裁判員制度今年から裁判員制度が始まった。内容はここで述べなくてもわかるであろう。前回紹介した「袴田事件」。ここから裁判員になるうえでの心構えを考えよう。
1 常に公正公平を
これは当たり前のことだが、裁判員になった以上、いかなる予断や偏見は許されない。例えば、あなたが幼女殺害の裁判に参加しているとしよう。もし、連れてこられた被告人がやくざだったらどう思うだろうか?おそらく大半の人は「悪そうな顔してるな。」などと、偏見を持ってしまうだろう。プロの裁判官でも予断や偏見をなくすのは大変なことである。素人には至難のわざと言えるだろう。しかし、予断や偏見は絶対に取り除かなくてはならない。
2 被告人の証言と被害者の証言は同等
皆さんは被告人の証言と被害者の証言、どちらを信じるだろうか?ほとんどの人は被害者と答えるだろう。しかし、これはいけない。被害者は被告人と同じ「当事者」である。客観的証拠能力を持つ第三者の証言とは違い、被害者の証言は客観的ではない。被害者は犯行時に過大なショックを受けており、記憶に誤りがある場合がある。その上、警察から「こいつが犯人だ。」といって被告人の顔を見せられたら、その人の顔を犯行時見ていたと錯覚してしまう。これは心理学的に事実とされることである。
かといって、被告人の証言を信用してもならない。要するに、被告人や被害者の言い分と第三者の言い分が対立した場合、信用すべきなのは第三者である。
3 証言は絶対ではない
人間というのは曖昧な動物で、そのときの心象によって証言が変わってしまう。また、事件当時ののことを裁判で明確に思い出せといわれても度台無理な話である。
静岡県島田市で起こった「島田事件」を例にする。裁判に出廷した目撃者Aは、事件直後、警察での証言とまったく違う証言をしたのだ。ほかの目撃者にしても供述に一貫性は無く、信じるに値しないものだった。
このように、人は神ではない。その人からの証言は絶対的真実とは言えず、証言などの状況証拠だけしか無い場合、被告人を死刑は勿論、有罪にするべきではない。
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