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冷たく乾いた風が、私の頬を刺激する。
昨日はあんなに暖かかったのに。やはりアメリカの南部とは言え、二月の冷たさはこのファーのついたコートなしでは乗り越えていけない。
授業の帰り際に数ヶ月前にできたばかりのカフェに寄った。コーヒー好きの友人たちの間ではなかなかの評判で、昼前には売切れてしまうココア・マフィンがまた格別だという。
私は早くこの体を温めようと、カフェ・ラテの小さめのサイズを注文した。コーヒーの種類の区別もあまりつけられない私だが、このカフェ・ラテというものにも結構はまりつつある。
蔦のようなものを張り、薄暗い緑を基調とし、レンガ造りのように見せた内装は、このコーヒーを楽しむ「ひと時」をひときわ盛り立てている気がした。
こんなカフェで何も考えずに外を眺めているのもいい。ただ、来週の頭に二つのテストを抱えた私は、また今度ゆっくりしよう、と自分に教え込ませ、帰路につこうと決めた。
オーダーしたカフェ・ラテがカウンターから出てきた。$2とちょっとをキャッシャーに渡し、カウンターの側にある瓶にチップを少し入れた。
カフェ・ラテをつかみ、すっと振り向くと、後ろに並んでいた男性にぶつかりそうになってしまった。
「Oh...sorry, are you alright?」
「Yeah that's fine. Don't worry about it.」
こぼしたラテをカウンターに置かれたナプキンで拭き、男性に謝罪をし、コートの前をぎゅっとつかみ、私は店を出た。
そういえば、前にもこんなことがあった気がする。
カフェ・ラテの香り、外の空気の冷たさ、そして花がつぼみを開き始めたやわらかな風景。
あれはちょうど二年前のこと。
春休みの9日間を利用して、友人3人とロンドンに来た時のこと。あの頃は3月の終わりごろで、ロンドンの町並みは色とりどりの花で埋められ、やわらかな日差しに照らされたレンガの通りが、見るもの全てを穏やかな満たされた気分にさせた。
ロンドン7日目。観光名所と呼ばれるところはほとんど見て回ってしまった私たちは、今日一日を個人行動の日にあてた。
旅行7日目となると、さすがに足首に疲れを感じる。三月の終わりとはいえ、まだまだ寒いロンドン、私は数日前から気になっていたカフェに入ることにした。
「La Passion」という「情熱」を意味した名を持つカフェ。穏やかな内装と音楽は激しさを感じさせないものの、静かに秘めた熱を感じさせた。
私はいつものようにカフェ・ラテを頼み、出来上がるまでの間、軽く店内を見回した。土曜日の午後、静かに本や雑誌をを読む人たち、教科書を広げた学生。コーヒーの香りを片手に、ゆったりと時間が流れるのを楽しむ。私はそんな空間が好きだ。
煎れられたばかりのカフェ・ラテを手に取り、私は外の通りが見えるカウンターに腰を下ろした。カフェ・ラテを両手でぎゅっとつかむ。触れているのは手の平なのに、体の真ん中から温かくなっていくのを感じる。
ふたをしたままのカフェ・ラテ。私は右手でくるくると混ぜるように動かした。これはコーヒーを飲むときの私のクセで、これをせずには全体にミルクが回っていないような気がするのだ。
少し大きく動かしすぎたらしい。ふたの小さな隙間から、カフェ・ラテが少し飛び散ってしまった。意外にもその飛距離は大きく、近くに座っていた男性のマフラーにかかってしまったのだ。
「Oh! I am so sorry...」
「That's ok. If I just wipe it with a little bit of water, it should be fine.」
水でちょこっと拭けば大丈夫さ、と言ってくれた彼は、少年のような微笑をした。アジア系のような、でもどこか違ったような、そんな彼の透き通った茶色い目が印象的だった。
「Are you a visiter?」観光者かい、そう聞く彼に、私は日本人で友達と旅行に来ていて、今は別行動をしていると話した。
日本から来た、ということで、彼は少し興味を抱いたらしい。彼の祖父は日本のイチカワだかイシカワという市で生まれ、ロンドンに移り住んだらしい。彼は早くに父親を亡くし、今はロンドンの小さなコンピューター関連の会社で働いているとか。
旅行というのはとても面白いものだと思う。旅先で、こんな出会いがあるなんで誰が予測できただろうか。彼と話をするのは楽しく、周りの友人とも家族とも違う世代の彼といるのは、なんだかとても心地よかった。
時計は4時を回っていた。4時半にここから少し離れたところの噴水前に、別行動していた友達と待ち合わせをしていたのをすっかり忘れていたのだ。
「I guess I have to go now. It was really nice meeting you.」またね、と言った私を、彼はちょっと待って、と引き止めた。
側にあったナプキンを一枚取り、何かを書き始めた。
「This is my home address. If you don't mind, ah...can you send me a letter or something?」と、彼は私に彼の住所が書かれたナプキンを渡した。その瞬間軽く彼の指に触れ、胸のあたりが少し温かくなったのは、きっとカフェ・ラテのせいじゃない。
きっと手紙を書くわ、そう言って、私は店を出た。いつまでも彼の透き通った茶色い目から視線を動かせなかった。
その後私は大学に戻り、いつもの慌ただしい日々に戻った。二度ほど彼とは手紙を交わし、それからずい分と連絡を取っていない。
今でも彼は、あの通りが見えるカウンターで、冷え切った体を温めているのだろうか。
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