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昨日は、元棋士の方と食事に行きました。棋士というのは四段以上からがプロになるそうです。毎年30人くらいが難しい試験を受け棋士の養成所みたいなところに入り、4人がプロの道を歩むことが出来るそうです。日本にいるプロの棋士は全国で100人超、すごい、その中の一人(数年前にやめたそうですが・・・)とお会いし、ご飯をご馳走になったと思うと、なかなか貴重な体験だったと思います。
その棋士の方にファミレスに連れて行ってもらいました。なかなか庶民的!!Coco'sというファミレスに初めて行きました。まずくはないがやはりファミレス、たいしたことがない。それもランチでも割りに高いです。僕は結構体格が良いので気を使ってくれたのか、二つ頼んでいいよと言われ、日替わりランチ(ライス大盛、ハンバーグと魚のフライ、サラダ、スープ)とパスタセット(パスタ、サラダ、コーヒーゼリー)を食べてしまいました。こんな不況な時期に景気の良い話しですが、まあ、ファミレスごときではそれぐらい食べないと満足できません。おそらく量もも少ないのだろうと思います。最近、ファミレスも安くなったとはいえ、やっぱり割りに高いですねー。安いという風潮に(僕が洗脳されているだけかもしれませんが・・・)、騙されないようにしないといけませんね。
では本題に入りましょう
私はNPOの是非について考えることが多々あります。もともとNPOの存在は嫌いでした。しかし、その考えが一変するNPOを私は知りました。それは、自殺者を食い止めるため一人の人間が作り出したNPOです。そのNPOの運営はだんご屋の経営と少しの寄付、そして本人の貯金です(今はどうなってるのか分かりません)。彼は自殺しようとするものを見回りし、いたら声をかけ、そのだんご屋に連れて行き、団子をご馳走しながら様々な相談や手配をしてくれるといった活動をしています。元々警察官で様々な人の死を見てきたことから、自殺を食い止めようと思ったそうです。このNPOは年間50人の人を救っています。このことはテレビで知りました。私自身はテレビのニュースやドキュメントをあまり信じません。そして、NPOは嫌いでした。しかし、彼の出で立ちを見ればなんとなく、その思いが分かります。
NPOも捨てたもんじゃないと思っていたのですが、やはり、そのおかしさをよく感じます。つまり、まともなNPOとそうではないNPOが存在し、やはり、ほとんどのNPOが後者だということを私は感じて成りません。
一昨日、TBSにおいてドキュメントが放送され、その中にもNPOが出てきました。生活保護受給者を無料低額宿泊所に住まわせ月8〜9万円を食費・住居費などで生活保護費から天引きし、三万円のお金を自由なお金として居住者に渡すといった事業を、NPOが運営している。そして、その施設を、政府や自治体が活用しているという。
やくざ関係の方がそのような施設を作り運営しているということをよく耳にしますが、それを、合法的に日本では行うことが出来るということです。ドキュメントの中で、良心的はNPOはもっと安く、金銭的身体的自由を与えている団体で様々な支援をしているといった報道もしていました。その、NPOでは借り上げ住宅を生活保護受給者に四〜七万円くらいで貸し出し、後のお金は受給者自身で使えるようにとするというものでした。前者に比べれば良心的にも思えます。
しかし、NPOの職員の服装とスタッフの数を、そして、彼らが何を持って生きているかを考えたとき、彼らが不幸な人々を、福祉を、食いものとし生きているという現実を考えざるを得ません。彼らは、こぎれいな格好をし、肌もきれいで、ちゃんとご飯を食べているのでしょうプックリとしている。そこに善意を感じることが出来るでしょうか。私には出来ませんでした。
確かに良い団体もあると思います。しかし、今の制度では非営利団体とは名ばかりの本来の目的ではなく隠された目的を図るための団体を容易に作り出すことが可能です。それによって様々なNPOが作り出されています。ある宗教団体の者が運営するNPOは貧困を助けるという表の目的を掲げていても、その裏にあるものは信者を増やすという宗教団体の目的を、人の弱みに付け込むという形で遂行しています。
彼らは、テレビで堂々と善意な行動をしているというアピールをし、メディア(ドキュメントなど)によって存在を正当化する。私に言わせれば、彼らの行動は人を騙す行為である。そして、多くの人々が騙されてしまっているというのが、この日本の裏に隠された悪しきNPOの実態であると考える。
この拝金主義の日本では、本来、あるべき団体の様相は変わってしまった。NPOは偽善者と格差、人の上下関係を作り出した。特によく話題になっている貧困救済を目的としたNPO、私の言う悪しきNPOの最たるものだと考える。なぜなら、人間の格差をもっとも作り出している団体だからである。NPOが偽善の顔を持って困窮者を助け、NPOに助けてもらったものが、貧困に苦しむものを救済する。一見して素晴らしいことかもしれない。しかし、私には単なる私は貧困から逃れた勝者である目線から、困窮者に向けて施しを与えるという立場であるという、立場上の格差、上から目線を作り出しているようにしか思えない。この目線の格差がスパイラルを起こしている。
NPOが何を救えることが出来るであろうか。一時的な貧困を救済し、一時的な満足を与えることで、NPOの存続の口実を作り上げる。そしてその目的を遂行するための道具として、生活困窮者を扱っているようにしか、私には思えない。本を書き、テレビに出演し、デモ活動をし、炊き出しをする。すべてが拝金主義、NPOにはあってはならない儲けに繋がっている。
本当のNPOと悪しきNPOを見分けるのは確かに難しい。私達に入ってくる情報も少ない。しかし、私の町でも猛威を振るっているように、NPOは実はその存続を図るために儲けなければやっていけない。つまり、その目的のみが一人歩きし、その裏に隠された儲け主義は表には出てこないでいるということだ。私の町ではNPOに生涯学習などを任せた結果、私達の学習の場であり憩いの場であった古きよきカルチャーセンターは、単なる天下り先とNPOの経済活動の場と成り下がった。
拝金主義の日本ではNPO、その他の団体の成長はなされないであろう。NPO・団体は自己の権利のみを追い求め、その、社会的な影響力、自身が利益を得ることで他者が不利益をこうむるという社会関係・社会扶助の考えはそこに存在しないからである。自分が食べて行くために貧困者を使う。自分が食べて行くために、善意を訴える。単なる偽善である。今の日本には偽善が多すぎる。
「武士は食わねど高楊枝」 志があるなら、自己の仕事とは別にその団体の活動にいそしむべきである。偽善で飯を食うな。NPOで飯を食うな。人の不幸で飯を食うな。本当の善意は利益がなくても、食べていけるという中で生まれるはずである。そうでなければ、そこに大義名分はない。
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