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ちょっと前の話になりますが、正月もあけたての1月4日、今泉薬師堂のお日待のお祭りで薬師堂の仏像を御開帳するよ^^、という情報があって行ってきました。 相馬の摂取院の御坊様の薬師堂のご法事と 駒ケ嶺の子眉嶺神社の宮司さんが塩釜神社の神事を行っていましたが、 中の仏像の御開帳まではありませんでした^^。あとで頼み込んで特別に見せていただきましたが、画像の公開は遠慮させていただきます。あくまでも秘仏ということなので。。伝説とは違い実際には室町時代の作とのことです。 ちなみに、今泉薬師堂の伝説は、南相馬の泉長者と関係があるようで 奥州行方郡泉村(現在の南相馬市原町区泉)に泉長者という富豪がいた。噴井から湧き出る良水をもって酒を造り稼業としていた。ゆえにその名を泉長者と呼ばれ、そのところを泉村と呼び、奥州はもとより関東まで隠れない栄華を誇った。 しかるに承平元年(931)悪党に襲われ一夜のうちに炎上して、数々の財宝を失い雇い人も離散した。 総領の河内宿弥(かわちのすくね)は、守り本尊の薬師如来の尊像を負うて浜伝いに北に向かい、ようやくいまの新地町今泉にたどり着いた。見たところ、その地は西は深々した松山、北は峨々した岩嶺、東は満々たる滄海で、まことに旧居の泉村によく似ているので、土地の人菅野清久なる者の家に仮の宿を求めて滞在した。 久しくとどまるうち、親しくなった亭主にわが身の来歴などを語った。亭主は、「そのようにこの地がお気にいりなれば、何日でも滞在されたい。しかし見られるような辺土の浜ではかばかしい神仏もなく、みな無信心の者ばかりでなげかわしいことです。」というと、長者は薬師仏を示して、「これはありがたく由緒ある尊像だから共におまつりして信心しましょう。」といった。 それで菅野氏は在家の人たちを集め、協力してお堂を建て薬師仏を安置した。やがて、近隣の僧を招いて小寺を建て東光寺と称し、この地を今泉というようになった。 この寺は明治元年火災によって焼失したが、ゆかりの薬師堂はいまも残っている。(後略 新地町史自然民俗編より) また、薬師堂の現在の建物には、 このとおり、伊達氏の家紋がついております。また、河内宿弥のお墓と伝えられる石碑とその来歴が書かれた記念碑も境内にありましたが、すっかり写真を撮るのを忘れてしまった^^;^^;。 また、この今泉地区は戊辰戦争の戦場にもなっており、今泉村の肝入佐藤儀作宅で仙台藩と総督府との話し合いがもたれたという土地柄からか、薬師堂裏にある今泉地区の墓地には このような戦死塚があります。
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泉長者の話は聞いたことがありますが続きがあったんですね。新地は仙台藩だったんですね。どうして福島県何でしょうね。
2009/1/31(土) 午後 10:42
泉長者のお話ですね…各時代の所産が残っていますね。。
2009/1/31(土) 午後 11:19
南相馬の泉長者との関係が言い伝えられてるお堂なのに、伊達家の家紋というのが何ともいえなくって、ネタにしちゃいました^^
新地は福島に入るまではあちこちの県を放浪してたんですよね^^;なぜ?って聞かれることがよくあります。これもそのうちネタにしましょうか^^。
2009/2/2(月) 午後 7:30
う〜〜ん、深い話ですねえ、、
いわゆる伝説よりも、ものすごくリアリティがありますね。
傍にいる人の苦労話に聞こえる。
これって、もしかしたら先祖から子孫までの人物特定が出来るんじゃないですか?
2009/2/2(月) 午後 11:16 [ 半覚斉 ]
ですねぇ^^。もう少し南にある南相馬市の泉長者と関連した伝説ということです^^。もしかして菅野さんの特定は??でっきるかなぁ。
2009/2/3(火) 午後 8:00