大学教師の喜びと苦悩

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 このブログを読んで下さった皆様。ありがとうございました。
 色々と考えた末、ブログ投稿はこの記事をもって最後といたします。
 Yahooブログの終了と共に、私はブログを止めることといたします。他社のブログ・サービスに移行することも断念します。

 このブログを開設したの2006年3月でした。
 開設の理由は、私が学部長選挙に挑戦したためです。少しでも多くの方々に私の考え方をご理解いただくために始めたものです。それまでの広報手段はもっぱら手紙といった紙ベース、および会食を伴う面談でした。
 そこで何か新しさを出すために、ブログを始めたのです。
 もちろん、この時の選挙では私の思いは通じませんでしたが、次の2009年の学部長選挙では当選を果たすことができました。学部長就任後、最初の記事が、2009年7月7日の「学部長室から」です。読み返してみると当時の緊張感が蘇ってきますね。それから2期、6年間、学部長を務めせていただき、その間に副総長(副学長)も経験することができました。
 私にとってのブログの意味は、大きく変容しました。当初は、先に記したように政治的な意味合いを持っていたのですが、しだいに私自身の心の安定剤的なものに変わったのです。
 ブログを続けてこられたのは、時折、「ブログ楽しみにしてます」とか、「ブログ読んでます」と言った声が、聞こえて来たからです。その声の多くはゼミ卒業生からのものでした。卒業して後、お目に掛かる機会が少なくなった卒業生の皆さんとも、このブログを通じて交流できている、という喜びがあったからなのです。これこそが「心の安定剤」です。
 忙しかった時期には、通勤の合間に読んだ書籍、多くはミステリー系の文庫本の読後感が多かったのですが、最近の記事は映画に関する記事が圧倒的です。定年を迎え、多くのしがらみから解放され、若い頃の映画への思いが再燃したからです。
その時々の心の変容が記事の内容に反映しています。これが現在の私の偽らざる姿なのです。
 「道楽」とい言葉があります。「これは道を楽しむから「道楽」なので、決して道から転げ落ちてはいけない。それは「道落」だよ。」これは敬愛する恩師、敏ちゃんの教えです。私も道を踏み外すことなく、映画を楽しんでいきたいと念じています。

 このブログ訪問者は通例、毎日数名なのですが、今朝の集計ではブログ訪問者数は計46,415名となりました。

 多くの皆さま、本当に、本当にありがとうございました。
 感謝 感謝 感謝です




 「むらさきのスカートの女」を読み終えました。
 
 いうまでもなく第161回芥川賞を受賞した今村夏子さんの作品です。

 主人公は「わたし」で、「黄色いカーディガンの女」と自称しています。

 「わたし」はまさしくストーカーのように「むらさきのスカートの女」に執着し、その女の何から何までをも自身で確認すべく、「むらさきのスカートの女」を追いかけます。

 「むらさきのスカートの女」はまるで「わたし」の分身であるかのようにも読めます。「むらさきのスカートの女」は「わたし」に操られるように「わたし」と同じ職場でパート従業員として働くことになり、どうやらその職場の所長と愛人関係になったようです。これって「わたし」の願望?

 やがて「むらさきのスカートの女」は所長とトラブルを起こし、これも「わたし」の計らいで何処かへと逃走します。

 ある休日、「わたし」はパン屋でクリ−ム・パンを買って公園に行き、「むらさきのスカートの女」のようにベンチに座り、一人クリ−ムパンを食べます。その時、ふいに後ろから肩をポンと叩かれ、子供たちがキャッキャ言いながら、走り去ります。「むらさきのスカートの女」の場合と同じように。

 奇妙な読後感でした。でも飽きることなく最後まで読めました。

間もなく終了

 2006年に開設されたこのブログも間もなく幕を閉じることになります。

 前にブログ上で報告したように、Yahoo!自身が本年12月15日をもって
ブログの終了を通告したからです。

 それに先立って、本年8月末日に新規投稿はできなくなります。ですからあと1週間で新たな記事はなくなります。ただし、閲覧は12月15日までは可能とのことです。

 Yahooは、Ameba、Livedoor、Seesaa、Hatenaの4つのブログサービスのいずれかへの移行を提案していますが、私自身はまだどのサ−ビスへに移行するか、あるいはこれを契機にブログをやめてしまおうか、決断が下せません。

 理由は2つです。
 ①この年齢になって面倒な作業はやりたくない。
 ②どのブログサービスが最適なのか、判断できない。

 いずれにせよ、結論がでましたら、8月31日にこのブログ上で報告します。
 昔、世界史なり西洋政治史で勉強したことがあると思いますが、ピータールーの虐殺を題材とした作品を観てきました。
 今回もまた日比谷トーホーシネマズシャンテです。その日は新宿で卒業生のIさんMさんと会食の約束があったので、約束の時間に間に合うように標記の作品を鑑賞しました。

 感想は一口で言えば、「すごい」としか表現できません。

 事件が起きたのは1819年8月、ワーテルロー(ウォータ−ルー)の戦でナポレオン戦争に最終決着をつけてから4年後のことです。

 当時のマンチェスターでは産業革命を契機に綿織物工業が急速な発展を遂げ、労働人口が急増していました。しかし未だ労働立法はありませんでしたので、労働者は過酷な生活を強いられていました。
 加えて穀物法(Corn Law)により安価な穀物の輸入が禁じられていましたので、パン価格高騰などにより、一層厳しい生活を余儀なくされていたのです。
 しかもマンチェスターは独自の議会代表を選出することもできなかったため(マンチェスターを含むランカシャーで2名のみ議員を選出することができたそうです)、市民は苦境を脱するため、議会改革(選挙法改正)を要求する集会を開くことにしました。そしてこの集会に、急進派の弁士として名高いヘンリー・ハントを招くことにしたのです。そして集会の会場となったのが、聖ピーターズ広場だったのです。

