎月9日には火が灯されるそうです、この日はオリンピア、アテネで採火されたそうです。 種火は平和祈念像の近く、被爆者の店で大切に保存されています。 ◆ 平和を祈る子 世界各地から集められた石が平和を願って台座に埋め込まれいます。 ◆ 中心碑の像 爆心地のシンボル、中心碑の代わりに建立される計画でしたが、市民団体から 不釣合いとの意見が多く、爆心地公園の片隅に建立された、いわくつきの像です。 平和を願う気持ちは同じなんだけどね。 ◆ 中心碑 Center 1945年8月9日 11時02分、この上空500mで炸裂した、原子爆弾は 今をなお、多くの人びとを苦しめています。 この青空に永遠の平和を祈りたいです。 ◆ 浦上天主堂 これは雨樋の飾りだそうです、狛犬でも、獅子でも有りません。 一応、原案はライオンをデザインしたそうです。 ◆ 駒場の陸上競技場 かっては駒場町と呼ばれたいた地域です。 爆心地に近いこの地区には230世帯が住んでいたそうです、昼間の人口は3700人余り と推定されています、原爆により一人残らず、息絶えた地域です。 その悲惨な状態の場所に進駐した米軍は10月に1週間で飛行場を作り、その機動力に 目を見張るとともに、多くの遺骨が収容されぬまま、工事がされた事に唖然としたそうです。 ◆ 城山小学校の防空壕です。 ◆ 永井坂 永井隆博士の「この子を残して」の印税から基金をいただき、植樹した桜の木があること から命名されました。 昭和24年2月に寄贈された桜は、毎年きれれいな花のトンネルに なっています。 当時の桜は代替わりしており、原木は残っていないそうです。 ◆ 少年平和像 戦争、原爆で全てを失った、城山小の児童が平和を希求して立ち上がる姿を象ったものです。 製作者は富永良雄氏。 城山の児童は毎朝この像に挨拶してから教室に入るそうです。 ◆ 被爆校舎(城山小平和祈念館) 被爆した旧校舎の跡で、被爆後も教室として使用されていました。 昭和59年の新校舎建設に当たり、一部が遺構として残され、現在に至っております。 平成11年に平和祈念館として生まれ変わりました。 内部には貴重な当時の写真が掲載されています。 亡くなった先生達の遺影です。 10代、20代の方もたくさんいらっしゃいます。 亡くなった城山小の児童の名簿です。1400名が亡くなったそうです。 名簿にパソ親父と同じ苗字の方が何人か見受けられます。 パソ親父は長与町出身ですが、長崎市には同じ苗字の方はほんの僅かです。 この城山付近で祖先が繋がっていたのかも知れませんね。 被爆当時の校舎 上から潰された様に、倒壊しています。 これが現実です。 多くの方がこの場所で荼毘にされました。 ◆ カラスサンジョウの木 原爆に逢いながら、辛うじて生き残り、現在に至っています。 現在は後方のムクの木々に支えられ、その姿を維持でいています。 本当に板壁みたいな木でした、生命の凄さを感じます。 ◆ 原爆殉難者の碑 原爆で殉職された方々の冥福を祈り、平和を祈念するために作られた碑です。 ◆ 嘉代子桜 被爆当時、児童だった、林嘉代子さん その日、母親に「今日は学校に行きたくない!」と言ったそうですが、母が「間もなく誕生日だから その時にお休みしようね」と頑張って学校に行く様に諭したそうです。 11時02分、校舎に居た、嘉代子さんは即死。 母は休ませておけば良かったと、悔やんだそうです。 母が娘が好きだった桜の木を学校に寄贈されが大きくなりました。 ◆ 荒川平和桜 こちらは当時、教頭先生をされていた方です。 奇跡的に助かった、荒川先生はその後の教育再開、慰霊活動と尽力されました。 遺族の方より寄贈された桜です。 ◆ スタンプ 平和祈念館に有ります 長崎に住んで40数年なりますが、この地を訪れたのは初めてでした。 何の罪も無い子どもを傷つけ、命を奪った、原子爆弾を絶対に許してはいけません 長崎市民として核廃絶運動には微力でも協力していきたいと思います。 めぐりきぬ この月 この日 思い出は 白雲の かなた ひらめきの またたく ひまに 声もなく 空しく 散りし 先生よ 子らの み魂よ (城山小学校で毎月9日に行われている平和祈念式で歌われる歌) −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
