第48回 【みなつき句会】講評2016年4月29日 康祐春、日差しが強くなり、吹く風さえもきらきらと光り輝いてみえる。この感覚を「風光る」という。兼題句で会員の特選となった句は次の2句でした。前者は入社式の面接にネクタイを締めた姿に春の爽やかな風を思わせる。後者は春の川を上る魚の背びれが新鮮な風を感じさせる。いずれも風が光り輝く新鮮さと爽やかさを感じさせる。
面接のネクタイきりりと風光る 海
瀬を走る魚の背びれや風光る 祥雲
菜の花に今日は手術と告ぐる朝 伏魔人
菜の花に励まされていざオペに向かう作者の覚悟が伝わる。菜の葉が一層愛おしく感じられる感銘句、会員3票の特選句でした。
山荘に日差し明るき根開(ねあき)かな 康祐
北軽井沢の別荘で暮らすブログ友達の写真から詠んで送呈した句。根開は樹木の根元が春の日差しを受けて雪が解け、木の根元から土が覗いた景。雪国での春の訪れを感じさせる。
校庭に深く一礼卒業す 祥雲
スポーツ選手がグラウンドを去るとき、出口で一礼して帰る姿を見受けるが、母校の卒業で校庭に一礼して去る姿は微笑ましい。
道の駅足湯に談笑木の芽風 美河
芽吹きの春の訪れ、足湯に浸かり笑い声が聞こえる。和やかな雰囲気が良い。
何時までも続く余震や春の闇 せいち
4月14日熊本地震の発生から10日余りの間に震度1以上の地震が1000回を超えた。被災地の人々は春の闇の如く恐怖の日々を強いられている事でしょう。
気象庁の地震予知の欠如にはがっかりした。
ペダル踏む乙女は眩し風光る 半竹亭
乙女の清々しい春風の中の姿が浮かぶ。青春の想い出の景、青い山脈の映画の一場面を思い出す。
以上
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第48回句会
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第48回【みなつき句会】選句投票集計表 |
第48回【みなつき句会】投句集 参加者7名・投句総数35句
1 美河
兼題句 雑詠句 桜も咲き春本番の季節になりました。みなさんお変わりありませんか。7月には参議選があります。安保法が施行され、原発の再稼働も次々と進められています。アベノミクスの破たんで格差も拡大しています。ヒトラーの軌跡を歩む安倍政治は非常に危険な所まで来ています。声を上げ続けたいですね。
2 伏魔人
兼題句
葉桜にひとつの落ち着き風光る
「葉桜」も好きです。気兼ねなく風を呼び、散歩の汗を癒す日陰を作ってくれます。
雑詠句
麻酔切れ夢も終わりて春病棟
麻酔の間、私に「病除け」の幼名を付けてくれた祖母が、夢の中に過りました。北朝鮮から、一家五人で引き揚げて来て、極貧の中に新しい生活をスタートさせた大晦日に逝った祖母。70年前の別れでした。
角栄の夢の大地は春の雪
「日本列島改造論」・・・北の大地を走る新幹線で完成ですね。吉田茂は新しい生活の基盤を与えてくれた、新幹線は、そのまま角栄の公約であり、夢でもありました。
癌腫瘍春の珍事か我が大腸
28年前に切除した「盲腸」の跡地に、いきなり頭を出してきました。2年毎に内視鏡を覗いて、無事を確認していたのですが、今年は、「その年」・・・画像に晴れ晴れと姿を見せてくれました。
菜の花に今日は手術と告ぐる朝
別の病でワーファリンを服用しているので、術前の仕掛けが必要でした。病院の外には出られず、玄関のガラス越に見える鉢植えの「菜の花」。こんな時は愛おしいものですね。
3 康祐
東京の桜も散り、若葉の季節となりました。
明日から26日まで中国、上海へ旅行しますので、行く前に投句します。
兼題句
木漏れ日の参道の木々風光る
雑詠句
運命を桜吹雪の中に聴く
山間(やまあい)の湖水に響く春の音
新緑や愛しき星の曲流る
山荘に日差し明るき根開(ねあき)
4 せいち
熊本の人達の心中をお察しします。
余震の納まるのを願うばかりです。
兼題句
風光るサイクリストの太き腿(もも)
雑詠句
花吹雪尊徳像は知らざりき
何時までも続く余震や春の闇
