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7月29日、東京スカイツリー(墨田区・押上)のすぐ側にある リーズンボクシングジムで、阪東ヒーロー選手の引退パーティーが行われました。 昨年4月2日に東京水道橋の後楽園ホールで、日本スーパーフェザー級チャンピオンの岡田誠一(大橋)選手に挑戦したのが最後の試合になりました。 後援者の方たちとのスパーです。 元ボクサーで兄さんの坂東タカさんと。 同郷の後輩、元ボクサーの山本悟さんと。 グローブを付けているのが、リーズンボクシングジムの広瀬会長さん。 本日のメインエベントスパーの相手は、竹内佑典選手 です。 ガチンコの2ラウンドでした。 花束贈呈。 花束贈呈の後の挨拶では、涙で言葉が、、、。 10カウントゴング。 来年結婚する彼女が紹介されました。 後楽園ホールで、試合の合間に行われる引退式よりも、微笑ましく温かくて良かったです。 ボクサー人生の何倍もの残りの人生、彼女と二人三脚で頑張って下さい。 リーズンボクシングジムの広瀬会長さん、ありがとうございました。
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元ボクサー
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クラッシャー三浦のリングネームで第48代日本バンタム級チャンピオンだった、三浦利美さんです。 右は JBスポーツジムの山田トレーナー。 現役引退後は所属ジムの国際ジムでトレーナーを勤められて、セレス小林選手(第13代WBA世界S・フライ級チャンピオン)らを育てて、第12回エディ・タウンゼント賞を受賞しています。 8年前に、ドリームボクシングジム(東京都北区王子3-3-8)を開いて、選手育成に頑張っています。 9月5日(日)、ドリームジムの田中教仁(日本ミニマム級2位)選手が、ブンブン東栄(一力)選手 と対戦します。 ブンブン東栄選手の写真を撮りに行きますが、田中教仁選手、頑張って下さい。 三浦会長、ありがとうございました。 |
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元世界ライト級チャンピオンの小堀佑介さんが、トレーナーとして選手たちのパンチを受けていました。 やさいし口ぶりの指導でした。 小堀佑介さん、チャンピオンを育てて下さい。 ありがとうございました。 |
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7戦全勝(3KO)のプロボクサーだった、リングネーム黄麗日出(協栄ジム)さんは、Jライト級東日本新人王に輝いたが、西日本新人王と対戦する全日本新人王選には出場できなかった。疲労性の椎間板ヘルニアを患い、ボクサー生命を絶たれたのでした。 東日本新人王決勝戦 日本名は、黄日出(こう-ひで・40歳)。1969年11月生まれ。本名は、ファン・イルチュル。 東京朝鮮高級学校2年生と3年生の時、朝鮮学校中央体育大会に連続準優勝し、朝鮮大学校1年生と2年生の時も、関東大学トーナメント選フェザー級で、優勝しています。 写真は、北朝鮮大学校で。左は金田森男(帝拳)さんの息子さん。 「試合で初めて涙を流したのは、大学1年の優勝した時でした。今でも一番心に残っている試合です」 と語る黄日出さん。 朝鮮大学校の5年後輩に、世界チャンピオンの徳山昌守さんがいますが、そのチャンピオンが、黄日出さんのことを、強くて伝説の先輩だったと話しています。 大学2年生のころ 高校・大学時代は、日本人でないことからインターハイ、国体、そして世界選手権、オリンピックといった世界大会の選考会に出場できなかったが、その悔しさをバネにして、プロボクサーで世界チャンピオンを目指しました。 プロでも、チャンピオン以外はファイトマネーだけでは生活できないため、昼間は勤めています。 黄日出さんも、仕事はカラオケボックスの店員でした。 勤務時間は、朝8時30分から11時まで、午後からジムでのトレーニングをして、夜は21時から午前2時までの生活を続けたために、疲労性の椎間板ヘルニアを患い入院することになり、全日本新人王決勝戦は棄権しました。 黄日出さんの、Jライト級のウェイトは58.9キロブラムです。普通の食生活をしていたら、すぐに10キロオーバーの70キログラムになってしまいますが、それを日頃から65キログラムに抑えた食生活をしていたので、肉体の疲労がとれなくて腰痛になったのでした。 ボクサーの大まかな減量の仕方ですが、試合の2週間位前から減量に入って、1回の練習で2キログラム落とし、1.5キログラムの水分と食事を取ると、500グラムの減量です。 1日500グラムの減量を2週間続けると、7キログラムの減量となりますが、これはあくまで概算です。 試合前日に2キロも汗をかく練習をしていたら、疲労した体のままでリングに上がるようになるので、疲れをとりながら、汗をかかない分、食事制限をして行くことになります。 1キロの減量トレーニングで、500グラムの水分と食事を取ると、500グラムの減量、500グラムの減量トレーニングで、250グラムの水分と食事を取ると、250グラムの減量になります。 試合前日の計量時は、減量のために体にオモリがついたようになりますが、計量後の水分補給で、徐々に肉体が生き返るそうです。 その後も腰痛の回復が悪く、歩行困難なほどになり、プロボクサーを辞めることになりました。 引退してから12年後、焼肉店を経営しながら、近所のジムのトレーナーしていたとき、気の弱い長男に、強かった父の姿を見せたいと考えました。ただ1回だけのカムバックだからと奥さんの許しを得て、ジムの会長に頼み込んで、リングにカムバックしたのです。 結果は、1ラウンドに右クロスでダウンを奪い、1分26秒にKO勝ち。 本格的にカムバックのトレーニングを開始した時に、引退して12年の時間を、体力の衰えで実感し、これではいけないと、仕事の暇をみつけてはトレーニングするようにしました。 そして、2007年9月16日、黄さんは、33歳以上を対象とするアマチュアボクシングのスパーリング大会、「ザ・おやじファイト」で初代ライト級チャンプになり、念願のベルトを巻いたのでした。 チャンピオンベルトを巻いた黄日出さん。右は、フェザー級チャンピオンの高橋保久さん 現在、東京都墨田区錦糸町の丸井デパート横を入ったところで焼肉店「フランス人」を経営して、年中無休で頑張っています。 黄日出さん、お世話になりました。ありがとうございました。 |
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田中トレーナー(右)ご無沙汰してました。 引退表明をしてから、インド放浪の旅に出ていましたが、10月30日に3ヵ月ぶりに帰国しました。 インド放浪の旅は人生勉強になったそうです。 現在は、角海老ジムでトレーナーになるための勉強をしています。 小堀佑介さん、トレーナーしていて、カムバックした選手は多いですよ。 期待したいです(笑)。 ありがとうございました。 |




