美音のお出かけ日記

ちょっとおしゃれな主婦を演じて、お出かけを楽しんでいました。2013年秋、隠退・隠居致しましたが、たまに化けて出ます。

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タイトルは、いつもながらの、私流のおちょくり です。スミマセン

話のきっかけは、JS Bach のカンタータのアリア。BMV番号は57…じゃなくてBWV です。


イメージ 1
(クリックしても音楽は流れません)

とても聴かせるアリアです。お薦めは…、と言うより私が気に入ってるのは1番。

聴いてみたい人は、検索すればいいけれど、
お薦めのアリアの1番はなかなか検索に出てきません。Youtubeでも、かなり少ないです。

多くの場合、BWV57は、ドイツ語で Selig ist der Mann という副題がついています。

これは、その人は幸いである、あるいは、人は幸いである、祝福される人 と言う意味(かな?)

いずれにしても、
その人 って 誰よ?  (と、突っ込むのが、キリシタンでない私)
人は、誰でも祝福される? のではなく、どんな人なら祝福されるのか、が大事。

そういうわけで、ネットで調べて見ると、
比率としては少ないけれど、BWV57で別の副題がついているレコード(古いっ)もあります。

ラテン語で
Beatus vir qui suffert
         ベアトス  ウィル   クィ     スフェルト 
          祝福  人  (関係代名詞)  試練
英語だと
Blessed is he who suffers.

意味は、(試練に耐うる者は幸いなり)
だそうです♪

で、どんな試練なの? と、深読みしたくなる私。

さらに調べていくと、

  Beatus   vir   qui   suffert    tentationem
  ベアトス  ウィル  クィ  スフェルト  テンタティオネン
と言う詩も見つかりました。
  tentationemは、英語でtemptation。日本語で「誘惑」
  

つまり、「誘惑の試練」という、直接的なキーが、隠れていたのです。

では、どんな誘惑なのか?… それはまた後日にしましょ。



もともと、教会カンタータの副題や詩は、聖書から引用されたの言葉が多いのです。

さて、気になるのは、
なぜ多くのレコードでは、suffrt あるいは、「suffers temptation」 がついていないのか?
ということです。あるいは 省略されたのか、さらには  隠されたのか?
J.S.バッハ(大バッハ)が行っていた教会は、ルーテル教会。またはルター派。


教科書で習った ○チンルター…(ごめん)マルチン・ルターが始めたドイツの教会会派。
プロテスタントの一会派です。

マルチン・ルターと言えば、中学の世界史で習った宗教改革
そのこころは、「聖書のみ」「信仰のみ」「恵みのみ」に基づくかなり厳格な立場です。

それでいながら、聖餐の儀式に使うものを決めるとき、
カトリックでは「パン」だったのに対して「パンとワイン」に決めたりして、
なかなかのご都合主義。

えてして、厳格な人ってのは、独りよがりな場合が多い…(意見には個人差があります)

業績としては、いろんな聖書を調査したり、準聖書としての各種の「書」を調べ上げて
どれを、正式に認めるかとか認めないかとか、教会の権力基盤つくりに貢献した人。
そのルターが、最後まで認めなかった書のなかに、「ヤコブの書」があります。

 Beatus vir qui suffert (試練に耐うる者は幸いなり)は、このヤコブの言葉なのです。
「ヤコブの書」のなかに出て来るのだそうです。

今日の記事に関連するところを抜粋してみました。

1章2節 
わたしの兄弟たちよ、試練は、喜びである。
1章12節
  試練を耐えた人は幸いである。彼は適者として認められ、命の冠をいただくであろう。
1章13節
  誘惑に遭ったとき、「神に誘惑されている」と言ってはならない。神は、悪から誘惑されたり、 人を誘惑したりしない。
1章14節
 人は、自身の内なる欲望に引かれ、誘惑に陥る。

というわけで、ルターが認めなかった「ヤコブの書」のなかから、そのまま使うのはけしからん
と考える人たちが、一部省略して「人は幸いなり」と表記したのでしょう。

大バッハは、教会音楽から始めたけれど、結局は宮廷向けの世俗的音楽にも貢献したわけで、
あまり教会の教義などには興味がなくて、それで「ヤコブの書」から引用したのかもしれません。

あるいは、大バッハは、作曲だけで、作詞は別の人だったのかもしれません。

なんだかわからない音楽や宗教の話で、私自身、こんがらがっていますが、

結局書きたかったのは、
Beatus vir qui suffert tentationem 
(誘惑の試練に耐うる者は幸いなり)

という言葉。
 
やっぱりね、努力しないと、だめなんだよ。

それが言いたかった。


イメージ 2




なお、

BWV57の一番のアリアを聴きたいからと言って、簡単にはめぐり合えません。
BMWとかBMVとかタイプしちゃうと、
Youtubeで千回くらいクリックしても、見つけられないかもしれない。

ZIP解凍の手間はかかりますが、ここから ダウンロードして聴くのがお薦めです。

不運にも、誰かのへんてこ動画のバックミュージックに使われてるのを見つけても
それは、悪い夢を見たと思って、目をつぶって、耳で聴いてください。
1番と3番と5番のアリアが、聴けます。
でも、「その動画見てみたい」などという、誘惑の試練に負けないでください。


さらに、
知ったかぶりの音楽論、宗教論を唱えているようですが、勉強中の素人の戯言です。お許しを。

最後に、
この話の発端が、「視線に耐えうるものは幸いなり」と勘違いしたことだったなんて、
口が裂けても言えないよ…

言っちゃったよ(汗)



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閉じる コメント(5)

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私も車や街の中で人々の視線に耐えていますよ。妖怪ですものw

2012/1/19(木) 午後 10:32 麗音菜(レオナ) 返信する

耐えることについてはまず、LEONAさんにも祝福を♪

喜びの視線、誘惑の視線…は?
ワタチは、そんなの期待できないんだけれど、一度経験してみたい…(えへへ)

2012/1/20(金) 午後 11:03 美音 返信する

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Selig な状態の人ということで
ブラームスのドイツレクイエムの冒頭
Selig sind, die da Leid tragen, denn sie sollen getröstet werden.
悲しんでいる人たちはは幸いである。彼らは慰められるであろう。(新約聖書「マタイ伝」5-4)
を連想しました。
バッハとブラームスはクラッシック界の三大Bとされていますがバッハは幅広く(小川なんですけれど)ブラームスは真面目という印象が、ステレオタイプと解っていても拭い去れません。

2012/1/24(火) 午後 10:51 [ 八合閑人 ] 返信する

ちょうどさっき、youtubeでマタイ受難曲を聴いたばかりだったので、びっくりです。
マタイ伝は、新訳聖書に収められている由緒のある言葉。ヤコブの書よりも、ありがたいかも♪
私の中の、八合閑人 さんのイメージが完成に近づきました(喜)
3Bについては、実は私はブラームスではなく、ブルックナー推進派(汗)。あの静けさが好きです。
話は飛びますが、今日の日記では、ルターと同じ宗教改革時期のメノン派とも、「めぐり合い」、そのつながり具合を楽しんでいます♪

2012/1/24(火) 午後 11:57 美音 返信する

内緒さん♪ありがとう。
知に富むと言うよりも、単なる知りたがりなのですが、こうしていろんなことがつながって見えてくるのも楽しいです。

2012/2/5(日) 午後 4:32 美音 返信する

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