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法を作っても解決は難しいと思う… 「みんなが差別を批判できる時代」に私が抱いている危機感から抜粋 アイデンティティよりも守るべきもの ここで重要なのは、法が守るのは「平等なシティズンシップの尊厳」であるということだ。 そして、尊厳とは「集団の個々の成員」の「尊厳」なのであって、「集団そのものの尊厳や、集団をまとめる文化的または社会的構造の尊厳」ではない(前掲書p.71)。 つまり、守るべきは、市民の尊厳であって、民族や人種といったアイデンティティの尊厳ではない。 くわえて重要なのは、在特会、ネオナチ、KKKといった排外主義もまたアイデンティティ・ポリティクスであるということだ。 「逆差別」という言葉が象徴するように、マジョリティであるわたしたちが逆にマイノリティに虐げられていると主張する。その主張がいかに間違っているとしても、形式面においてはアイデンティティ・ポリティクスと同じ行為をしているのだ。 アイデンティティの尊厳をもとに考えることは、実は排外主義と同じ土俵に立ってしまう。 しかし、シティズンシップの論理でいけば、マジョリティやマイノリティに関係なく、あらゆる人間が差別を批判できる。 もちろん、反差別運動において「アイデンティティ」と「シティズンシップ」の論理は、はっきりと区別できるわけではない。二つの論理はときに協力し、ときに対立してきた。 しかし、排外主義の台頭をうけて「シティズンシップ」の論理が優勢になりつつある。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181010-00057840-gendaibiz-bus_all&p=2 ☆差別はしてはいけないと思うのだが… 法をきちんと守って、なおかつ排除に会い権利を主張しても認められないのであれば、騒いでも良いと思うのだが… それぞれの国の法を守らずに、差別とか訴えるのがおかしいと思うのね。 それぞれの国の国民であり、義務と責任を果たしてから権利の主張をすれば 問題は起き難いと思うのだけれど、まず権利ありきで 義務と責任を果たさず 差別だと騒いでいるので マジョリティ側が怒るんですよね。 発生したことに対して 差別だと大騒ぎをする… 排外主義ではないのだが、義務と責任を果たした人に対しては 攻撃するほうがおかしいんですよね。 単純な善悪二元論を超えて 「足を踏んだ者には、踏まれた者の痛みがわからない」という言葉で重要なのは、差別を「足を踏む」に喩えていることである。 「殴る」や「蹴る」は意図的な行為だが、「足を踏む」は意図的な行為だとはかぎらない。誰しも電車の中で他人の足を踏んでしまった経験があるだろう。自分が踏んだことに気づかなかったこともあるかもしれない。 つまり、この比喩は、何気ない日常的な行為に差別があることをしめしている。差別とは、ヘイトスピーチといったあからさまな侮蔑表現だけではない。反差別運動とは、当たり前だと思われた行為や制度が実はおかしいものだ、ということをしめす運動であった。 たとえば、かつて女性は仕事に就かず、家庭で家事労働をおこなうのが当然とされていた。しかし、そんなことはおかしいと声をあげたのが、フェミニズムだった。 かつて重度障害者は地域ではなく施設で暮らすのが当然とされていた。しかし、そんなことはおかしいと声をあげたのが、障害者運動だった。 一連の炎上騒動において、どんな社会的制裁を加えるか、という点ばかりに注目が集まっている。問題の背景を考察するひまもないままに、次から次へと悪者が告発されている。 集団のうちの一人を攻撃することで、集団の結束力を高めることをスケープゴートという。一匹の山羊に罪をかぶせて追放することで、罪をつぐなう宗教儀式がその由来となっている。 一連の炎上はスケープゴートそのままである。差別者にすべての罪をかぶせて追放することで、わたしたちの差別を帳消しにしているかのようなのだ。 もちろん、そんな儀式で差別はなくなりはしない。目の前にある現実が見えなくなるだけなのだ。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181010-00057840-gendaibiz-bus_all&p=3 ☆>かつて女性は仕事に就かず、家庭で家事労働をおこなうのが当然とされていた。しかし、そんなことはおかしいと声をあげたのが、フェミニズムだった。 女性が権利を求める事は当然であり、当たり前の事だと思います。 