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この写真を見ると・・・ホント二度とこんな悲劇が起きて欲しくないですよね〜
2007/9/12(水) 午後 11:23 [ - ]
核の開発から始まり、核の使用、そして戦後の核による威嚇合戦は、人類史上最大の悲劇です…。亡くなった皆様のご冥福を心からお祈りします。
2007/9/13(木) 午前 8:00
現代における問題意識を感じました。
歴史を学ぶ事が重要であると改めて考えさせられました。
2007/9/14(金) 午前 11:29 [ MJJSS ]
まだ死にたくは無かった、死なせたくは無かったであろうに・・・と涙が止まりません。次世代へ語り継いでいくのは大切ですね。
2007/9/14(金) 午前 11:36 [ クラウディア ]
わたしがここに立ってから、
もう、1ヶ月が過ぎたんですね。
もう、永井坂には 秋の風がふいてるのでしょうか。
2007/9/14(金) 午前 11:55
長崎にいるからには、ぜひ訪れたいと、この記事を見て、そう思いました。
2007/9/14(金) 午後 0:59 [ - ]
8月の長崎では原爆のちがうコースをまわりました。
知らなければならないこと、まだまだたくさんありました。
by とも丸
2007/9/14(金) 午後 5:10
この愚かな現実に、何を思い何を行動するべきか考えさせられます。
2007/9/14(金) 午後 9:09
Tomさん
屍が転がった写真、本当に衝撃的です。
これが真実、ここんで数万人が亡くなった事を忘れてはいけないのです。
2007/9/14(金) 午後 11:07
もみひこ さn
長崎、広島が何十年も核廃絶を叫び、祈っているのに、世情は核拡大、北朝鮮の脅威に動いています。危険な状態にStopを!
2007/9/14(金) 午後 11:09
MJJSSさん
平和について考える事が大切だと思います。
2007/9/14(金) 午後 11:10
クラウディア さん
自分の子どもぐらいの世代の方が多く亡くなっています。
鹿児島の特攻平和記念館と同じく、寂しい気持ちになりました。
2007/9/14(金) 午後 11:12
みほ さん
平和学習、長崎取材お疲れ様でした。
早いものですね、みほさんとニアミスの距離に居たのに。
2007/9/14(金) 午後 11:13
totorou24 さん
パソ親父も始めての訪問だったのですが、長崎市民も行った事が無い人が多いと思います。メインは平和祈念館ですからね。
2007/9/14(金) 午後 11:14
とも丸 さん
原爆関連のコースはこの他に2つ有ります、全部で3コースですね。 パソ親父はこれで3コース全て廻りました。
他のコースも是非、読んでみて下さいね。
2007/9/14(金) 午後 11:16
sasebodegurume さん
若い世代の方が継承される努力が必要ですね。
2007/9/14(金) 午後 11:17
まだまだ長崎は、色々訪れないといけないところが多いですね
2007/9/15(土) 午前 10:19 [ - ]
母校だったりします>城小
平和について多くの事を学び、感じ、今に至りますが
今は原爆が落ちた時間も日時も知らない若者が多くいるそうで…
なんとも嘆かわしい事です
この事実を、忘れてはいけない過去を、しっかりと後世に残していく為にもこういうイベントは続けていって欲しいなと思います。
2007/9/15(土) 午後 11:20
胸が熱くなります・・・
2007/9/16(日) 午後 3:11