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羽柴秀吉

 明日は祝日なので、たまには気合の入った記事を。「人肉の宴」にしようかと思いましたが、岳宏一郎さんの「軍師 官兵衛 上」の一節を紹介します。(P165〜) 次回更新予定の話ともどもsilk-neptuneさんの好きそうな話です。

 前回、上杉景勝の援軍を受けて徳川軍を破った真田昌幸は、しばらくして人質の幸村を上杉家から呼び戻し羽柴秀吉に差し出しました。再び上杉家を裏切ったわけです。羽柴家の奉行達は昌幸を「表裏比興の者」と呼びましたが、これには「卑怯」という意味も込められていて 全く信用できない者、ぐらいの意味だそうです。

 そういう秀吉にも人生最大の苦難はありました。播磨を転戦していた頃、東の三木城(別所家 一時秀吉に服従していた)では別所長治が反旗を翻し、西の上月城(秀吉方・守将 尼子勝久)は毛利・宇喜多連合軍五万に包囲されたのです。二城の中間・書写山に陣取った羽柴軍五千は動くに動けませんでした。その後、上月城には荒木村重軍一万五千が、しばらくして明智・滝川・丹羽軍二万が援軍として到着しましたが、織田信忠・信雄・信孝軍一万五千は三木城に向かい 上月城には現れませんでした。肝心の信長は、佐久間・明智・滝川・丹羽らに反対されて親征を思い止まる有様です。何のことはない、誰も秀吉の手柄を喜んではいなかったのでした。

 人々の悪意は上月城の尼子勝久・山中鹿之介に悲惨な運命をもたらしました。なにしろ城兵七百は毛利軍五万に囲まれ、蟻の這い出る隙間もないのです。真綿で首を締められるような均衡状態が続く間、秀吉はある結論に達していました。それは上月城から兵を引き、三木城を囲む織田軍と合流することです。ただこれは尼子軍七百を見捨てること以外の何物でもなく、こんな噂がたてば秀吉は天下にその信用を失うことになります。現代のビジネスにも通じそうな難局に秀吉はどう対処したのでしょうか。

 秘かに上月を離れた秀吉は、不眠不休で単身京に向かい信長に謁見、判断を仰ぎました。案の定?信長は素っ気なく「上月城を打ち捨て、三木城の織田軍と合流せよ」と言うのみです。「いましばらくご猶予を、とわしは申し上げたが殿はお聞き入れにならなかった」と上月に戻った秀吉は諸将に涙ながらに訴えました。大層な演技ですが、信長から「見捨てよ」という言質を引き出すために不眠不休で上京したのではないか、と疑いたくなります。とにかくこの瞬間、尼子勝久たちの運命は決定しました。確かに秀吉の名誉は守られましたが、この狡知あふれる決断がひどく悪臭を放っているように感じるのは僕だけでしょうか。

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人肉の宴もあるのですか…ガクガクブルブル?((((((;´ロ`) 秀吉らしいといえはらしいし、信長らしいといえばまったくそのとおり。。忠臣山中鹿之助の命運尽きた瞬間ですね。

2006/3/20(月) 午後 11:41 remiy 返信する

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れみいさん 人肉の宴、い泙任△蠅泙(>_<) …上の話は書いてて納得いかない話でした。。 削除

2006/3/21(火) 午後 3:22 [ いっしー ] 返信する

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世間一般では信長公は極悪非道で秀吉は善人というイメージがありますが、実際はそんな事ないんですよね〜。 確かに信長公には非情で冷酷な一面も持っていますが、そんなに悪い人ではないですよ(身内贔屓ではないです) 秀吉はえげつない事をしても自分がやった様に見せなかったり、自分の評判を落とさない様に上手く立ち居振る舞ってますからね。 パフォーマンス上手ですよね。 いかに自分が良い人かとアピールする人ほど私は信用出来ません。 削除

2006/3/23(木) 午前 8:25 [ 雪姫 ] 返信する

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雪姫さん ですねー。危機を乗り切る知恵は大したものなのですが、誠意がないというか。。 削除

2006/3/25(土) 午前 9:02 [ いっしー ] 返信する

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