 主催者の市民側は、ハントの強い要請もあり、集会が暴動化しないよう慎重に準備をすすめ、武器とみなされるものは決して携行しないことなどを申し合わせました。参加者の多くは幼い子供を含めた家族連れで、まるで祭りにでも行くように着飾っていたのです。集会に参加した市民の数は正確には分かりませんが、5、6万人とされています。

 一方、市政を牛耳る治安判事たちは、この集会が暴動に発展し、場合によっては革命の呼び水になるのでは、と恐れていました。あのフランス革命の悪夢を拭い去ることができなかったのでしょう。その治安判事たちは集会を一望できる部屋に陣取り、ワインを飲みながら状況を見守っていました。

 ハントの演説が始まって間もなく、彼に対する逮捕状が出され、義勇兵の騎馬兵がサーベルを振りかざして集会に突入しました。市民は必死に抵抗しましたが、所詮、義勇兵と言いえども武器をもった騎馬兵と、丸腰の市民の戦いで、勝敗は明らかです。しかし、これを眺めていた治安判事たちの眼には、市民の反撃で義勇兵が危ないと見えたようです。ここで治安判事は正規軍の投入を命じたのです。

 すべてが終わり、広場には犠牲者の遺体が散乱していました。因みにこの時の死者の数は11名とも18名とも言われています。負傷者は数えきれない程でしょう。

 一般に19世紀のイギリスは自由主義の時代と認識されていますが、19世紀の初頭はフランス革命の影響もあり、保守的色彩の濃い時代でした。このピ−タール―事件など克服し、ようやく自由主義的改革の時代にはいります。

 この事件を目撃していた新聞記者は、最初はこれを「ワーテルローの戦」にちなんで「ピ−タール―の戦」と呼びましたが、これはまさしく「ピータールーの虐殺(massacre)」と名付けたのです。

 ところで作品を通じて感じたことの1つは、市民の側はあまりにも理知的に描いているのに対し、対照的に治安判事や王太子などは過度に戯画化されていて、些か疑問を感じました。

 しかし内容の大筋は史実に基づいており、改めて19世紀イギリスの暗部を知り、勉強になりました。

 監督はイギリスの巨匠マイク・リーです。

 
 ゼミ卒業生の会(杉政会)の名簿(住所録)を整理することが、この時期の仕事の1つとなっています。
 
 名簿整理の資料となるのは主として年賀状です。毎年、ゼミ卒業生の皆さんからは沢山の年賀状を頂戴します。頂戴した年賀状には原則として全員に返事を書くことにしていますが、その数は僅かに減少傾向にあります。これは当然のことで、私も退職して2年以上が経過しているわけだから、卒業生が増える訳はありません。また昨今のネット時代ともなれば、アナログの最たるものである年賀状もメールに押されて、社会全体としても減る傾向にあります。ですから私に送れられてくる年賀状が減少傾向というのも無理からぬことでしょう。

  前にブログに投稿したこともありますが、年賀状は五十音順に並べられています。したがって私はそれらの年賀状を改めて1枚ずつチェックして
住所を確認することになります。
 一方名簿(住所録)そしては各期別に並んでいますので、五十音順に並んでいる卒業生が何期生かを瞬時に判断しないと、この作業は膨大な時間を要することになります。
 ある卒業生の葉書きを手にとったら、まず、その人の顔を思い浮かべ、彼もしくは彼女の仲間を思い起こし、彼もしくは彼女が在籍して時代を推定して何期生かと見当をつけて名簿を確認します。そして結婚・転居等で住所が変更になっている場合には、名簿(住所録)に赤字で修正を施します。
 修正された名簿(住所録)は、かつては杉政会を担当するゼミ生に渡してデータを修正してもらいました。でも今では当然のことながらゼミ生がいませんので、ゼミ卒業後、そのまま大学院に進学して助教として採用され、現在は専任講師として活躍しているMさんに修正を依頼しています。Mさんには貴重な研究時間を割いてもらっているので、感謝しかありません。

 ところで年賀状を見てすぐに何期生かを思い出す人と、残念ながら時間のかかる人がいることは否定できません。これはやはりそれぞれの期の個性・特徴が影響します。またそれぞれの期の個性・特徴は、それぞれの期のゼミ長の個性・特徴に左右されます。もちろんゼミ長以外でも、実質的にゼミの取りまとめ役を担っていたゼミ生の場合もあります。いずれにせよ、私の脳裏に強く焼き付いていれば思い出すのも容易なのです。
 
 また毎年キチンと年賀状を頂戴しているのに、卒業後ほとんど会う機会のない人もいます。もちろん、卒業後の住まいや勤務の関係で会合に出席できない事情もあるのでしょう。残念なことです。

 こうして名簿(住所録)を整理していると、ゼミを指導していた時代が鮮やかに思い起こされ、その思い出が次々と展開して懐かしさに包まれます。

 あと何年このような名簿整理ができるのだろうか、などと考える今日この頃です。

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