全身で鳴いて寄り来る子猫かな
界隈に数多の古墳燕来る
5 海
兼題句
面接のネクタイきりり風光る
雑用句
青春の人懐かしく桜土手
鯉ゆるり千鳥ヶ淵は花曇り
何想うさくらやさくら桜田門
脆ろきもの破壊しつくし春の地震(ない)
6 祥雲
兼題句
瀬を走る魚の背びれや風光る
雑詠句
菜の花を揺らして汽車の驀々と
※(驀々:ばくばく)
円らなる嬰の瞳やいぬふぐり
※(嬰:やや)
天界の父母のお喋り揚雲雀
校庭に深く一礼卒業す
追伸:1月から短歌を始めて新聞やテレビに投稿していますが、幸運にもNHK短歌に入選しました。4月24日(日)朝6時から6時25分のNHKEテレNHK短歌(栗木京子選)で放映されるようです。ご覧頂ければ幸いです。
埼玉県入間市 比和野昭治 祥雲
7 半竹亭
兼題句
花吹雪乙女の髪を飾り立て
雑詠句
風光る朴の葉裏は銀の波
ペタル踏む乙女は眩し風光る
此の国の成り行き如何にと憂う春
雨上がり新芽に光る銀の玉
※ 今回投句者7名 わかじさん、月香さん、計男さんお休み
平成28年4月20日 海
以上
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第48回【みなつき句会】会員別選句結果受信順掲載 今回参加者8名祥 雲 選
特選句 生命力を感じさせる菜の花に励ましを貰うような優しい心映えの良句です。
良選句 「ネクタイきりり」が効いている、若々しい緊張感の漂う良句です。
12 道の駅足湯に談笑木の芽風
「足湯に談笑」と「木の芽風」が調和している、気持ちよさそうな良句です。
13 界隈に数多の古墳燕来る
古墳が燕の巣を想起させ、歴史の積み重ねを思わせる良句です。
16 送迎のホームこもごも風光る
それぞれの人生を「風光る」が優しく包んでいるかのような良句です。
以上 祥雲
伏魔人 選
特選句
8 面接のネクタイきりりと風光る
高卒でしたから、筆記試験も面接も、入社式も、全て「学生服」でしたね。
旬の野菜の芽吹き・・・今、回想すると、そんな新鮮さがありますね。
良選句
10 瀬を走る魚の背鰭や風光る
勢いのある魚・・・足の長い鳥が上から狙っています。
4 校庭に深く一礼卒業す
こんな行儀の良い生徒ではありませんでした。「学ぶ」ことへの尊厳が不足していたのでしょうね。
25 風光るサイクリストの太き腿
光景的には「汗光る」なのでしょうが。「風光る」の方が爽やかですね。
29 脆きもの破壊しつくし春の地震
11年前の予測の論文が存在するそうですが・・・私は、若き頃に何度も歩いた、由布岳、万年山の景色に納得しました。
以上 伏魔人
美 河 選
特選句 良選句 せいち 選
九州の地震に被災された方々にお見舞い申し上げます。
しかし何時までも余震が続くものです。
特選句
6 山荘に日差し明るき根開(ねあき)
廻りは白樺林でしょうか、羨ましい限りです。
良選句
8 面接のネクタイきりり風光る
就活の上手くいきそうな予感の中にいるようです。
15 角栄の夢の大地は春の雪
実に夢、春の雪が儚い。
27 天界の父母のお喋り揚雲雀
成程、上手い喩です。
34 父母なくも辛夷迎える里帰り
故郷が明るく温かく迎えてくれている。
半竹亭 選
得選句
4 校庭に深く一礼卒業す
少々時代繋ったような感じもするが、今でもこんな生徒がいたら嬉しいですね。
良選句
8 面接のネクタイきりり風光る
9 菜の花に今日は手術と告ぐる朝
28 麻酔切れ夢も終わりて春病棟
34 父母なくも辛夷迎える里帰り
※今回は良い句が数多く、選外にするには勿体無い句が幾つか在りました。
計 男 選
特選句
10 瀬を走る魚の背びれや風光る
良選句
3 何時までも続く余震や春の闇
17 此の国の成り行き如何にと憂う春
29 脆ろきもの破壊しつくし春の地震(ない)
31 運命を桜吹雪の中に聴く
海 選
特選句
9、菜の花に今日は手術と告げる朝
良選句
1、風光る朴の葉裏は銀の波 3、何時まで続く余震や春の闇 15、角栄の夢の大地は春の雪
22、ペダル踏む乙女は眩し風光る
