うたかたばなし ―雄峯閣別棟―

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歴史関係

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おらんだ、オランダ

最近は本業と本業の研究が忙しく、ボランティアへなかなか行けずじまいでしたが、
今日は久々、石造物調査です。
にしても、こんな偶然があるものか・・・。

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何の変哲もないお墓。江戸蘭法医のお墓です。オランダ医学、つまりは当時最先端の医学
を修得した人なのですが、そのなかでも日本初の内科医だったという吉田長淑のお墓。
弟子に蛮社の獄で投獄された高野長英がいます。

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問題は、これ。お墓に紋が刻まれているのですが、どこかで見たことがある・・・。
はさみ?そういう人がいましたが、違う・・・。

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同じ写真を90度回転させました。実はこれ、オランダ東インド会社(VOC)の紋をモチーフにした
ものなのです。蘭学をやっていた人ですから、こういう紋を用いていたのでしょう。
オランダ東インド会社?世界初の株式会社といわれ、江戸時代、日本との貿易の窓口となった
所です。

ちょうど今、漬け物の研究で「あちゃら漬」を俎上に乗せており、それが別名「南蛮漬」
やら「阿蘭陀漬」と有り、格闘しているところ。偶然か?呼ばれたのか?

調査はまだまだ続きます。
イメージ 1

仏像が流行っているらしい・・・。改めてですがこんなニュースが出てました。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/art/?1245210819

興福寺の阿修羅像を筆頭に、最近の展覧会では仏像がよく出ています。昔流に言うなら「出開帳」
としてもいい気がするくらいです。長蛇の列も珍しくないとか。しかも若者が増えていると。

私は小学校の頃から引き込まれて20年超。年季が入っているモノですからなかなか面白くなってきた
と思いながら見ているのですが、一体どこからブームに火がついたやら。

しかし、ぜひとも博物館で見た後は寺院に行ってほしい。博物館では360度見ることができますが、
寺院では仏像は限られた位置しか見えない。「あんまり見えないじゃないか!」という声もあり
そうですが、建物や御厨子を舞台と考えてほしいのです。その収まり方がいいんです。

お堂の中にぽつんといらっしゃる姿、狭いながらもわんさかといる姿。お堂の中を立ちこめるお香の匂い。
そしてどこからか聞こえる祈りの声。そこで見る仏像は格別です。

仏像を見るだけではなく、そこに込められたモノを感じる。そこまでいくと面白いのですが・・・。
それに、絶対に博物館に出ない仏像もザラに居ますから。

写真に挙げたのも立派な仏像。長野県松本市にいらした青面金剛(しょうめんこんごう)像です。

史学の徒、動く

最近なぜか忙しい。休みの日は図書館通いが続いています。

なぜかといいますと、調べものをしているんです。それがホームページの云々ならばのんびり

やるのですが、今回は仕事関係。「金沢の伝統食であるかぶら寿し・大根寿しを文献で実証」

というもの。実は、これらの起源が定かではないのです。

目星はついてきたのですが、やるからには徹底的にしようというのがこの私。

かぶら寿しの原料はかぶら・ブリ・糀(こうじ)、大根寿司は大根・ニシン・糀ですが、これらが金沢で

どのように出回っていたのかということから調査を始めています。なければ作れませんからね。

ですので文献は多岐にわたっています。農書や料理書、町人関係といったものから海運関係まで。

いまは活字化されたものを叩いていますが、そのうち、筆で書かれたものも読むことになるでしょう。

「かぶら寿しの作り方」とされる文言の書いた古文書が、どうやら活字化されていないらしい。

まあ、江戸期の史料は活字化されていないものの方が多いので、覚悟はしてましたが・・・。

まずは史料蒐集。これが史学の基本であり、王道ですから。
戦国武将が若い女性の間でブームらしい・・・。
いつぞやか、ちらっと聞いたことがありましたが、今日テレビで見て、改めてそうなのか、と。
歴史が好きで、史学科まで出た身ですが、どうも戦国時代は苦手でして・・・。

戦国時代というと、応仁の乱から室町幕府滅亡まで。その後は織豊時代(安土桃山時代)、江戸時代と
続きます。この間約1世紀。御存知のとおり、さまざまな武将が出てきています。

実は私、好きな戦国武将は?と聞かれても答えられないんです。よく地元の武将をあげる人がいますが、
地元は石川県金沢市。そう、「百姓の持ちたる国」とよばれ、本願寺が領国としていたところです。
戦国武将?いません。まさか当時の門主の顕如を挙げるわけにも・・・。

それじゃあ他にいるか・・・といわれても。

どうもある意味中毒(?)なのか、とてつもなく冷静な目で戦国時代を見てしまうんです。
かっこいいとか、リーダシップが云々とか、ロマンとか言っていいと思うのですが、私はどうも苦手。
あまりにも、理想化されている面があるのではないかと。

歴史ファンが増えることは大いに歓迎。しかし、いいとこどりなのは如何かと。
そういう意味では幕末・明治もそうなんです。

どうも日本史の勉強をしすぎたのか、理想化された戦国武将やそれについて語る人々を見ていると、
「違うよなぁ・・・」といってしまいたくなる、ある種の病気であるところの私です。
大河ドラマ「天地人」をNHKハイビジョンで見ていましたら、どこかで見たことがある屏風が。
国宝「洛中洛外図屏風」です。織田信長から上杉謙信に送られたという屏風。
この屏風、10年ほど前まで凄まじい論争が繰り広げられていました。

この洛中洛外図を描いたのは狩野永徳(1543〜1590)。安土城や大坂城の障壁画を描いたことで
有名ですが、残念ながら現存する作品は少ない。一昨年、京都国立博物館で回顧展が行なわれ、
長蛇の列ができたくらいの盛況ぶりだったのは記憶に新しいところです。
特に行列をついてみていたのがこの屏風でした。

今は米沢市上杉博物館に所蔵される洛中洛外図屏風。京都とその郊外の姿を六曲一双で描いたものです。

長らくこの屏風は論争の的でしたが、最近は足利義輝(1536〜1565)が狩野永徳に
上杉謙信に送るために注文したもの、ところが義輝がなくなり、狩野永徳が自身の売り込み
ということで織田信長に渡し、信長から謙信に同盟関係の維持ということで渡ったという説
が定まりました。

この屏風に描かれた行列。それが謙信を表わすとされており、ドラマでもそのようにされてました。
ところが疑問に思ったのは、もともとそのような行列は描かれておらず、信長が描かせたという
ふうにしていたということ。こういう説でも出たのでしょうか?
それとも、ドラマの筋書き?

細かいことなのですが、どうも絵画史料などに興味があると気になるのです。

ちなみに、この洛中洛外図屏風の論争については

黒田日出男『謎解き洛中洛外図』(岩波新書)
瀬田勝哉『増補 洛中洛外の群像』(平凡社ライブラリー)
今谷明『京都・一五四七年 上杉本洛中洛外図の謎を解く』(平凡社ライブラリー)

を読むと、詳しくわかりますが、定説となってきているのは黒田説です。
特に今谷説はその結論から「屏風の作者は永徳にあらず」とした過激な?論で話題をさらいました。

また、この洛中洛外図の図版は

『図説 上杉本洛中洛外図屏風を見る』(河出書房新社)が手ごろですが、売っているかどうか。
あとは米沢市上杉博物館『国宝 上杉本洛中洛外図屏風』が良いのですが、博物館に行かなければ
購入できません(通販可か? ちなみに一昨年の京都国立博物館「狩野永徳展」で販売してました。)

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