しかし男性憎しで動いている 行き過ぎたフェミニズムもあるんですよね。 男性の年収に拘り、自分で稼ごうとせず、男の年収を全ての価値感を持ってる人に対してと… 自分のポジションを得るために体を使って営業活動をしてる人も同じように批難されるべきであり、そこらで権利の取得を目指すのはおかしいと警鐘をすべきだと思います。 男女平等であるならば 男の癖に情けないとか、男だから当然という言葉はなくなるはずですが… 実力ある人が上に上がっていくのであれば、地位 ポジションに女性が少ない云々がありますが、実は女性であっても男性並に個を犠牲にして働く人はきちんとポジションを得ているんですよね。 尊厳を破壊されるような性暴力は生活環境その他宗教事情によっても許されるべきではありませんが、自ら望んで受けるのは別問題であり、別問題をどのように警鐘していくのかという段階でもあります。 >かつて重度障害者は地域ではなく施設で暮らすのが当然とされていた。しかし、そんなことはおかしいと声をあげたのが、障害者運動だった。 支える家族は 非常に大変であり、大変だからこそ軽減する為に施設が存在するのですが… 時代は義務と責任を果たしてから権利の主張になりつつあるわけで… なんでもかんでも差別といえば権利を獲得でき 飯が食えてた時代から変わりつつありますね。
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雑学
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どうでも良い事に開発費を使っているような… ヤマハ SR400 復活、40周年記念モデルも同時発売へ ヤマハ発動機は、昨年8月に生産を終了したロングセラーモデル『SR400』を復活。従来の個性はそのままに、「二輪車平成28年排出ガス規制」に適合させ11月22日より発売する。 SR400は、心地よい鼓動感のビッグシングルエンジン、シンプルかつ美しいスタイリング、キックスターター方式、といった1978年の発売以後、熟成と深化を重ねた「SRらしい」個性が人気のロングセラーモデルだ。 新型SR400は、空冷エンジンをそのままに、O2フィードバック制御のFI(フューエルインジェクション)や、蒸発ガソリンの外気への排出を低減するキャニスターの採用などで優れた環境性能と燃費性を実現。従来の乗り味とスタイリングを継承しながら「二輪車平成28年排出ガス規制」に適合させた。 また、音響解析技術を駆使し、低音と歯切れの良さを向上させた新マフラーを採用。キックスターターやデコンプレバーなどは従来モデルから継続採用している。 カラーリングは、ブラックとメッキの金属感を調和させ、本質的な魅力を表現した「ヤマハブラック(ブラック)」と、リラックス&カジュアルな印象をアピールした「グレーイッシュブルーメタリック4(ブルー)」を設定した。 価格は57万2400円。 また、発売40周年を記念した「SR400 40th アニバーサリーエディション」を500台限定で、同じく11月22日より発売する。限定モデルは、「ベリーダークオレンジメタリック1(ブラウン)」をベースに、職人の手作業によるサンバースト塗装を施したフューエルタンクや真鍮音叉エンブレム、サイドカバーの電鋳SRエンブレムなどを採用。素材から塗装まで所有感を満たす装飾にこだわり、SRの歴史や世界観が凝縮されたモデルとなっている。 価格は69万1200円。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180914-00000017-rps-ind ☆>また、音響解析技術を駆使し、低音と歯切れの良さを向上させた新マフラーを採用。 これそもそも必要ないと思うw なぜならば SR買ってノーマルで乗る奴のほうが少ないわけで マフラー変更するのは基本ですもんねw ボバーやカフェレーサーのベースとして 自分だけの一台にするのが楽しいバイクなので、 >ブラックとメッキの金属感を調和させ、本質的な魅力を表現した >リラックス&カジュアルな印象をアピールした こんな事するよりも… >「二輪車平成28年排出ガス規制」に適合させた。 これだけクリアさせた、どうせ塗り替えするので 色はつや消しブラックの安物でも良いから、50万で出したほうが良いような気もw あてくしだったらボバーにしてしまうな… ↑バランス取れてて良いと思う。 ヤマハは昔のバイクが見直されてきて 復刻版みたいな感じでアレンジして出してきてるけど… どっか 外れてるような気がする件www