*春は桜に菜の花がきれいです。特に菜の花は目につきます。「しあわせの黄色いハンカチ」って映画がりましたが、黄色は「無事に帰って来いよ」「愛してる」というのでしょうか。お大事にしてください。「ペダル踏む・・・」は映画のワンシーンみたいですね。
康 祐 選
特選句
12 道の駅足湯に談笑木の芽風
芽吹き春の訪れです。足湯に浸かり笑い声がする。和やかな雰囲気がよい。
良選句
3 何時までも続く余震や春の闇
22 ペダル踏む乙女は眩し風光る
28 麻酔切れ夢も終わりて春病棟
34 父母なくも辛夷迎える里帰り
新緑の中国、天目胡、太湖、上海の旅を終わり帰国しました。自然と人間のかかわりはどこの国も同じです。康祐。
※今回わかじさん、月香さんお休み。
以上
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「ガンに抗う」(仮称)」当【みな月句会】会員 計男さんが此の度癌の手術をされ、其の闘病記を投稿されましたので掲載します。
「ガンに抗う」(仮称)「東葛民主文学」44号原稿 林計男
二〇一三年秋の人間ドックで、「膵臓に異変あり」と指摘があった。これが、発端であった。
その後、主治医から紹介された病院の精密検査で、膵臓内の水ぶくれ(膵嚢苞)は癌化のおそれがあるので、経過観察が必要と指摘された。
二〇一五年秋の人間ドック後、「経過観察と言われたのを、無罪放免のように受け取っていたのでは安易すぎますよ。あなたのように、七五歳を超えたら、日頃から健康管理にもっと心を砕くべきです」と真顔で警告してくれた、人間ドック検査結果報告担当の女医の顔を、殆ど忘れかけていた二〇一六年一月末、病院からファックスで「至急来院、診察を」と緊急送信があった。
オレオレ詐欺に代表される、不審な営業案内の電話が少なくない自宅電話の受話器を、私は通常在宅でもとらず、「御用の方は、御用件をお話し下さい。ファックスの方は、送信して下さい」と受話器の案内に任せている私への緊急連絡のファックスであった。
二〇一三年秋の人間ドックの後と同様に、担当医から経過観察のため、次回は四月六日に診断を受けるようにと指示されたのは、同年一月一二日のことであった。
何の緊急連絡かといぶかりながら、妻と病院に赴き、診察とCT検査を受けると、「直ちに入院・手術を受けるように」と勧められ、その場で、入院・手術を決断した。病院内のカンファレンスにおいて、放射線技師が、私の十二指腸に異常ありと指摘し、担当医も改めて見直し、腫瘍を確認したという経過説明があった。
二月一五日に入院し、十九日、妻、長女、同夫、長男が顔を揃えた家族への医師の説明を受けた。
「周辺に血管が錯綜している十二指腸癌の摘出手術は、七五歳の男性には、八時間の手術となり、リスクも大きいので、それを避け、胃と空腸を結ぶバイパス手術のみを行い、事後に抗がん剤治療を行う」という治療方針のもとに手術を実施する。
執刀は、癌研出身の主治医の後輩の医師で、当該執刀医の日程上の理由から、手術は当初予定の二二日を二四日に変更したのであった。
入院に際し、私は、はじめて自筆で遺書を書いた。医師と病院と、現代の医療水準の高さを、私は基本的に信頼してはいたが、同時に、最悪の事態をも想定せざるを得なかったからだ。自筆の遺書は、万一の場合、家庭裁判所に届け、そこで開封してもらわないと、法律上有効ではないので、妻に、最寄りの家庭裁判所の所在地を教えた。遺書の内容は、妻の希望を尊重したものとした。自分名義のわずかな遺産は、妻の援助なしには獲得も維持も出来なかったのだから当然であった。
二月二四日、手術へ向かう朝、妻、長女、同夫、及び長男の見守るベッドの上で、私は余裕を示したつもりで、「ナンマイダブ、ナンマイダブ」とつぶやいた。半分負け惜しみの私の表情は、家族の目には、全身麻酔の手術への恐怖と緊張によって、歪んでいたに違いない。妻の、眉をひそめるのを感じた。
手術室に運ばれ、全身麻酔にかかり、私自身の意識の中では一瞬ではあったが、事後に妻から、手術は、医師の事前説明通り二時間かかったと聞かされた。待機していた家族は、手術の無事成功を確認して、散会した。
