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生まれて初めてこんな気持ちになった。一目惚れだった。
2週間前のことだった。駅前にある塾の夏期講習の申し込みのために、僕と友達の何人かは横須賀に来ていた。僕らは今年に高校受験を控えていて、さほど成績も良くなかった僕らは、志望校である県立Y高校に入るために、塾という選択を余儀なくされていた。
「マジで塾とかかったりーよなぁ。隣のクラスの満田なんかよ、毎日ゲームばっかしてんのに成績いいしよぉ。別に必要ないんじゃねぇの?」
「あそこん家って裕福だしよ、金でどうにかしてんじゃん?」
「あ、だからアイツ太ってんのか」
僕たちはくっちゃべりながら横断歩道を渡ろうとしていた。
「やべっ、赤になるぞ。とっととわたんねぇと!」
一緒にいた2人はぱっとかけだしたが、僕だけはちょっとボーッとしていたので、すこし出遅れてしまった。
その時、ちょうどカーブしようとした車がこっちに来た。
やばい!そう思った瞬間、誰かに後ろから腕をぐぃと引っ張られた。
「君!危ない!」
正直、本当に危ないところだった。今まで経験したことない出来事で、僕の心臓はすごくドキドキしていた。
「危ないところだったわねぇ。気をつけないとダメだよ?」
白いワンピースに帽子をかぶった女性で、彼女はそういいながら僕の顔を覗き込んだ。その瞬間、僕の高等部は何かに殴られたような感覚に襲われ、僕の心臓は再び大きく動き出した。
白い肌。長いまつげ。大きな目に高い鼻、すらっとしたその体に、僕は一瞬見とれた。何も言うことが出来なかった。
二人で信号待ちしている間も、僕は何も言えなかった。お礼を、言わなければならないのに。
それから信号は青になり、二人で歩き始めた。短い信号。僕が右に曲がろうとすると、彼女は左に曲がり始めた。
「じゃあね。君、今度は気をつけなきゃダメだよ?」
そう言って、彼女は白いスカートをなびかせて去っていった。その姿が、いつまでもいつまでも僕の脳裏に焼きついた。
まるで足場を一気に失い、今まで持ち合わせていた全てのもののバランスが崩れ、僕は不安定になった。
「fall in love…恋に落ちる、か。」
英熟語の教科書をパラパラとめくりながら、僕はため息をついた。
お姉さんは何歳なんだろう?
横須賀に住んでるのかな?
仕事とかしてるのかな?
彼氏とかいるのかな?
考えること考えること、全てが彼女のことへと繋がっていった。翔、14歳。あまりにも遅い初恋だった。
それからというものの、横須賀で、あの交差点で彼女と会えることを夢見て、僕は毎日のように自転車をこいで塾へと通った。塾が無い日でも、自ら自習室へと通い、あの時彼女に会えた時間にあの交差点を通るようにした。
それでも、彼女に会うことは一度もなかった。想いだけが募っていった。
出会いから2週間たった今日、アメリカの独立記念日だった。横須賀の米軍基地では毎年花火大会が行われ、町にも活気が出る。
「なぁ翔、今日一緒に花火観に行こうぜ。でっかいピザも食えるらしいぞ!」
同じ塾に通っているクラスメイトに誘われ、僕らは花火大会に行くことにした。あんまり行く気はしなかったが、もしかしたら気分転換になるかもしれない。もしかしたら、彼女にも会えるかもしれない…
僕たちは夜の8時ごろに待ち合わせをして、基地の中へと入っていった。普段食べることの無いでかいピザやハンバーガーを目当てに、どんどん奥の方へと進んでいった。無駄に派手なブレスレットや頭飾りなんてどうでもいい。
フライドポテトを口にほおばっていると、花火が上がり始めた。
「やっべー始まっちゃったじゃん。でも何気にこの場所よくね?立ちっぱってのがだるいけど。」
10発、20発と、どんどん花火が上げられていく。受験勉強の憂さも、募る恋心も、花火と一緒に弾けていっちゃえばいい、そう思った。
首を上げっぱなしにしているのに多少疲れて、僕はしばらく顔を元に戻していた。少しの間ボーっと遠くを見ていたら、どこかで見覚えのある横顔が遠くに見えた。
彼女だ―――
僕はいてもたってもいられなくて、花火の真っ最中なのに走り出した。
「ごめん、レモネード持ってて。すぐ戻るから。」
「えっ?!って、オイ!どこいくんだよ!」
あの横顔、絶対にそうだ。今会いに行かなきゃ、もう二度と会えないかもしれない―――この後会ってどうするとか何も考えられずに、ただ僕は走ってその影を追った。
―――確か、あっちの方に歩いていった
走って走って、人ごみの中を掻き分けながら、ただあの横顔だけを追った。
いた―――
そう思ったが、彼女の周りにはお付の人らしき男と、女の子の集団がいた。何やらキャーキャー言っている。
「どうかしたんですか?」僕は近くにいた10代後半くらいの女性に声をかけた。
「知らないの?!彼女はアメリカ人とのハーフで、ミス横須賀でもあり、パリコレにも出てた有名なモデルなのよ?!来日してたなんて知らなかった!!あ〜こんなところで会えるなんて、本当に来て良かった〜。マジでスタイル良すぎ!超奇麗!」
その女性の言っていることは、後半僕の耳には入ってこなかった。
ミス横須賀…
パリコレ…
有名なモデル…
僕とは、あまりにも違いすぎる世界だ…
回りのファンの女の子たちはようやくお付の人たちによってどけられ、彼女の回りはようやく静かになり、聞こえるのは花火の音だけになった。
その時、彼女と目が合った。
「あれ、君は…」
もう、頭の中ではなんにも考えられなかった。彼女はあまりにも奇麗で、僕の全てを麻痺させた。
「あ、あの…」
彼女は何も言わず、僕に向かって微笑んだ。
「あ、あの!あの時は、本当にありがとうございました!」
彼女は驚いたような目をして、それからフフフッと笑った。
「いーえ、どういたしまして。怪我が無くて本当に良かったわね。」
そういうと僕の体は一瞬で沸騰したように熱くなった。
「じゃあね。」彼女はそう言ってその場を離れようとした。
あまりにも違いすぎる世界―――
これが、もう最後なのかな―――
そう思った瞬間、何かに背中を押されたような気がした。もう、僕は走り出していた。
「好きです!」
もう、何も考えてなかった。気持ちがあふれ出しすぎて、僕ではもう止められなかった。この気持ちは、もう彼女にしか止められないんだ。
彼女はびっくりして後ろを振り向いて、何かを言おうとしたお付の人の口を押さえて制した。
それから静かに僕の方へと歩いてきた。
それから彼女は僕の前に立ち止まって、僕より少し高い背をかがめた。
「…ありがとう。」
そう彼女は一言言って微笑んで、僕の頬にキスをした。
彼女はそれからすっと立ち上がって、お付の人と人ごみへと消えて行った。
「…おーい、翔!お前どこいってたんだよ!花火終わっちまったじゃねえか!って、オイ、聞いてんのか?」
友達が何かしきりに言っていた。でも、僕の耳には何も届かなかった。
まったく違う世界かも知れない。でも、僕の気持ちが、少しでも彼女に届いたのなら、もうそれで十分だった。
帰り道、ケータイ片手に幸せそうに手をつなぐカップルや、奇麗な浴衣を着て友達と楽しそうに歩く人を見た。僕も、幸せだった。
7月4日のこの花火の夜―――いつまでも、忘れることのできない瞬間になった。
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