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最後です。 ■視野狭窄の原因は「情報過多」だけなのか? しかし現実には、片山氏が指摘するように、人々はますます視野狭窄に陥り、どの国々でも政治的対立が先鋭化している。片山氏は、その典型例として安倍政権への態度を挙げて、次のように説明している。 <政権を支持する人は、政権を擁護する保守や右派系のサイトやブログ、アカウントばかりをフォローする。政権が嫌いな人は、リベラル・左派系のメディアしか見ようとしない。自分で考え、判断するどころか、味方の論法をそのまま真似て、相手を攻撃し悦に入る。あるいは、相容れないものは端っから無視する。負荷も減って楽だし、自分に近い意見だけに接すればストレスもかからない>(同前) この現状診断に異論はない。ただ、ひとつ疑問を投げかけるとすれば、人々が視野狭窄に陥っているのは、本当に情報過多が主要因なのだろうか。 ■ダマすための技術を生み出してしまう人間 テクノロジーが進歩して情報があまりに増えすぎたために、人々がその処理に追いつかず、結果として狭い見方に閉じこもってしまうという説明は、たしかにわかりやすい。でも、問題の根っこはもっと深い。 この連載でも繰り返し述べてきたように、認知科学や行動経済学は、人間がさまざまな認知バイアスに陥りやすいことを明らかにしてきた。そしてバイアスの多くは、先述した直感的な「速いこころ」と関係している。直感的な判断は、しばしばエラーを起こしてしまうからだ。 人間は思ったほど理性的でも合理的でもないことが明らかになれば、そこにつけこむ人間が出てきてもおかしくない。人間の感情や直感は非常にダマされやすい。それを見越して、上手にダマすための技術を生み出してしまうのも、また人間なのだ。次回は、その実例を見ていくことにしよう。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180903-00026084-president-life&p=3 ☆<政権を支持する人は、政権を擁護する保守や右派系のサイトやブログ、アカウントばかりをフォローする。政権が嫌いな人は、リベラル・左派系のメディアしか見ようとしない。自分で考え、判断するどころか、味方の論法をそのまま真似て、相手を攻撃し悦に入る。あるいは、相容れないものは端っから無視する。負荷も減って楽だし、自分に近い意見だけに接すればストレスもかからない> 私はどっちの味方でもありませんが、 >自分で考え、判断するどころか、味方の論法をそのまま真似て、相手を攻撃し悦に入る。 パヨク・左派側が 政権側よりもっと酷い事をやってるのにも拘わらず、だんまりを決め込む… 大きなブーメランが刺さり、おまいがゆうな状態なのに 政権側だと更迭したり 離党させたりするのに 同じような自浄作用がないから応援できない件。 >人間は思ったほど理性的でも合理的でもないことが明らかになれば、そこにつけこむ人間が出てきてもおかしくない。人間の感情や直感は非常にダマされやすい。それを見越して、上手にダマすための技術を生み出してしまうのも、また人間なのだ。 自分の欲・願望に突き動かされるほうを支持してしまうものなんですよね。 少数者に対して優しい政治と多数者に対して優しい政治の手法であり… 少数者の場合だとコアで確実に支援してくれるので、気まぐれはなく、多数に優しい政治だと 利権にあやかれない人も出てくるので気まぐれ支持となる… ごく一部のコアな人に支持されて透明人間で居られた人が、IT革命によって、皆に査定される事になり、透明人間ではいられなくなったということでしょう。 >それを見越して、上手にダマすための技術を生み出してしまうのも、また人間なのだ。 超高度になってきてるわけで、騙すより正直なほうが楽になってきてるんですよねwww IT革命→AI革命→量子革命と3段階で進行していくわけであり… 進んでいくにつれ… >理性を用いて、善の何たるかを知り、富や名誉、食欲、性欲などに振り回されずに生きることだという。別の著作でソクラテスは言っている。<大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ>(『クリトン』)と。 富や名誉、食欲、性欲などに振り回されることが 透明人間ではないが故にできなくなる世界な件。 頭を切り替えて どこかで誰かに見張られていると思っていたら、「欲望」に振り回される事はなくなるのではないでしょうか?