術後の入院中、抗ガン剤TS1を朝夕食後に各四ミリグラム服用した。二〇〇四年六月五日の脳梗塞発病以降、服用し続けている血液凝固防止剤ワーファリンが、抗癌剤TS1の副作用で効き過ぎる可能性を、病院の薬剤師は、予告していた。
退院の日は、文字通り嬉しかった。しかし、自宅へ戻って足腰が弱っているのを自覚せざるを得なかった。病院のベッド生活に慣れて気付かなかったが、自宅の布団から何かにつかまらずに、自然には立ち上がれなくなっていた。これからは、せいぜい一日に幾度も、二階への階段を昇降したり、足腰の屈伸運動を繰り返す努力が必要だなと感じた。
病院では、退院したら、映画館で公開中のいくつかの作品を見たいと思ったりしたものだが、実際には、妻が、私にマイカーのハンドルを握って外出することを許さなかった。
実際、蒲団からよろよろと立ちあがる様は、いかにも頼りなく妻の目に映ったに違いない。入院以前に七〇キロ以上あった体重は、わずかの間に、六三㌔台に落ちていた。
薬剤師が予告した通り、抗ガン剤の副作用は全く尋常ではなかった。医師の説明において、「今まで経験したことのない、異様な味」と表現されたのは、朝夕食後のTS1とワーファリンの副作用の味覚障害のため、食事がとてつもなく不味く、食欲が著しく低下したのだった。歯を磨くと、歯茎から口内に血が溢れた。小水は血尿であった。これは、間違いなく、副作用によるものだった。
自宅に戻っても、食事が殆ど出来なかった。結果として、退院時に医師が指定した外来診療日の三月三一日よりはるか以前に、私は病院を再訪し、即日、再入院に追い込まれた。三月九日に退院しながら、二四日には、再入院したのだった。
それでも、三月一日、私は七六歳になった。手術前、自分の享年は七五歳となるのかなと訝った弱気を顧みざるを得なかった。本年秋に、妻との金婚式を迎える可能性が出て来た。
四月一日に二度目の退院をした。電子辞書や書籍など、病室内に持ち込んだものは、かなりの重量になっていた。しかし、病室から我が家に向かうタクシーへの積み下ろしは、すべて妻が担った。日頃から足腰を鍛えておくようにと、私に言い続けている妻の趣味の第一位は山歩きで、日々体操や足腰を鍛える努力は怠らず、最近は、余り出かけてないとはいえ、彼女は、健脚コースに長年こだわってきていた。
タクシーの車窓から見える、流山市内の桜は満開であった。今回の退院は、次回入院は四月十日との条件付きであった。今後は、こうして入退院を繰り返すのだろうかと気持ちは暗くなった。
十一日午後、3度目の入院をし、即日、IVHポート造設術を受けた。心臓に直結する右鎖骨下静脈にカテーテルを埋め込み、ポート(点滴用の針を刺すための器具)を埋め込む手術で、 一時間余りを要し、患者にとっては、局部麻酔のため、痛くはなくとも、強い緊張を強いられ、術後かなりの時間麻酔が解けず、トイレに行くにも看護師の援助を要するハードな手術だった。
即日、ポートを通して、抗がん剤の点滴が行われた。抗がん剤の点滴は、私にとっては、二月二四日の手術以降、始めての副作用の殆ど伴わない治療となった。このため、病院食はおせじにも美味しいとは言えなくとも、従前のように、異様に不味くもなく、殆ど完食出来た。
担当医師は、今次施術後の血液検査の結果、副作用がなく、期待した以上の良好な結果が得られたとして、当初の一週間の入院予定を繰り上げ、入院六日目の一六日に退院し、以後は、毎週火曜に外来にて同抗がん剤の点滴と血液検査等の検査を受ける方向となった。
十九日にはタクシーで病院と我が家を往復したが、次回二十六日は愛車を運転して通院する許可が、医師から出た。
抗ガン剤治療の心身への負担は、軽くはない。しかし、私は、ガンには負けないつもりだ。徹底的に抗って、やり残したことを出来る限り多く片付けてから成仏しても遅くはないだろう。(2016年4月20日記)(未完)
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