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漆山古墳

県内主要古墳 №17
 漆山古墳 (うるしやまこふん)
 (綜 群馬郡佐野村第27号)
  
                                                所在地:高崎市下佐野町蔵王塚863
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【はじめに】
佐野古墳群の中では最も規模の大きい前方後円墳である。古墳は堀口吉久氏の住宅の背後に当たる北側を占めている。現当主の先々代に当たるのが、長者屋敷天王山古墳を発掘し、遺物の一部を保管していた堀口孫次郎氏である。後円部にある横穴式石室は、おそらく、孫次郎氏の代に開口されたのであろう。現在も石室は開口しており、床面までかなり荒らされている。昭和28年に群馬大学により行われた石室の簡易な実測調査が最初の考古学的調査である。その後、昭和60年には前方部の一部を削平する形で住宅建設が行われた。そして、平成5年には墳丘の現況測量と石室の床面精査・実測図の作成が行われた。
                         漆山古墳後円部南側の風景
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  南西方向より撮影 (後円部の南側)           北東方向より撮影(前方部の北東側)
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     北西方向より撮影(後円部の北側)              南東方向より撮影(前方部の南東側)
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【墳丘及び外部施設】
墳丘は主軸をほぼ東西として、後円部を西に、前方部を東に配している。《上毛古墳綜覧》には、墳丘全長61.2m、高さ7.5mの規模と記されている。
 
                         漆山古墳墳丘図
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                           古墳開口部の状況・南南東に開口
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【主体部】
後円部に位置し、ほぼ南南東に開口する横穴式両袖型石室である。羨道部の手前寄りが墳丘とともに削り取られてしまっているため、完存状態にはない。石室床面もかなり荒らされた状態にあった。石室の規模は、玄室長(中央)3.73m、玄室奥幅2.21m、同中央幅2.06mを測り、中央部で最も広い。羨道長さは4.24m、ただし当初はこれを上回っていた。羨道奥幅1.50m、同(現状の)前幅1.18mで、手前から奥に順次幅を広げている。天井の高さは、羨道では楣石(まぐさいし)の手前で1.85m、そこから一段約40cm高くなって羨道最奥部となる。羨道最奥部から玄室にかけての天井面は面が連続しており、区分点は見いだせない。ただし、手前で2.25m、奥部で2.45mと奥に向け順次高くなっているのがわかる。使用されている石材の主体は、凝灰岩であり、隙間を埋めるために川原石がある。壁体に使用されている凝灰岩は、加工の施されているものが多い。特に羨道最奥部にあたる袖部から玄室にかけての石材には丹念に加工されているものが目立つ。
※ 楣石(まぐさいし)玄室と羨道を区別するために付けられた天井石のこと。
 
                         漆山古墳石室図
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次に、羨道部から構造上の特色を見てみる。
羨道部の構造で特に目につくのは、まず壁体に使用されている石材が、玄室にくらべて大幅に小さい点である。さらに、羨道の前半と後半とでも目立った差がある。すなわち、奥寄りがより大振りで加工された石材を使用しているのに対して、前寄りは小振りで未加工のものが大半である。この傾向は左右壁とも共通である。両者の分岐点は、斜めに通る壁面の石の目地に明瞭に表れている。この目地が壁体構築過程におれる分岐点になっていることは間違いないところである。羨道の最奥部から手前へ60cmで、天井寄りの位置に、天井石とは別に梁状に架け渡された楣石がある。上下75cm、奥行き55cmのどっしりしたものである。玄室入口の手前に架構されているとは言え、羨道と玄室とを区分する機能を有していたものと思われる。玄室の最奥部にあたる袖部はほぼ同形同大の凝灰岩を4段に積み上げて明瞭な袖を構成して天井面まで達している。羨道部の天井石は奥寄りの2石が残るのみである。このうち奥寄りのものは、そのまま玄室に伸びて玄室の手前寄りの天井面を構成している。ちなみに、玄室にはさらにその奥に2石の天井石が連なっている。
        
                                  羨道部の状況
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玄室の側壁は左右対称に近い壁面構成となっている。より整っている左壁を見ると基本的に4段構成で、最下段は相半ばする2石の大石を平積みとし、その上に中振りの石を3段に横ないし小口積にしている。ただし、奥寄りは2段と3段を合せた大石でカバーされている。加工石材を壁石としていることもあり、横の目地はほぼ水平にきれいに通り、縦の目地は上から下に通らないので、全体としては互目積を基調としているものと思われる。右壁の構成も左壁とよく似ており、左右対称を明らかに意識していることがわかる。奥壁は基本的に単一石である。石材の左上は礫面のカーブをえがいているため、左壁との間に隙間を生じており、その部分のみが他の小石材で奥壁面を構成している。床面には、全体に小礫が厚くあった。後世の手が入っているため当初の床面を残しているわけではないが、この礫中からかなりの遺物の残片及び人歯が認められた。かつて、石室を開口させ遺物を取り出した名残であろう。
  
                                    石室内部の状況
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                            玄室より羨道方向を望む
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【横穴式石室の石の積み方】
自然にある石は不定形であるが、1個の石を6面体と考えた場合、一番小さい面を表に出す小口積、広い面を上下にして横の面を表に出す横積、広い面を表に出す平積などがある。また、積み上げた全体の構成として、大小の石をその石なりに積み上げた積み方を乱石積(らんせきづみ)、壁石の縦横の線が揃うように積む通目積(とおしめづみ)、縦の線が半分ずつずれる互目積(ごのめづみ)珪岩質の転石を中心に組み、その隙間を埋める様に棒状の片石を小口に積む模様積、截石を切り組んで積む、截石切組積(きりいしきりくみづみ)がある。
 
【出土遺物】
主体部出土遺物:太刀、馬具類、金環、人骨、人歯
墳丘等出土遺物:円筒埴輪2、形象埴輪(人物頭4、腕10、耳4)男根1、鈴1
人歯は総計73個にのぼり、これらの人歯の基礎的検討を行った宮崎重雄氏の分析結果の概要は、大臼歯のあり方から、9個体の存在が想定される。年齢的には、こう耗の状況から、35才が23個体、青年期前半が23個体、青年期後半から壮年期前半が23個体である。性別については、上述の35才では、1個体が男児、2個体が女児である。それより年上の年齢層では、男性が1個体以上、女性が2個体以上含まれていることまではわかる。
 
【まとめ】
本墳の築造時期を知る手がかりは、石室の構造的特徴である。すなわち、羨道最奥部壁面上端に架構されている楣石(まぐさいし)の存在である。その場合、石材の上端が天井面に接しているのが特徴である。これと同様の構造を有する古墳として、藤岡勢塚古墳、高崎市若宮A号墳、安中市野殿天王塚古墳、前橋市総社二子山古墳前方部石室等があげられ、これらの古墳は出土遺物等の特徴から、6世紀第4四半期から同末葉ないし7世紀初頭の所産と考えられる。漆山古墳の時期もこの期幅の中でとらえることができる。
                                                参考図書:「高崎市史資料編3」
 
 構築上から判断して、7世紀の中頃のものであるが、漆山古墳、蔵王塚古墳 その後、山ノ上古墳山ノ上西古墳 の順序に造られたものと推定される。前方後円墳は大化改新(645年)の薄葬令(はくそうれい)によって築造されなくなったとみられるので、漆山古墳は7世紀前半には造られていたものと推定される。
※ 薄葬令(はくそうれい)は、大化2(646)年、身分に応じて墳墓の規模を制限した勅令。
                               
                  参考図書: 尾崎喜左雄著「上野三碑の研究」
                  平成28年5月13日付上毛新聞
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