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続きです。 ■自分の見たいものしか見ない現代社会 ソクラテス、プラトンを嚆矢として、西洋の哲学者たちは、長らく理性的に考え、生きることの重要性を説いてきた。だが、それは裏を返せば、多くの人間が理性的に生きていないことを示すものだろう。理性的な人間がマジョリティならば、わざわざ理性の大切さを訴える必要はないのだから。 私たちが生きる現代社会はどうだろうか。多くの識者が指摘しているように、ネット社会が人々を視野狭窄にしている側面があるのはたしかだろう。政治学者の片山杜秀氏は、平成史を振り返る連載のなかで次のように語っている。 <世の中が高度に複雑化・専門化したために、高等教育を受けても追いつかない。分かりにくい政治的・経済的・社会的事象も増える一方。要するにいくら学んでも追いつかず、人間がオーヴァーヒートしてしまう。そんな時代が当世なのです。 そうなると人間は自ら進んで原始宗教の時代に戻るのです。広く分かろうとしても分からないので、多くのものに目をつむり、「見たいものしか見ない」「聞きたいものしか聞かない」ようになるのです>(「AI栄えて人間滅ぶ」『小説幻冬』2018年6月号) ■IT革命が夢見たユートピア 以前、この連載でも紹介したように、ヒトの心には、直感的な「速いこころ」と理性的な「遅いこころ」という2種類の情報処理システムが重なって搭載されている。「分かりにくい政治的・経済的・社会的事象」を理解するためには、直感は向いていない。安全保障はどうあるべきか、社会保障はどうあるべきかといった問題を、直感で判断するわけにはいかないだろう。 それゆえ、社会が複雑になればなるほど、その問題解決には理性的な能力が求められる。でも理性は「遅いこころ」なので、立ち上がるのも遅ければ、処理能力もゆっくりだ。それでもヒトが高度な文明を築くことができたのは、前回述べたように、環境を知性の一部としてきたからにほかならない。 今年、邦訳が出版された『知ってるつもり――無知の科学』(スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック著/土方奈美訳、早川書房)でも語られているように、「頭蓋骨によって脳の境界は定められるかもしれないが、知識の境界はない。知性は脳にとどまらず、身体、環境、そして他の人々をも含む」のである。 ならば、現代社会で生じる複雑な問題、解決が不可能に思えるような問題も、環境を知性の一部にすることで対処が可能なのではないか。いや、人間は、社会は、もっと賢くなれるのではないか――そう考えた人々がいる。IT革命の旗手たちだ。 情報技術の発展は、人類の知性をも発展させる。戦争、紛争、貧困、環境問題など、グローバルな問題も、情報技術を駆使すればいずれ解決されるだろう。IT革命の可能性を信じた人々は、そんなユートピアを思い描いていた。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180903-00026084-president-life&p=2 ☆ >世の中が高度に複雑化・専門化したために、高等教育を受けても追いつかない。分かりにくい政治的・経済的・社会的事象も増える一方。要するにいくら学んでも追いつかず、人間がオーヴァーヒートしてしまう。そんな時代が当世なのです。 情報過多になりすぎて、完璧にオーバーヒートしてますよねw 自分達の地域、習慣上において正義だったものが、受け入れがたいものも他地域では正義として認められていたとしたら、パニックになります。 >広く分かろうとしても分からないので、多くのものに目をつむり、「見たいものしか見ない」「聞きたいものしか聞かない」ようになるのです。 きちんと説得できる根拠でがあれば 信じるのに値するのだけれど、実際は違う… 人の噂、流言、思惑によってこうではなかろうか こうでありたいと願望も入るとおかしな話になる件。 >直感的な「速いこころ」と理性的な「遅いこころ」という2種類の情報処理システムが重なって搭載されている。 速いこころというのは 選択でもあり、欲望に純粋な面もあり、遅いこころというのは 常識、思想、習慣でもあるんですよね。 >情報技術の発展は、人類の知性をも発展させる。戦争、紛争、貧困、環境問題など、グローバルな問題も、情報技術を駆使すればいずれ解決されるだろう。 常識、思想、習慣、宗教によって縛られているのであり、縛りを公平に思考できるようにならないと、情報技術を駆使しても解決できないんですよ。 ところが、IT革命によって透明人間で居られた人が実体化するわけで、前のページの… >透明ならざる人間は、やりたいようにはできないから、しぶしぶ正義に従っているにすぎないのだ。 透明人間は、やりたいようにはできなくなるから、しぶしぶ正義に従うようになる。 という公平化になってくるわけでもあります。 そして 常識、思想、習慣、宗教上の上位に居る人は、解決しないほうが良いとも考えてる人も多い件w 3へ続く…
