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どんなに良い環境でも「死にたくなる」瞬間はあると思う。
多感なときだ。
油断しないで、でももっと気を抜いて、と思う。
みんな安易に死さえ選んでしまうけど
意外とそこら辺の大人も何度か崖っぷちを歩いてきたりしてる。
そうじゃないひとのほうが多いかもしれないけど
結構生き延びるのは大変なのだ。
学校は利用するだけして
さっさと卒業するのがいい
あのころは良かった
でもあのころっていつだっけ?
そう思ってないひとも大勢いる。
辛酸をなめさせられた大人は
同窓会なんか絶対出ない。
わかるでしょう?
大人になっても残酷すぎる出来事は蓋を閉め
そのころの気持ちを忘れないものだ。
「あのころ」なんか思い出したくない人もいる。
「風葬の教室」ぐらいはまだいい
宮部みゆきの「取り残されて」だったと思うけどああいうことは少なからずあったりする。
どこ行っても油断してはならない。
子供のふりしていても
自分だけは、少し高みにいないと、もしくはいるように意識を持っていないと
石ころみたいな雑草みたいな連中にやられてしまう。
人間のふりした獰猛な動物は、子供時代にもある。
通信制がすべて夢も希望もという訳には行かないが
少し目線を変えてがんばってみるのもいいと思う。
ほんとうにどうしてこのコたちはこんなに愚かなんだろうと驚いたこともあった。
よくまあうちの高校に来れたなあというひとたち
ま、所詮そこで終わってしまったけど
進学とかそういう意味ではなくて。
だから一生同じ場所で同じ目の高さで終わっていくのだと思う。
子供でも気がつく人間とそうではない人間がいる。
どちらの側でいられるかは自分次第。
ちょこっと勉強したぐらいじゃ無理。
人間に精彩というものがあるなら
それはうんと早い時期に分けられるのだ。
感受性の強い子供のほうが良い
でもそれをうまくコントロールできる子供のほうが
より良いと思う。
何が?
人間としての感度。
それ以外に基準は、正しいと思える器の基準は無い。
少なくとも私や、高校を卒業して出会った素敵な大人たちには。
多少お家が良くてもネ。
鈍いのは苦手(仕事とかお勉強の要領とかではない)
お話にならない。
大人になればうまく扱えるけど
子供同士だとその差を埋めることは出来ない。
大人は知恵でもって世間体でもって
愚かな者にも何とか折り合えるけど
子供時代は無理。
その差はあまりにも大きくて。
http://ckg-k.jp/convert.html
今わりと好きな曲が流れてる。
どこで聴いたか思い出せない。
よく聴いていたのに思い出せないということは大抵職場で聴いたとかだと思う。
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