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絵はがきの集合体なのか、こんな画像を発見!!
上段左:吉野、中:高千穂、右:橋立
中段左:松島、中:高雄、右:千代田
下段左:小鷹、中:秋津洲、右:扶桑

写りがイマイチなので、キレイな写真を探してみました。

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巡洋艦吉野・YOSHINO (Cruiser, 1892-1904)

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巡洋艦高千穂・TAKACHIHO (Cruiser, 1885-1914)

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巡洋艦橋立・HASHIDATE (Cruiser, 1891-1927)

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巡洋艦松島・MATSUSHIMA (Cruiser, 1890-1908)

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砲艦高雄・TAKAO (Gunboat, 1888-1918)

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巡洋艦千代田・CHIYODA (Cruiser, 1890-1927)

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水雷艇小鷹・KOTAKA (Torpedo boat, 1887-1908)

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巡洋艦秋津洲・AKITSUSHIMA(Cruiser、1892-1927);

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戦艦扶桑・FUSO(Battleship、1877-1910)



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空母龍驤の最後

1943年8月24日、ガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を攻撃中に、米機動部隊に攻撃され航行不能となった空母龍驤を、B-17爆撃機が撮したもの。

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総員退艦が発令され、乗員を駆逐艦へ乗り移させようと、艦首に駆逐艦が接近している。
龍驤の右舷前方には着弾跡が見える。

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周囲を警戒する駆逐艦へ爆弾が投下されるが、遠く外れている。

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特攻甲標的

山本五十六連合艦隊司令長官は、アメリカは必ずマリアナ諸島へ反攻作戦に出ると予測していた。
そこで、酸素魚雷や甲標的の設計をした朝熊利英氏に、
「半年で特殊潜航艇を1000隻作れないか?」
と相談すると、
「半年は無理ですが1年あれば作れます。しかし、問題は魚雷発射管です。」
という返事が帰って来た。山本長官は、
「魚雷などいらん。炸薬を積めればいい。どのぐらい積めそうか?」
と言うので
「ざっと計算すると3トンは積めるはずです。」
「そうか、3トンもあればどんな軍艦でも一撃で撃沈できるな。よし、作ろう❗」

これが、特攻甲標的誕生の大まかな裏話である。(内藤力元海軍技術少佐の手記による)
山本長官は、マリアナ諸島に500隻、フィリピンに300、沖縄に200隻配備するつもりだったのだが、この直後ブインへ視察へ行く途中に、乘機の一式陸攻とともに撃墜され戦死。時の海軍大臣は特攻などもってのほかだと特攻甲標的の量産を停止させ、この計画は立ち消えとなってしまった。
これが実際に配備されていたら、後の戦局は大きく変わったのではないだろうか?

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これはオアフ島に乗り上げ捕獲された特型格納筒。港湾襲撃用に甲標的を改造したものだ。
船首に2本の魚雷発射管があるが、特攻甲標的ではここが釣り鐘型になると考えられる。

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昭和19年11月20日回天菊水隊がウルシー環礁に在泊する米艦隊を襲撃し、給油艦ミシシネワが撃沈されたのは有名な話。

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この写真は、その後の調査でウルシー環礁南部、プグリュー島の南1.5マイル付近の環礁上で発見された回天一型の残骸である。
これについて、戦友会の会長だった方が環礁の外から侵入しようとして、環礁にぶつかり爆発したものだという見解を示したが、まったくの検討違いである。
その理由も明確で
1.イー47から発進した回天の侵入経路は、無名水道(アメリカ名ザウ水道)から侵入する事になっていた。
2.イー47はフォドライ島の南南東4マイルまで接近し回天を発進しているので、逆向きに進む事になる。
3.弾頭の衝撃信管“ニ式爆発尖”には安全装置があり、安全装置は泊地侵入後に解除する事になっていた。これは泊地の外で誤爆した際、敵に攻撃を察知される事を防ぐためである。
4.回天発進時刻の20分後に、プグリュー島の南1.5マイル付近で爆発があったことは事実で、イー47の戦闘経過報告電報にも書かれているが、戦闘詳報には書かれていない事から、明らかに回天の爆発ではなかったと判断したのだろう。
以上の4点をから、明確に間違いだと判断できる。

なお、この回天はイー47から発進しウルシー環礁南部泊地を攻撃範囲にしていた、3番的または4番的であり、環礁中で索敵中に針路を誤り、また環礁を敵艦と見誤り座礁、自爆したと考えられる。
ちなみにイー47から発進した回天4基の内、3基が侵入に成功している。

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戦艦尾張?

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八八艦隊の紀伊型の次に計画された戦艦尾張と駿河。
紀伊型が4隻と思われがちだが実際は2隻で、残り2隻は別型になる予定だった。
で、この絵がその2隻だと言うが、どんな情報で誰が書いたんだろう?
まず、船体が長船首楼型になっているのがおかしい。平甲板型じゃないとね。
副砲の数も少なすぎ
艦橋はヨーロッパ型?この時期なら七脚型じゃないか?
主砲配置は古鷹型にようで面白い!
なんとも不思議な戦艦だ(笑)

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