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個人個人の哲学ですね。 現代人が「欲望」に振り回される根本原因 幸福な人生とはどのようなものか。古代ギリシャの哲学者たちは、ただ生きるということではなく、よく生きることが重要だと考えた。そのための道具が「理性」だ。理性があれば、富や名誉、食欲、性欲などに振り回されずに生きることができる。だがこれは裏を返せば、それだけ理性的な行動が難しいということだ。現代の私たちはどうすればいいのか――。 ■透明人間になれたら何をするか もしも透明人間になることができたら、あなたは何をするか。この素朴な思考実験を、正義や道徳に関わる問題として扱った哲学書がある。古代ギリシャの哲学者・プラトンの代表作『国家』だ。 この本のなかで、プラトンの兄・グラウコンは、はめると透明人間になれる指輪に関する伝説を紹介したうえで、「この指輪を、正しい人間と不正な人間がはめると何をするだろうか」と問いかけている。 グラウコンの考えは、この指輪をはめてもなお、正義にとどまるような意志強固な人間などいるはずがない、というものだ。その後に続く部分を読んでみよう。 <市場から何でも好きなものを、何おそれることもなく取ってくることもできるし、家に入りこんで、誰とでも好きな者と交わることもできるし、これと思う人々を殺したり、縛(いまし)めから解放したりすることもできるし、その他何ごとにつけても、人間たちのなかで神さまのように振舞えるというのに! ――こういう行為にかけては、正しい人のすることは、不正な人のすることと何ら異なるところがなく、両者とも同じ事柄へ赴くことでしょう>(プラトン『国家』藤沢令夫訳、岩波文庫) いくら正しい人間だって、透明人間になれるなら、盗み、レイプ、殺人などやりたい放題を尽くすだろう、というのである。 ■「ただ生きる」のではなく「よく生きる」 この思考実験からグラウコンは「正義は、個人にとって善いものではない」と結論づける。彼に言わせれば、透明ならざる人間は、やりたいようにはできないから、しぶしぶ正義に従っているにすぎないのだ。 『国家論』では、この後に、ソクラテスの反論が展開される。要旨だけを述べれば、不正や悪徳を働く生き方は、魂がかき乱されるのだから、決して幸福な人生とはいえない、というものだ。 では、ソクラテスやその弟子であるプラトンにとって、幸福な人生とはどのようなものか。 それは、理性を用いて、善の何たるかを知り、富や名誉、食欲、性欲などに振り回されずに生きることだという。別の著作でソクラテスは言っている。<大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ>(『クリトン』)と。https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180903-00026084-president-life&p=1 ☆>いくら正しい人間だって、透明人間になれるなら、盗み、レイプ、殺人などやりたい放題を尽くすだろう、というのである。 理性と感情がありますので、確かに感情のみで生きていたらありえない事はないのですが… ただし… >理性を用いて、善の何たるかを知り、富や名誉、食欲、性欲などに振り回されずに生きることだという。 善というものも怪しいものであり、時代、地域、習慣によって善の判断が変わるんですよね。 富や名誉、食欲、性欲があり 達成したいが故に最大限の能力を発揮するケースもあるわけで… これらを悪と決め付けてしまえない面もある… 正義も価値感なので 正義の前提も難しい件… 続く
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